17.変えて欲しいところ
「ケイト、何だか顔色が悪いんじゃない?」
ミアが使用人のケイトに声を掛ける。ケイトはサムフォード家で働いてもう15年になるベテランだった。ベテランと言ってもまだ30才のため、ミアにとっては姉のような存在だった。
「いえ、ミア様。大丈夫ですわ」
ケイトはニコリと笑って見せたが、ケイトを知るミアの目には、とても調子が良さそうには見えなかった。
「調子が悪いのなら、休んでおいていいのよ。その分、ケイトの仕事は私がやればいいんだから」
ミアの言葉に、ケイトが首を振る。
「いえ。本当に大丈夫ですわ」
「ケイトが無理して倒れる方が、嫌だわ」
「ケイトさん、無理はなされない方が良いんじゃないでしょうか。私の目から見ても、顔色は悪く見えます」
ジョシアがミアに加勢する。ケイトが申し訳なさそうに頷いた。
「フォレスさんに言って、早めに休ませてもらいますから。……とりあえずお茶の用意をいたしますわ。お持ちしますので、お客様のところにお戻りください」
ケイトの背中を見ているミアが、小さくため息をついた。
「無理しないで欲しいのに」
「ミア様は、使用人思いなのですね」
ジョシアの言葉に、ミアが首を傾げる。
「使用人のことを思うのは、普通のことじゃありませんか?」
「いえ、でも……人によっては、使用人の扱いが酷い者もおりますから」
ミアも頷く。
「そういう貴族もいるわ。でも、使用人がいて初めて生活が成り立っているのよ。使用人を大切にしないと、生活が成り立たなくなるわ」
「なるほど、だからマーガレット様の態度は、許せないわけですね」
ジョシアの言葉に、ミアが頷く。
「そうね。貴族がいるだけでは社会は回って行かないのに。貴族の人数なんて一握りよ。そこで偉そうにして大勢の人たちをないがしろにすることで社会は回るわけじゃないわ」
「そこに、マーガレット様は気付けるでしょうか」
「どうかしら。……自らの気付きがなければ、何も得られないから……気付いて、欲しいけれど」
ミアが心配そうにケイトを見ながら、そう口にした。
ジョシアは頷く。でも、ですが、と口を開いた。
「今日のお見合いは、ひどい出来だとしか言いようがありません。応接間で戦いが始まるのをハラハラしながら見なければならないとは思いもしませんでしたよ」
「そうね。私もどうなるのか全く分からないわ」
ふふ、とミアが微笑む。ジョシアが目を見開く。
「もしかして、思い付きだけであの場の会話をしているんですか?!」
ミアがペロっと舌を出す。
「悪いかしら?」
「いえ……無茶なことをしないでいただけるとありがたいです。キャロライン様のおかげで鍛えられてはいますが、ミア様はキャロライン様とは違う方向で無茶される方ですね」
ジョシアが困った表情になって、ミアはクスリと笑う。
「キャロライン様よりも無茶することなんてないわ。むしろ、それが出来たら、私って意外とすごいかも、って思うわ!」
「今も、結構……想像の外にあることを言っているように思いますけど」
ため息交じりではあったが、ジョシアの言葉には心配する感情が乗っている。
ミアは先に歩き出しながら、後ろを振り向く。
「心配してくれてありがとう。でも……あの二人に恨まれることはあっても、他の人に害を与えるわけじゃないから大丈夫よ。それにあの二人、例え私を恨んだとしても、せいぜいこの結婚相談所の悪い噂が流れるくらいでしょう? ダメージはそんなにないわ」
「……それは、一番困るのでは?」
「顧客が100人いて、100人が満足するサービスって、そんなに多くないと思うの。それにね、マーガレット様は特に、この結婚相談所の話は、誰にもしないと思うの」
「女性こそ、噂するでしょう?」
「婚約破棄された上に、結婚相談所という目新しいところに相談しても結婚できなかった、という話を、プライドが邪魔してできないと思うのよ」
「……なるほど。ですが、別の形で噂を流すかもしれない」
「まあ、それはあるでしょうね。でも、具体的な名前が出なければ、真偽のほどは定かではないわ。それを信じる人たちは頼んでこないでしょうし、噂を信じない人たちは頼むのではなくて? 噂にも虚構と真実が混ざっていると、賢い人は知っているから」
「……そう、なんでしょうか」
ジョシアが首を傾げる様子に、ミアがクスリと笑う。
「この事業はサムフォード家の事業であって、クォーレ家の事業ではないから、失敗したとしても、ジョシアさんの職がなくなることはないわ。安心して?」
「いえ……そういうことではなくて……関わってしまった以上、心配なんです」
「ジョシアさんは、キャロライン様を守ることに注力していただければいいのよ?」
二人は応接間の前にたどり着く。ジョシアが応接間の扉に手を掛ける。だが、すぐには扉を開けようとはしなかった。
「ええ。でも、キャロライン様直々に、もう一つ仕事を与えられていますからね」
ジョシアが肩をすくめると、ミアが首を傾げる。
「仕事?」
「お忘れですか? ミア様の婚約者役ですよ」
ああ、とミアが声を挙げる。そして、いたずらが成功したようにクスクス笑うジョシアに、肩をすくめる。
「そう言えば、そうだったわね。……でも、おかげで、アイザックがうちに寄りつかなくなったわ。ありがとうございます。婚約者殿」
ミアがニコリと笑う。
「役に立てたようで何よりです」
ジョシアも微笑み返す。
「でも、ジョシアさん。この後のことには口出し無用よ? あの二人、今頃ピリピリしているでしょうから、お兄様がきっと泣きそうになっているわ」
ジョシアが、肩をすくめる。
「そうでしょうね……」
ジョシアが、扉を開けた。中の温度は、外の温度よりぐっと低く感じるくらいだった。
*
レインは泣いてはいなかったが、大量の汗を背中にかいていた。
入れなおされたお茶にホッとできたのは一瞬だった。
カップを置いたミアが、ニコリと笑った。レインは嫌な予感しかしなかった。
「では、お互いに変えて欲しいところを5つ、言いましょうか」
マーガレットもクエッテもうんざりした顔をしただけで、もう文句は言わなかった。このミアのノリに諦めを感じているのかもしれなかった。
「口が悪い」
クエッテがまっすぐマーガレットを見て告げた。一瞬目を見開いたマーガレットだったが、ふい、と顔を逸らす。
「人を見る目が冷たい」
マーガレットがツンとしたまま告げた。クエッテが、ふん、と鼻を鳴らした。
「庶民を馬鹿にしている」
クエッテの言葉に、マーガレットはピクリともしなかった。
「誉め言葉が下品だわ」
マーガレットの呆れたような言葉は、まさに馬鹿にしている態度だった。クエッテがムッとする。
「笑顔が一つもない」
「私だって、貴方が相手でなければ笑顔の一つくらい見せるわ!」
マーガレットが即座に反論した。
「俺も、相手があんたじゃなければ、もっと冷たくない目で見れるんだがね」
クエッテも応酬する。
「あの、今は変えて欲しいところを言っていただいているだけなので、言い訳は不要ですわ」
だが、あっさりミアが喧嘩を引き取った。マーガレットもクエッテも悔しそうな顔で黙り込む。
「……怖そう」
マーガレットの言葉に、クエッテが鼻を鳴らす。
「性格が悪いのが顔に出ている」
ハラハラするレインがミアを見るが、ミアは平然としている。キャロラインはクククと笑い出した。ハラハラしているのは、レインだけらしい。
「……あなたも相当口が悪いわ!」
憤慨した様子のマーガレットがクエッテを睨む。
「知っている。それでは最後だ。かわいげがない」
クエッテが立ち上がる。
「クエッテ様、まだマーガレット様のが残っていますわ」
ニッコリと笑うミアが、レインは逆に恐ろしく感じてしまう。
「わかっている。待機しているだけだ。すぐに帰れるようにな」
「デリカシーがないわ!」
わっとマーガレットが泣き出した。
だが、クエッテは泣きだしたマーガレットを無視して部屋から出ようとする。ミアは途方に暮れた顔でマーガレットの背中を撫でながら、レインに目配せする。
レインはクエッテを追いかけた。
「クエッテ殿、次のご予定は?」
はぁ、と明らかに嫌そうなため息をついたクエッテは、ぎろりとレインを見る。
「私は木曜日が夜勤明けで休みだ。一応、来週のいつが都合がいいか、あのご令嬢に聞いておいてくれ。まあ、どうせ家で暇をしてるんだろうから、いつでもいいんだろうがな。場所はここで」
「……ここ、ですか?」
「どこかに出かける気などないぞ」
クエッテはそれだけ言い捨てると、部屋を出ていく。レインは慌ててその後を追いかけて行く。
どう考えても、この見合いは失敗だった。
*
「ミア、あの見合い、まだ続けるのか?」
翌日、居間で母親の残したメモをめくっていたミアに、レインが声を掛ける。
「ええ。勿論よ」
レインがぐったりとテーブルに突っ伏す。
「胃が、痛い」
「お兄様、1回目の見合いは、たまたま上手くいっただけよ。悪役令嬢と呼ばれる癖のある令嬢たちの結婚をまとめようと思うなら、あんなことで胃が痛いとか、言ってる場合じゃないわ」
顔を上げたレインが、ミアをじっと見る。
「案外ミアは、図太いんだな」
「ふふふ、お兄様。それは誉め言葉じゃなくってよ。でも、やって行くと決めたからには、めそめそしている場合じゃないもの。強くいかなきゃ!」
楽しそうにメモをめくって行くミアに、レインはため息をついた。
「レイン様、ミア様、お茶の用意が出来ました」
お茶を持って入ってきたのは、ケイトだった。ミアが顔を上げて、ねえ、とケイトに声を掛ける。
「ケイト、顔色が悪いように見えるんだけど?」
ミアが心配そうに眉根を寄せた。
「いえ……大丈夫ですので」
そう返事をしたケイトの顔色は、どこか青白い。
「ねえ、お兄様。ケイトの顔色悪いわよね?」
ミアの向かいに座っているレインが、ケイトを見上げる。
「ああ。そうだな。もう今日は休んでいい」
心配そうな表情でレインが首を横にふる。
「え、でも」
戸惑うケイトに、ミアがメッとケイトを叱る。
「体調が悪い時に無理をしても何もいいことはないわ! 私だってケイトたちがいないときには自分で家事をしていたのよ? 大丈夫、ケイトの分は私が働くから!」
「そうだ。掃除なら魔法でやるから」
ミアとレインが力強く告げる。
「……いえ、お二人は自分たちのお仕事に専念してください」
横から口を出してきたのは、フォレスだった。
「ケイトさん、確かに顔色が悪い。今日は休んでください。代わりの人間は手配しますので。レイン様もミア様も、ケイトさんが心配で仕事が手につかなくなっては困ります」
フォレスは淡々とした口調で告げた。
「わかりました」
ケイトはぺこりとお辞儀をすると、一緒に歩き出したフォレスと共に居間を出て行った。




