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12.ミカルノとアイル

 色とりどりのドレスが行きかう大広間は、クォーレ公爵家よりは狭かったが、それでも十分な広さで、数々の質のいい飾り物は、フィリアス伯爵家の経済状況が良好であることを感じさせた。


 ジョシアは、まさかこんな立場で他の貴族の大広間にいることになるとは思ってもおらず、表情には出ていなかったが、緊張していた。

 そして、ジョシアがエスコートするミアは、このような会には何度も出ているが、今までにない状況に、少々戸惑っていた。

 ミアとジョシアは、二人連れ立ってフィリアス伯爵家で行われている夜会に顔を出していた。


 丁度フィリアス伯爵家で夜会の予定があり、ミアがミカルノに相談したところ、二つ返事で招待状が送られてきた。丁度今日がミカルノにとってもアイルを夜会でエスコートする初めての場になるということで、自分を律してくれる相手が欲しかったらしい。

 一体どんなことを言ってしまいそうなのか、ミアは聞くのをやめておこうとだけ心に誓った。


 だが、当のミカルノは、遠目で見る限り、上手にアイルをエスコートしているように見えた。

 何しろミカルノは夜会を開いている家の人間だ。しかも今まで婚約者もいなかった人間だ。そんな人物が誰かをエスコートしていたとしたら、人の目は集まるし、人も集まる。たとえその相手が、悪名高いアイルだったとしても。だから、ミアたちはミカルノたちには近づけないでいた。


 招待された客たちの話題の中心は、ミカルノとアイルの二人だった。そして時折、フィリアス家で開発された新しい薬が画期的だという話もされていた。何やら、手術の際に痛みを感じなくする薬を開発したらしい。さすがに薬を扱うことがないサムフォード家ではあるが、ミアにもその薬のすばらしい効果は理解できた。


 ミカルノとアイルには近づけないため、ミアとジョシアは遠目で見ているだけにしている。幸い、フィリアス伯爵夫妻にも、アイルの両親にも、どちらにもひっそりと感謝の言葉を告げられたので、どうやら二人の交際は順調らしい。

 多分このままいけば、婚約発表、いやもしかしたら今日が婚約発表になるのかもしれないとミアは思っていた。

 少々難はあるが、二人の相性は悪くなさそうだとミアは思っていた。だから、サムフォード家とは関係なく、二人は上手くいくといい、と思っていた。

 

 パンッ。

 何かを打つ軽い音がして、ミアは視線を向けた。先ほどまで見守っていたミカルノたちがいる方向だった。

 騒然となっている場所の中央を見れば、ミカルノとアイルが見えた。そして、頬をおさえるミカルノの姿も。

 ミアとジョシアは顔を見合わせると、人ごみをかき分けて二人に近寄った。


 騒然となっている場では、ミアたちのちょっとした無礼など気にもされない。

 ミアとジョシアがミカルノたちが居る場所にたどり着くと、申し訳なさそうにアイルを見るミカルノと、涙を浮かべたアイルがお互いをじっと見ていた。そこに言葉はなく、周りの人々もひそひそと言葉を交わしはするものの、その様子をじっと見つめていた。

 ミアはそっとアイルの傍に近寄る。

「アイル様、少し、休憩した方が良いのではなくて?」

 ミアの言葉に、アイルが唇を噛む。


 そして、ミカルノには、ジョシアがそっと助言をしている。ミカルノがハッとしたようにアイルを見る。

「アイル様、こちらへ」

 差し出されたミカルノの手を、アイルはふいと顔を背けて取らなかった。ミアがミカルノに向かって頷き、ミカルノが歩き出すのに、ミアに支えられたアイルと、ジョシア、それにアイルに付き添ってきていた使用人が後に続いた。

 

 小さな小部屋に5人が入る。黙り込んだままのアイルの目には、まだ涙が滲んでいた。

 ミアはアイルをソファに座らせると、ミカルノを見た。ミカルノは眉を下げてアイルを見つめている。

「えーっと、ミカルノ様、一体何があったんです?」

「……特に、何も。気が付いたら、頬をはたかれていたんだ。だが、きっと私はアイル嬢に失礼なことを言ってしまったんだろうね」

「……どうせ、私との結婚など、本気で考えてはいらっしゃらないんでしょう?」

 恨みがましそうなアイルの声に、どうやらミカルノとアイルの間に誤解が生まれたようだと、ミアは理解する。


「一体、どうしてアイル様はそう考えられるのですか?」

「……だって……私は婚約破棄を一度されている身だわ」

 うつむくアイルに、ミカルノは慌てる。

「それは何も関係はありません! むしろ、アイル様の婚約が破棄されて、私はラッキーだったと思っているくらいで!」

「……ひどいわ」

「そうでなければ、私にアイル様との婚約する機会など、未来永劫来ないではないですか!」

「……そう、かもしれないけど……」


 戸惑った様子のアイルは、不思議そうにミカルノを見ている。どうやらミカルノの言いたかったことは伝わったらしいと分かって、ミアもホッとする。

「じゃあどうして!」

 アイルがミカルノを睨みつける。

 どうやら、ミカルノを叩いたのは他の理由かららしい。

「……何でしょうか?」

「どうして、私の嫌なところばかり褒めるの!?」


 なるほど、とミアは納得する。どうやらアイル自身も、自分の欠点は分かっていて、その欠点は好きになれないらしい。

 そして、ミカルノにとっては、その欠点と言われるところが、愛しいと感じるポイントになってしまう。

 そのため、アイルはミカルノに馬鹿にされているように感じていたのかもしれない。

 立ち尽くしていたミカルノが、ソファーの横に跪く。

「アイル様。私は、貴方のどんな部分でも、愛おしいと思ってしまうのです。……特に、冷たくされるのが……嬉しいのです」

「……そんなの変だわ」


 アイルの言葉に、ミアとジョシアは顔を見合わせた。

 当然の反応だと思ったからだ。もうこの話はなかったことになるだろうと、ミアは思った。それは、仕方のないことだ。そもそも、ミカルノの性癖を隠し騙しているようなものだったからだ。

「いえ、アイル様。世の中にはいろんな方がおられます」

 予想外に口を開いたのは、アイルについてきた使用人だった。


「……そうなのかしら?」

「ええ。アイル様。世の中には優しくしてくれないと嫌だという方もおられますが、冷たくされる方が良いとおっしゃる方もいます。それは、真実です」

 きっぱりと告げる使用人に、ミアとジョシアはまた顔を見合わせた。予想外の援軍だった。

「そう、かしら?」

 まだ戸惑っている様子のアイルに、ミアはあることを思い出して口を開いた。

「あの、アイル様」

「何かしら?」


「アイル様は、我が家で占い師に話を聞いたとき、いつも通りでいいと言われて、喜んでおられませんでしたか?」

 アイルが少し遠くを見て、そして頷いた。

「そう、だったわね」

「アイル様は、今の性格を、変えられるとお思いですか?」

 ミアの問いかけに、アイルがムッとする。そして、うつむいた。ミアがコクリと唾を飲みこむ。この不躾な言葉は、ある意味懸けだった。


「……変えられないから、婚約破棄をされてしまったんでしょ! 私だってわかっているわ! この性格に問題があることは! でも……思っていることがあっても、今更かわいい言葉なんて言えないわ!」

 叫ぶように告げるアイルの手を、ミカルノがそっと握った。

「無理してかわいい言葉を選ばなくともいいのです。私はあなたのそのままの言葉が嬉しい」

「でも! でも! 貴方だけではなくて、お客様に向かっても、嫌味を言ってしまうのよ?! こんな人間、妻になんてしたくないでしょう?!」

「アイル様、お客様との対応の時には、私がフォローいたします。ですから、安心して私の隣にいてくださいませんか?」

 アイルの目からほろほろと涙がこぼれていく。


「私、本当に意地が悪いのよ?」

 ミカルノはニコリと笑う。

「ええ。そんなあなたのことを好きになりました。アイル様、私と結婚をしてくださいませんか?」

 アイルがおずおずと頷いた。

「アイル様、おめでとうございます!」

 アイルの使用人の言葉を合図に、ミアもジョシアも拍手をした。思いがけずプロポーズの場面に立ち会うことになって、ミアは驚いていた。

 

 トントン。

 控えめなノックの音に、ミアはドアを開ける。ドアの外には、フィリアス伯爵夫妻とブラッドフォード伯爵夫妻が、沈んだ顔で立っていた。

 ミアは4人に向かって笑顔を向けた。

「丁度、ミカルノ様のプロポーズをアイル様がお受けしたところです」

 4人の表情が一気に華やいだ。それぞれに嬉しそうに手を取り合っている。

「ミア嬢、本当にありがとう」

 ブラッドフォード伯爵夫妻の言葉に、ミアは控えめに笑って頷いた。ミカルノはまだ完全には真実を告げていない。そのことがちょっと引っかかっていた。それでも、一応今のところは、結婚に向けて走り出したと言っていいだろう。


「ミア嬢、こちらも本当に感謝している」

 フィリアス伯爵夫妻もホッとした表情をしている。ミカルノの性癖が結婚の阻害要因だと十分理解していたのだろう。ミアだって、アイルに本当のことを告げたらどうなるかなんてわからない。

「いえ、私はお二人を引き合わせただけですので」

 ひとまずミアが言えることはそれだけだ。

 ブラッドフォード伯爵が、ミアの手をがっちりと握る。

「謝礼はまた今度持っていく。他に、困っていることはないかな? 何でも力になるよ」


 ミアは今のところ何も思いつかなかったため、首を横にふった。

「今は何も思いつきませんが、もし何かありましたら、お力を貸してください」

 頭を下げると、ブラッドフォード伯爵夫妻は二人そろって、「「勿論」」と声をそろえた。

「我々も、何か役に立つことがあれば、是非声を掛けてくれたまえ。謝礼は勿論弾むよ」

 フィリアス伯爵の言葉に、ミアは礼を取った。

「もし何か困ることがありましたら、お言葉に甘えたいと思います」

 懸念がないわけではないが、とりあえず生活の糧を得ることが出来たことに、ミアはホッとした。


 *


 夜会の会場で、ミカルノとアイルの婚約が発表され、会は更に盛り上がった。

「あの……ミア様?」

 久しぶりの夜会で疲れたミアと慣れないために緊張し続けていたジョシアが、人目を避けてバルコニーで一休みしている時だった。

 声を掛けてきたのは、マーガレット・ノーム男爵令嬢だった。

「どうかされましたか、マーガレット様?」

 ミアが首をかしげると、マーガレットはジョシアにちらりと視線を向けて、ミアの耳元に近づく。


「あの話、受けたいと思うの」

 ミアはすぐに何の話か分かった。マーガレットにも、ミアは手紙を出していたからだ。

 マーガレットは、婚約者だったエリオット・マリワール男爵令息が、こともあろうにマーガレットの使用人だったエリカ・ゲシュトンと恋仲になり、婚約を破棄されていた。

 だが、マーガレットにも非がないわけではなかったと、皆は思っている。

 マーガレットは庶民に対して馬鹿にする態度が、露骨なのだ。

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