1.悪役令嬢家婚相談所開所宣言
王都の中でも、質のいい作りとして一目置かれるサムフォード男爵家の邸宅の中は、がらんどうだった。
本来なら置かれているはずの立派なテーブルも、装飾のすばらしい椅子も、壁を彩っていた華やかな絵画も、廊下を洗練された雰囲気にしていた繊細なガラス細工も、窓を飾っていた手の込んだレースも、何もかもが見当たらなかった。
そう、からっぽだった。
「お兄さま。本当に、家財一切、持っていかれてしまったわね」
何もなくなった居間の中を見回していた金髪のミア・サムフォードが、あごに沿うように大きな傷のあるレイン・サムフォードを見る。
ミアの長い髪が、さらりと揺れた。だが、その髪のつやはくすんできていたし、着ている服は繊細な作りのドレスではなく、平民の少女たちが好む簡素なワンピースだった。
「……本当だな」
やや呆然とした様子のレインは、ハッとしてぼさぼさの金髪の頭を抱える。
レインの髪は長く背中でゆるくくくられていたが、つやのなさはミアに断然勝っていた。着ている服も、ヨレヨレのシャツと辛うじてしわの伸びたズボンで、人目に触れることを前提とはしていない。
レインが部屋の中を魔法で一掃したおかげで部屋の中にはチリ一つ落ちていなかった。だが、レインはそれだけ綺麗好きなのに、自分の恰好には無頓着だった。
「店の権利も、グルグガン家に取られてしまったし、我々はどうやって生活していけば……」
サムフォード男爵家は、代々商売で財をなしていた。この質のいい邸宅も、その余裕のある資金から作り出されたものであり、昨日まで家を飾っていた家財の数々も、手の込んだものばかりが揃えられていた。だが、財を作り出してきた商売の基礎である店の権利も、家の中にあった価値ある家財の数々も、仕立ての良い服の数々も、全て失ってしまった。
二人が今身に着けているのは、使用人たちが二人を不憫に思って各自で用意してくれたものだった。
サムフォード家は、つい2週間前に、悲しみに暮れたばかりだった。
サムフォード家当主であるサムフォード男爵と、妻のメリッサ、つまりミアとレインの両親が、馬車の事故で亡くなってしまった。
それに追い打ちをかけたのは、サムフォード男爵によって損失を出したのだと主張するグルグガン商会だった。
グルグガン商会が持ってきたサムフォード男爵と交わした契約書と、それから生まれてしまった損失の証拠を突き付けられ、ミアとレインには反論の余地がなかった。
その損失額を埋めるためには、膨大な金額が必要であり、その金額が揃えられないために、サムフォード男爵家の財を作り出してきた店の権利、および家財道具一式が差し押さえられた。そして、今日、その品々が運び出された。
家の中には何も残っていない。もの、どころか、使用人たちにも暇を出さなければならなくなった。賃金が払えないからだ。
そして、この質のいい邸宅の中には、ミアとレインの二人と、レインの足元に寝そべる一頭だけが取り残された。
「ミア、私との結婚を考えてくれたかい?」
ミアもレインもすっかり忘れていたが、この邸宅にはもう一人、人間が残っていた。アイザック・グルグガン。グルグガン商会の息子だ。茶色の髪を後ろに結んで垂らしているアイザックは、聞くに堪えない浮名を流している。
男爵家と、一介の商家。婚姻関係を結ぶには、一般的には少々ハードルがある。サムフォード男爵は別に平民だとしてもそれが理由で断る人間ではない。ただ、アイザックの人間性に問題があると判断し、一度は公式に断られた婚姻だった。その婚姻を、この出来事をきっかけに、再度アイザックはミアに迫ってきていた。
「あなたとの結婚など考えないわ」
ミアは毅然と言い放つ。ミアにはアイザックの浮名の相手の気が知れなかった。ミアは尊敬できない相手と結婚など考えることもできなかった。
「じゃあ、二人はどうやって生活していくつもりだい?」
ニヤニヤと人が悪そうに笑うアイザックに、ミアはムッとした。
「お兄さま、アイザックを追い出してちょうだい」
ミアの言葉に、同じく不機嫌なレインが口を開いた。
「カルロ、やれ!」
レインの隣に寝そべっていた灰銀の塊が、勢いよくアイザックに向かった。
「やめろ! 狼に私を襲わせてどうする気だ!」
アイザックと狼の体の大きさはほぼ同じで、アイザックは狼に押され床に倒れている。カルロはまだ子供の狼で、狼としてはそれほど体は大きくないが、アイザックとは同じくらいの体長だ。
「帰る気になるかと思って」
ミアが冷たく言い放つ。
「脅されても、痛くもかゆくもない!」
その叫び声はやせ我慢のようにも聞こえた。
「カルロ、そいつは餌だ」
レインの言葉に、カルロがベロリとアイザックの顔をなめる。
「帰る! 今日は帰る! この狼をどうにかしてくれ!」
アイザックがおびえた声を出す。その様子に、レインとミアは満足したように頷いた。
「カルロ、戻れ」
カルロがのっそりとアイザックの体から降りると、優雅にレインの隣に戻った。
「悪かったな、まずいものなめさせて」
レインがカルロの背中を撫でる。
「……どうせ、生活が立ちいかないんだ。私に早く泣きつく羽目になるのに」
捨て台詞を残して、アイザックが居間から出て行った。
バタン、と激しい音を立てて入口の扉が閉まる音がする。ようやく本当に二人きりになった家の中で、兄妹は顔を見合わせた。
「アイザックと結婚するより、貧乏な方がマシだわ」
先に口を開いたのは、ミアだった。
「良かった。結婚するって言ったら、どうしようかと思った」
レインの言葉に応じるように、カルロもしっぽをパタリと動かす。
「あら、カルロも反対? 何、まずかったの?」
ふふ、とミアが笑う。
「……あんなやつと結婚するくらいなら、この家を手放した方がマシだ。カルタット公爵が、この家を買いたいと言ってきている」
レインの言葉に、ミアが目を見開く。カルタット公爵家は、この国の3大公爵家のうちのひとつだ。
「それ、本当なの?」
「ああ」
レインが頷く。ミアが首を横にふった。
「カルタット公爵家は、散財しすぎてお金に困ってるって噂よ? 本当にこの家に見合う金額が払えるの?」
「……ミア、お前がお母様に似て噂好きなのは知ってたけど……何でそんなこと知ってるんだ? ……そんな話、軽々しく噂になるわけないだろ?」
引きこもりのレインにだって、そんな噂が社交界で簡単に広まるわけがないと分かる。かなりの機密事項だろう。
「お兄さま。我々には救世主がいるのよ?」
「救世主?」
「そう。救世主。救世主は、お母様なの」
ミアの言葉に、レインは首をかしげる。
「お母様って……亡くなってるだろ?」
「正確には、お母様の残した、噂メモ」
ミアがワンピースのポケットからメモの束を取り出す。
「噂メモ?」
レインが言葉を繰り返す。
「お母様、ただの噂好きじゃなかったのよ。かなり几帳面に情報を集めてたわ。王都にいる人々の噂が全部載ってるかもしれないってくらい」
「え?!」
レインが目を見開く。
「商売をするには大事な情報だったんだと思うわ。……だから、今回こんなことになったってこと、未だに信じられないんだけど……私、このメモを活用してお金を稼ごうと思うの!」
「……脅しは、犯罪だからな?」
諭すレインに、ミアが笑う。
「そんな危険な橋は渡らないわ」
きっぱりとした声に、レインが首をひねる。噂を使ってお金を稼ぐ方法など、レインには思いつきそうにもなかった。
「じゃあ、一体何を?」
「婚約破棄された令嬢たちに結婚をあっせんする仕事を思いついたの!」
ミアの提案に、レインが瞬きを繰り返した。
「婚約破棄された……? そ、それは結構デリケートな問題になるだろう?」
婚約破棄は、そうそうされるものではない。時折、悪役令嬢と揶揄される令嬢の婚約破棄の話が聞かれることもあるが、何十件もあるような話ではない。この1年の中でも、2件あるかないか、の話だ。
「だからこそよ! 悪役令嬢って呼ばれるような令嬢だと、中々次の結婚相手に恵まれないでしょう? 一回破棄された後に、それでも結婚したいって手を挙げてくれる相手は稀よ? それで上手くこの噂を使って、結婚相手に恵まれない人同士をマッチングさせるのよ! お互いにWin-Winな相手を探しますって言ったら、ありがたがられるでしょ? その成功報酬にお金を稼ぐのよ! まあ、半分は手付金として納入してもらって、半分は成功報酬ね」
「……それ、上手くいくのか?」
レインはミアの途方のないアイデアに、しゃがみ込んでカルロの背中を撫で始めた。
「さあ、わからないわ。でも、やるしかないわよ。それに、もう招待状送っちゃったわ」
「は?」
ミアの言葉に、レインが目を見開いて顔を上げる。
「どこの家が反応してくれるかしら」
ふふふ、とミアが笑う。レインは、ハハハ、と引きつった笑みを浮かべる。
「サムフォード男爵家のミアはいるか?」
がらんどうの部屋に突然響いたのは、ぞんざいな女性の声だった。
ミアもレインも顔を見合わせる。
「誰?」
ミアのよく知る社交界でも聞き覚えのない声だった。レインはそもそもそう言った華やかな場に出ないため、知っている声など一握りしかない。
「キャロライン・クォーレだ。だれか、いないのか?!」
ミアとレインが顔を見合わせる。
「「魔王だ」」
二人の声が重なる。