屑
社会性を持つお前は幸せだ。
社会に馴染むということに疑問を覚えず、ただ普通の人間として、歯車のように世界を回すことができるのだ。お前が役に立つとも立たぬとも、社会はお前の側にある。
だが、この俺はどうだ。お前とも気軽に話せないような奴がどうやって社会の歯車に成れようか。
汝、隣人を愛せよと誰かが言ったそうだ。全くもってその通りだ。俺は愛している、お前を。だが、お前は俺を愛してはくれなくていい。俺とお前は違うからだ。根本的にコミュニケーション能力が違うのだ。お前は俺に話しかけることができる。だが、俺はお前に話しかけることさえも一世一代の大舞台であり、緊張の末に逃げ出してしまうことを耐えきってやっと、お前に話すことが出来るのだ。しかし、そんなことを知らぬお前は言う。「どうして普通のことができないんですか」なんて、不思議な顔をして。
知っている。俺はお前と話したくないのではない。話せないのだ。社会に馴染めないのだ。だが、お前は多数派だ。体制側だ。異常なのはこの俺だ。そんなことは知っている。それを嫌というほどに感じてさえも、ああ、世の中は無情にも俺を歯車として利用とするのだ。ぎこちない形をした、錆びきった歯車。油を挿しても錆取りを吹きかけても変わることは無いと、哀れにも俺は知っている。けれども社会ときたら、こんな俺でさえも組み込もうとする。それが金という仕組みだ。生活するには全て金が必要ときた。金、金、金、何でも金だ。お前も稼いでいるだろう。金を。
金を稼ぐためにはどうすればいい。簡単だ。仕事をすればいい。そうだ。仕事だ。交流だ。コミュニケーションを金に変えるのだ。だから俺は社会という共同体に足を踏み入れなければならない。足を踏み外すと分かっているのに、金のために、生活のために、社会という平均台を進まなければならないのだ。
俺は賢くないから、お前と交流しなくても稼ぐ手段知らない。いや、違う。お前と交流しなくても済む金稼ぎの手段を見つけるためにも、やはり交流が必要だ。お前と俺では入って来る情報の質と量が違う。突っ立っているだけとまでは言い過ぎだろうが、お前はコミュニケーションができるから人の話がどんどん入って来るのだろう。だが、この俺はそうではない。社会性というフィルター、協調性というフィルターが、次々に情報を得る機会を奪い去っていくのだ。それでも俺は、どうしたってそのフィルターの破り方を知らない。お前に話しかけるという恐怖が、どうしても拭えないのだ。
それだから、俺はお前に比べて社会を知らない。社会を見つめるために存在する社会に入ることができない。指をくわえて、それを外側から見続けるのだ。滑稽だろう。どうしたってそこに入れないことは分かっているというのに。人魚姫は足を貰って地上を歩けるようにしてもらう代わりに、歩みを進めるたびに剣が全身を貫くような痛みに襲われる。それでも王子の下へと進んでいく哀れな人魚姫がこの俺だ。俺が社会に入っていったとしても、大いなる苦痛が先々で俺を苦しめ続けるのは目に見えている。
上下関係、横のつながり、お前はそれらを苦痛に感じるのか。いや、お前だって苦痛に感じることはあるだろう。立場の違い、教養の違い、些細な行き違いは人間関係の摩擦を生み出す。それがお前の苦しみになるかもしれない。誰の人生にも浮き沈みはあるものだ。
だが、決定的にお前と俺が違うところは、その苦しみの感受性だ。お前と同じ苦痛だろうが、俺はお前の数倍の痛みを感じるのだ。
お前は辛いことがあった時、例えば、上司に怒られた時、酒を飲んで愚痴をスッキリ吐き出すだけで済むのかもしれない。俺だって、そうしたい。酒を飲んで愚痴を言って、「ああスッキリした」なんて本心から言ってみたいものだ。
だが、俺はそうできないのだ。酒を飲んで愚痴を言って、それでもなお俺の頭には火種が燻ぶったままなのだ。熾した炭を灰に埋めたように、いつまでも燻ぶったままなのだ。俺のあの行動がいけなかったのか、俺のあの話し方がいけなかったのか、終わりと答えのない孤独な反省会が繰り広げられる。時間が経てば勿論、そんな考えは消えていくだろう。俺でもちゃんと時間は薬になるらしい。だが、忘れた頃には次の悩みの種が燃え広がり出すのだ。そうして俺はいつだってファラリスの雄牛の中で叫ばされているのだ。ただし、見物客を喜ばせる笛の音は響かない。ただ、金属のような殻に体を包まれたまま、浮き沈み激しい心を灰になるまで燃やすだけ。
俺はお前のように楽に生きる方法を知らない。いや、お前も楽ではないのかもしれない。苦労して勝ち得たのかもしれない。だが、俺にはお前が楽しそうに見えるのだ。あんな軽い足取りで人とコミュニケーションを取ることができるお前を、とても羨ましく、妬ましく思っているのだ。俺がお前のようであったら、普通に生きることを夢見ることは無かっただろう。お前は恵まれているのだ。社会性というものを、義務をさも当然のように身に着けられたお前は恵まれているのだ。俺は社会性なんてものを持ち合わせることは無かった。出来なかった。だから、俺は常に孤独だった。それでも生きていけた。家族は俺を助けてくれたし、学校程度なら少しくらいの孤独は許容される。だが社会はどうだ。孤独を許容してくれるのか。
社会――、それとよく似た会社に、俺は不幸にも行けてしまった。就職活動に精を尽くした甲斐があったものだ。だが、お前との違いに気付いたのはその中に入り込んでからだ。そう。俺は馬鹿だったのだ。俺は何も知らぬ馬鹿だったのだ。常に孤独であり、孤独に慣れきった俺は学校と社会の違いを知らなかった。社会に求められるものを知らなかったのだ。
お前との交流。それだ。俺を苦しめたのは。
全て一人でこなせるのなら、俺はそうしただろう。孤独ではない社会は苦痛でしかない。しかも、俺が天才ではないし万能でもない事実さえも俺を苦しめた。それでもなお、俺はお前に頼むことができなかった。話しかけられなかった。出来ないことを出来ないと言えなかった。結局、俺一人で回すしかない。お前が俺に気付いて助けてくれることを信じながら。けれども、分かっていたはずだった。お前が黙って助けてくれるほど社会は甘くない。そして俺は凡人だ。出来ないものが出来るようになるはずがない。当然、俺は失敗する。叱られる。厳しい自己批判が展開されていく。何度も、何度もそれを繰り返した。
もし、俺がお前と交流できないと知っていたのなら、俺は社会には行かなかったかもしれない。いや、そうだと知っていたとしても、俺は社会に出るしかなかったのかもしれない。いつまでも子供のようにはいかないのだ。駄々をこねても、大人はすぐに尻を引っ叩かれて追い出されるのだ。俺の為の安息の地はなく、社会というお前の居場所に俺は追い出される。
俺は無能なんだ。無能で、怠惰で、どうしたって救いようのない屑なんだ。だから、俺に構わないでくれ。俺を放っておいてくれ。お前に俺はどうすることもできないのだから、お前がどうにかしたいと思っていてもどうにもならないことなんだ。俺は構造的欠陥を抱えた不良品なんだ。俺は社会にはいらない歯車なんだ。
お前はお前の思うように社会を生きていくといい。俺はお前の邪魔にならないように、その外側にいよう。気にしなくていい。俺のことに気が付かなくていい。
お前は普通に生きろ。自由に生きろ。思うままに生きろ。俺が普通になれなかった分、誠実に生きるんだ。それから、俺のことはきっぱりと忘れてくれ。最初からいなかったことにしてくれ。俺がお前に関わったってロクなことは起こらない。お前も同じだ。お前が俺に関わっても何の価値もない。それどころか不利益にさえなるだろう。
お前は社会の期待に応えることができた。
俺は社会の意に沿うことができなかった。
お前が幸せになるためには、互いに歩み寄らないことだ。
同情しなくていい。そんなものは俺にもお前にも必要ない。
俺はただ、社会にいない方が幸せなんだ。
たったそれだけの事に気付くだけに人生を浪費したんだ。俺という屑は。