第一話 最強の帰還
気が付けば、見たこともない場所に立っていた。
辺りには全てを見通すかのように美しく透き通った巨大な水晶がいくつも生えており、また、地面はガラスでできているのか、透明で平らな板が果てしなく広がっている。ガラスの下は底が見えず、一切の暗闇だ。
ここはどこだろう。
ガラスが割れないように、ゆっくりと一歩前に踏み出すも、思いの外頑丈だったようで一歩更に一歩と足を進めていく。
前を見ても、後ろを見ても、右も左も。見える限り、ただひたすらに透明なガラスの床と、巨大で美しい水晶が生えているだけで、他に何かありそうにない。
僕はここで何をすればいいんだろう。
試しに、水晶に近づいてそっと触れてみる。すべすべとした優しい感触に、ひやりと冷たい水晶。
触れていると心の奥が見透かされているようで、多少の不快感を覚え水晶から手を離す。
誰が何の目的で僕を呼んだんだろう。
今度は、ガラスの床を足で強く叩き割ってみようと試みる。が、割れることはなく、ひびすらも入らない。歩き続ける以外道はないだろうと考え、歩みを始める。
――お兄ちゃんのご飯は、やっぱりおいしいなぁ!
突如近くの水晶が光りだし、そこから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「カエデ? カエデなの?」
が、しばらく待ってみても返事は返ってこない。いつの間にか水晶の光は消えており、叩いてみても何の変化もない。
進めばいいのかな。
止めていた足を再び動かし始め、それから何事もないまま、感覚で百メートルくらいは歩いたときだろうか。
近くの水晶が先ほどと同じ光を放ち、そちらに視線を向ける。
――お兄ちゃん、ここはどこなの?
またしても、僕の妹であるカエデの声だった。
光を放っているうちに水晶に手を当てるも、ただただ冷たいだけ。光っている以外特殊なことは起きていないようだ。
光が収まり、また声がなくなったため、歩みを続ける。
そして、五十メートルほど歩くと、同じく近くの水晶が光り、そこに近づく。
――痛い、痛いよぉっ!? お兄ちゃん、助けてよぉ!!
その声に、あの時の記憶が脳内でフラッシュバックされる。
ぶんぶんと頭を振って気を引き締め、光が収まる前に歩き始める。
どうしても、この記憶だけは忘れられない。いや、忘れてはいけないのだろう。これは僕の罪だ。永遠にこの罪と戦っていかなければならないのだ。
二十五メートルほど歩いたところで、隣の水晶が光りだした。ただその場で止まり、視線だけをそちらに向ける。
――お兄ちゃん、怖いよぉ。カエデはまだ、死にたくないよぉ……。
頭がズキズキと痛む。思わずガラスの床に膝をつき、頭を抑える。
思い切り拳を床に叩きつけて、別の痛みに頭痛を紛らわせる。
一息吐いて立ち上がると、歩みを進める。
十メートル歩いたところで、正面の水晶が光り始める。思い切り殴るも、砕けることはなかった。
――お兄ちゃんは、助けてくれないんだね。私を……愛してるくせに。
あまりに鋭い頭痛に、呼吸を荒げながらも頭をかきむしる。
違う、僕はカエデを助けようとしたんだ。でも、でもっ!
「ああああぁぁぁぁっっ!!! カエデはもう死んだんだ! カエデの真似をするなぁっ!!!」
立ち上がって水晶を殴り続ける。血が出ようと、肉が裂けようと、気にせずに殴り続ける。しかし現実は空しく、決して水晶に傷がつくことはなかった。
ふらつく足を懸命に動かし、前に前にと進んでいく。
ほんの五メートルを進んだところで、体を支えようと手をついていた水晶が光りだした。
水晶を無視し、懸命に走り出した。
――お兄ちゃん。おにいちゃ……、おに……ちゃ……。
それでもついてくる声にノイズが混じり始め、カエデの声が機械音声に近くなっていった。
耳を塞ぎ、構わず走り続ける。
やがて、完全に声が聞こえなくなったところで足を止め、限界に近い体を休めようと腰を床に降ろす。
「僕は助けようとしたんだ。僕は助けようとした。僕は、僕は――」
「またあの時みたいに逃げるんだ。お・に・い・ちゃ・ん?」
後ろから体が何かに包まれ、そしてすぐ耳元ではっきりと。カエデに似た声を聞き取った。
「あ、あぁ、あぁぁぁぁ……」
ただ茫然と定まらない目で前を見続ける。
振り返ったら僕は壊れてしまう。
無意識のうちに、本能のままにそう考え、決して体を動かさない。
「夢、これは夢なんだ。早く僕を起こして。お願い、誰かぁっ!!!」
瞬間、パリンと周囲の景色が割れ、地面が無くなって体が浮遊感に包まれる。支えを失った体は真っすぐに、重力に従って落下を始めた。
「……カエデ」
ぼそりと呟いてゆっくりと目を閉じた。
懐かしい匂いと気配にふと目を覚ます。嗅ぎなれた僕たちの我が家の匂いに、久しぶりに感じ取る家族同然の六つの気配。
体を起こして目を擦り、一つ欠伸をすると、指を胸の前で組んでそれを頭の上まで伸ばす。
「ん、んぅ~。……っはぁ」
胸のあたりに感じる心地よい圧迫感が、僕の意識を完全に覚醒させた。
目の前にいるのは、笑顔を浮かべる六人の元ギルドメンバーだ。
「おはよう、みんな。少し、眠りすぎちゃったかな?」
ベッドから降りて、みんなの前に立つ。
笑顔を浮かべつつも目には涙をためている、美しい長髪黒髪の美女。ユレイア・リーヴェルテ。
ほとんど表情はないがそれでも口角が僅かにあがっている、水色の髪の少女。アイ・リーヴェルテ。
どっしりと構え豪快に歯を見せて笑う、体格の良い赤髪の男。バレン・リーヴェルテ。
上品そうにうっすらと笑みを浮かべる、金髪で肌の白い少女。アリス・リーヴェルテ。
礼儀正しい姿勢で柔らかい笑顔をみせる、執事服を着た白髪の男性。ルーウェン・リーヴェルテ。
純粋に嬉しそうな微笑みを浮かべる、金髪でスタイルの良い美女。シャロン・リーヴェルテ。
「いえ、たった六百七十年と五か月十三日しか経っていませんよ、ユキ様」
「う、うわぁ、随分と寝ちゃってるじゃん。……というか、いい加減呼び捨てにしてほしいな。僕たち家族でしょ?」
一歩前に出て丁寧にそう告げた、サブギルドマスターだったユレイア。
苦笑しながらもユレイアに言うと、それはできませんと断られてしまう。
「ははっ、待ちくたびれたぜぇ? っと、どうした、ユキ。泣いてるのか?」
「ん? あ、ごめん。少し悪い夢を見ちゃってね。それじゃあ気を取り直して、元ギルドマスターの僕が宣言させてもらうよ」
気づかないうちに流れていた涙を服の裾で拭って、息を大きく吐く。
解散してから六百七十年。みんなには随分と待たせちゃったなぁ。もう一度、今度はみんなの笑顔が絶えることのないギルドにしよう。
右手を天井に向け、魔力をこめる。すると、右手の上に一本の旗が現れ、手の中に納まった。
その旗の中央には、自由を意味する猫が佇んでおり、その後ろに透けるようにして雪の結晶が一つ描かれている。
そして、その旗を地面に突き立てるとすぅーと息を吸って、大きく叫んだ。
「ユキ・リーヴェルテの名の下に宣言する! ギルド〈七魔の極光〉。六百七十年の時を経て、今ここに再結成する!!」
かつて最強と謳われ、そして今では忘れ去られた伝説のギルド〈七魔の極光〉。
彼らの第二の伝説は、再び幕を開けた。