チョゲ
「おうちかえるの?」
人面犬がしつこくついてくる。
「エイコはどこいったの…」もうなんだか分からない。ヘンチクリンな生物にまとわりつかれるし、人智を超えた現象が私の周りで容易に起きている。
陳腐に夢であってほしいとか考えているのもおかしな話だけれどこれが現実なのか、白昼夢(生憎夜だ)の合間の幻なのかは見当がつかない。
鼻腔に溶け込む植物の青臭い匂いも湿った土の湯気が放つ風は夢ではない。
「ねーねーおうち、おうちかえるん。」
「…もちろん。家に帰る。あたりまえじゃない。……だからどっかいって。ね?餌もなんも持ってないのよ。」
足元に絡みつく「ばけもの」を早くどこかへやってしまいたい。スイカの臭いが服に染みついてしまっているのか知れない、懐に甘食はないと見せびらかすも効果はなかった。
「ガァッ!」と威嚇されて飛びのくもはっと我に帰る。奴に弱みを見せびらかしてはいけない気がした―それも時既に晩し。会話も成立しない得体のしれない生物は人の顔でにやにやと笑うのだ。
「あたちもついていっていい?」
「え…いやだ。こんなの家族に見せられるはずないじゃん!」
どこで拾ってきた以前に騒動に発展するだろう。
テレビ局やら外部のものたちがもの珍しい生物の噂を聞きつけて殺到してくるかもしれない。テレビにでれるのは嬉しいが良くない虫もよってくる。
善良な人間である両親が悪徳商法の餌食になってしまう!
「…へんなのー。あたちはどうせミンナにはみえないの。」
人面犬よろしく毒づいて彼女(?)は根気よく尾行してくる。視えない?
だとしたらアレは一体なんなのだ?
「疲れてるんだわ私」だなんてありきたりな文句を吐いて、ちらりと人面犬をみやる。まだいる。
「あんたどーゆう名前?」
いきなり名前を尋ねられてきょとんとしてしまう。人生初のシチュエーションにどう対応していいものか…。口を開いて息詰まる。私を私として形作る記憶が大分足りない。
「わたしは…」抽斗のない頭を巡らせて冷や汗が垂れる。円らな瞳がぽかんとした間抜けな顔を映しこんでいる。「ん?んん?名前ないの?」
「さ…猿橋…!猿橋、です!」
船酔いしたみたいな浮遊感と薄気味悪さに参っていると。
「サルハチ!よろしくねっサルハチー!」(よろしくって…)
「う…うん。あなたは?なんてお名前なの?」
「ん?アタチ?あたちに名前なんてないのよ?名前名前ってゆーのはサルハチみたいなヒトたちだけだよ。」
聞いといてそれはないのではないか。
「じゃあさ。あたちに名前つけて。なんでもいいからっ!」
イヌらしくしっぽをぱたぱたさせて彼女は言う。中身は子どもなのか―せがんできた。
「しょうがないな…背中が焦げ茶だから…チョゲってのはどう?」
我ながらの端的さに青息がでそうだけれど「チョゲ」は喜んでくれたようだ。何回も「チョゲ」と復唱しては無意味にくるくると回って見せた。
「サルハチセンスいいのね~」
「……え、ええ?」
未確認生物に誉められるという人生初体験も奇妙すぎて、現実味を帯びていないせいで。私は眉を潜めてしかいない。
「あんた、センスがどういう意味か分かってるの?」
「じゃーさあサルハチは知ってるの?」
「え…」オウム返しに問われ息詰まる。確かに…ニュアンスで知ってはいるが本当の意味を彼女へ説明することはできなかった。
「知ったかぶりーっ!」
けたけたと笑われひっぱたいてやりたなくなる!
どうやら人並みの知能は持ち合わせていそうだ。(憎たらしいのは確定である)チョゲ―以後謎の人面犬をチョゲと呼ぶ、はこちらを見つめては「サルハチ」と呂律の回らない口調でじゃれついてくる。好意は持ってもらっているみたいであるし…先程みたいに噛みつく暴挙へ走らないことを祈る。人の顔でなければまんま子犬なんだけれど。
「スイカちーだい!」ぽかんとしていた私を我に返せ果汁の垂れる袋へ鼻先を突っ込んだ。そうか。
チョゲはスイカの匂いにつられてやってきたというのだ。
「だーめ。割れちゃってるけど、これは人間さまのもんなんだからね。」
意地悪をされたとでも思っているのか…チョゲは悲しそうに項垂れてしまった。扱いにくい生物である。
「じゃあっサルハチの分けてもらう!」
「いいよ。私はスイカ嫌いだから…」食べてもらえるのなら大歓迎だ。