人面獣
景色が滲んでいる。私の眼球は閃光にやられて。
気がついたら詠子さんはいない。いるのは私だけ。ぽつんと割れたスイカを前にへたりこんでいる。
隣町に向かう電車は終電を迎えたのか――ホームの照明は全て消灯している。暗い月明かりの世界で私はどうしてここにいる?
「あ…あれぇ?」
「あ…あれぇ?」
ぽかんとする自分の声を復唱したヤツがいた。
向かいの下りのホームに。白いもこもこした塊が。
月光を反射して煌めく毛並みに、小さいながらもがっしりと捕獲者の脚。野犬にしては小ぎれいで飼い犬にしては野性味がある。
冷静にみている場合じゃなかった。
なんで言葉を…。
それを口にする前に戦慄する。
「じ…人面犬っ!」
「あれぇ?あれぇ?」小首をかしげながら壊れた機械みたいに私の真似をする…人面犬。
顔面だけは可愛らしい子供である。けれど体は気ぐるみではなく「イヌ」のまま。
癖っ毛のある髪を風になびかせてヤツはこちらを見た。
「…あたしんのこと。見える?」
舌ったらずな口調でふるふるとシッポを振っている。口ぶりからしてメスのようだ。
「あたしんこと見えてるくせにシカト?――ガァッ!」
牙を剥いて人面犬はホームをぴょんと降りる。ああ。なんてこと。腰がぬけて動けない。
「みみみみ見えてます見えてます!」
「はー。見えてます。貴方はドコのヒト?」
軽々とこちら岸までやってくると私の靴をくんくんと嗅いでいる。そこらへんは他の犬と大差ない。
…あるか。
「…ここここの村の人間ですっ。」
「あーここのムラのニンゲンです。なるへそー。そなたはここのニンゲンではない。」
「…あ、はい?」
「ウソをつくなァ!ガゥァ!」がぶりと革靴が子供の口に吸い込まれる。
あんなに柔らかそうなのに口の中は鋭い凶器にまみれていた。皮膚に痛みが走る。
「いっ!」
悲鳴もあげられない。人面犬は肉を削がずに口を放した。た…食べるつもりじゃない?
革靴の表面がはげ、牙が貫通したことをありありとみせつけてくる。涎まみれになった革靴から黄緑色のような不気味な液体が染み出てきた。
「な…なにこれ!キモッ!」
あたしには赤い血が流れているはず。慌てて靴を脱ぎ捨てると、靴下の穴からその液体をあふれ出ている。
「あ…ああああ…。」そんな!
「ああああ?ああああー!」
狼狽ぶりがそんなにおもしろかったのか。意味不明に声をあげながら楽しそうにぴょこぴょこと跳ねる。
「ひっ!ひぃっ!」
訳のわからない状況に頭がオーバーヒートした。無様に腰を抜かし人面犬にべろべろと舐め回される。唾の臭いと獣臭さに現実だと突きつけられ、私はさらに混乱した。