山中他界
夜の山は異界だ。
昼だとしてもヒトの世界とは一線引かれた異質な空間だと思う。鳥獣保護法や所有林など法律上の問題もあるけれど、私たちが暮らしていける領域ではないのはスピリチュアルな感覚で頷ける。なんと言おうが古来から獣たちの領地なのだ。
かくして一体私は人なのだろうか。それともチョゲのような人ならざる者へ成り上がっているのだろうか?
だからこうしてさ迷い歩いているのだろうか?
お盆になれば死後からご先祖さまは人間界へ「降りて」くるというし、神さまも春になれば同じく人里へ降りてくる。お年寄りたちが先人から教わった不思議なお話を私は何度か耳にした。そこで拙くも理解した、神と霊が存在する山という空間は人の知っちゃいけない未知の領域なのであると。
私はそこを歩いている。異界の生物を探して異界へ迷い込んでいる。
でも、人間の世界は私を拒むかのように突き放してきた。助けも温かい日差しも私へは与えてくれないがこの常夜の闇はとてもそこが無く冷酷なものだと感じられた。
(詠子は…どこにいるの。)
チョゲもどこかでうろついている?
家族は私が失踪したと勘違いして探し回っているのだろうか。──神隠しの如く忽然と消えた娘を必死になって探している?
堪えきれず涙が出る。帰りたい。これまでチョゲに振り回されて夜を突っ走ってきたけれどガス欠状態だ。
日の光が見たい。家族とおはようの挨拶がしたい。妹と弟の顔がみたい。平凡な毎日を送りたい。さまざまな欲求が脳裏をかすめて失せていく。なんて陳腐なんだろう。
今更になって平凡さを望むなんて。
気配がする。多数の鋭い殺意が私を取り囲む。──魔物たちが唸りを上げてこちらを伺っている。
オオカミだ!
彼らの姿は可視できない。漆黒の壁が四方を取り囲んでいるだけで彼らが狼だなんて断言はできない。でも私の周りには狼しかいない。神秘と謎を秘めた獣たちしか、私の前に現れない。
這うような唸りがじりじりと感覚を狭めてくる。あの白と黒の狼らと同じだ。