光子の秘密
──貴方も気づかなきゃいけない?
「私たちには期限がある。山の使いたちに案内してもらわないと、消えてしまう。私はもう時間切れね」
悲しげに光子の祖母は言い、私は口ごもった。
「その前に、言わなければならない事があるの。光子が秘密にしている事を」
──秘密?
あの明るいあの子に秘密があるのだろうか?
「光子は…裏で影井家の娘さんをいじめている」
打ち明けられ、衝撃を受けた。影井 詠子。村に影井という苗字はあの人しかいなかったから。
クラスメイトから好かれる光子からいじめというイメージは連想できない。優しい言動に、思いやりと礼儀正しさ。模範となるマドンナ。
「あの子にそんな事をしてほしくない。──このままでは、あの子は確実に地獄に落ちてしまう」
「地獄?そんなモノがホント存在しているの?」
「ええ。私たち、人間が作ったのよ」
難解な回答に混乱する。地獄や天国は人が作った世界だとは理解できる。なのに地獄に落ちてしまうの?
分からないよ。
「影井家の一族は昔からあの会社に関わっている──今も、化学工場の責任者であり研究者よ。だからこそ光子は恨んでいる…私も憎んではいるわ。だから研究者たちを殺めてしまったのだと思う」
あのオオカミたちは研究者たちなのか?
「自分の家族の、あまつさえ稲光一族が耕してきた畑を失ってしまった…幸せだった家族をめちゃくちゃにされてしまった。あの子は私たち家族の誰よりもあの工場建設を恨んでいる」
それは分かる。あの時、あの子はとても落ち込んで…。
「光子は、とってもひどい事をしてしまった。もう引き返せないの。人としてとても罪深い行いを。それを知らしめて欲しい。だから、せめても最後にあちらの世界へ行ってほしい」
「あちら、って…。あ、待って!」
「最後に貴方と話せて良かった」
光子のおばあちゃんは再びヒグマの姿に戻る。
つぶらな目でこちらを見つめ返してきた。ずんぐりとした肢体は傷を負い、疲労している。オオカミたちにやられつけられた傷跡だ。
私はもはやこの熊から殺意がないことを察して更に困惑した。首を噛み殺した惨状を踏まえて、この獣は血に飢えていると普通は考えるだろう。
しかし獣の瞳にはむしろ温かい光が宿り、私を見おろしていた。
おばあちゃん。私は
「あの…」
「光子に…よろしくと、伝えて…」
熊はボソリと消え入るような声音で呟いた。
人柄のいい笑顔が脳裏に浮かぶ。祖母は悲しげな笑顔でゆっくりと消えていった──そうだよね。
居なくなったりしないよね?
「あの人がね、ワタシのこと守ってくれたの」
チョゲが嬉しそうに告げた。光子の祖母は嗅ぎなれたスイカの匂いを辿り、私たちを追いかけていたのかもしれない。自らが手塩をかけて育てたスイカ。思い入れは尋常ではないだろう。
私は言葉にならない感情を蟠らせながら、チョゲのいる場へ引き返した。独りでこの冷たい夜をうろつく勇気はなかった。
「クマさん、…いなくなっちゃった?」
人面犬が不思議そうに首を傾げる。その仕草にやるせなさやらが込み上げ、ため息をついた。
「おばあちゃんは、どうなったのチョゲ…」
チョゲは純真無垢な気色から一転し俯いて、か細い声色で呟いた。
「サルハチがいなくなるのは寂しい。ひとりぼっちになって…ヤダな。置いていかないで…」
「え…」
「──自分はお留守番でひとりぼっちだったから」
「チョゲも、人だったの?」
「人なんて、いない」