光子のおばあちゃん
散らかった廊下を走る。持久走もかけっこもビリだった私が、車くらいの速さを出すクマをまけるだろうか。
幸いな事にクマは傷を負っているらしく、足を引きずりながら追いかけてくる。
研究所内を逃げ惑う。どこに何があるのかも分からず、あっという間に突き当たりへ追い詰められてしまった。
バタバタと自分の足音が反響し、止まる。左右を見やるドアがあった──鍵がかかっていた。
「開いてよっ!開けて!」
精一杯ドアを叩き、ドアノブを引っ張った。頭の隅にまるでホラー映画を見ているようだ、なんて呑気な考えが浮かぶ。
「誰か!助けて!」
ヒグマが飛びかかってきた。
「助けて!光子のおばあちゃん!!」
鋭い牙に食われそうになった寸での所で、クマの気配が消えた。恐る恐る視線をやると、ヒグマは光子の祖母に変わっていた。
「お、おばあちゃん…?」
「猿橋ちゃん。久しぶりだねぇ…」
記憶の中にいた光子のおばあちゃんそのものだ。野良仕事をしていた、あのおばあちゃん。
「猿橋ちゃんに伝えたい事があって、追いかけていた気がするんだけど…。良く覚えてないの…ごめんなさいねえ」
私はあまりの出来事に涙を流した。恐怖に足が脱力して、へたりこんだ。
「ど、どうしてヒグマになっちゃったの」
「この世界は──幽世は人ではなくなるのよ。いずれ自分が分からなくなるの、猿橋ちゃん」
「かくりよって何?分からないよ」
ごめんなさいねえ。おばあちゃんは謝ってきた。
「もっと早くに、忘れる前に言えばよかったのにねえ。貴方も気づかなきゃいけない。ずっとあちらに固執してはいけないのだから…」
時間が無い、と。
「どういう事…?」