割れたスイカ
「あっ!」
不意に吹いた突風の拍子に、スイカが手から転がり落ちた。大きな音を立てて堕ちたスイカは空しくも水路の端に頭をぶつけて赤く染まる。
嫌な感じがした。割れた、スイカ。
──何か嫌なことを思い出しそうな────
「あーあ…スイカがぁ…」これじゃあ光子の夏休みのお楽しみは露と消えた…ことになってしまう。
慌てて拾い集めてビニールの手提げ部分を結ぶ。残念だけれど家に引き返さなきゃいけない。
彼女に電話をして謝らなきゃ。
「かつて日本には狼がいたんだよ。山犬が狼なのか区別はつかないけど、各地で狼に関する伝承は残ってるみたい」
妹はさぞ嬉しそうに答えた。
「狼はイノシシやシカを畑から守ってくれるありがたい獣だったから日本の人たちは狼を神さまとして敬ってきたの。大きな口をした神さま、大口真神って呼ばれてたりしもしてたんだって。炎が消えるまでじっと目を離さないことに由来して火伏せの守護神としても信仰されてたらしいよ」
奥山なら居たであろう変哲もない野獣。それが狼だった。
「日本の神話にも登場してるんだよ。白と黒の狼が道を導いてくれたって一説かな」
「白と黒…」夢物語に登場した不思議な狼を嫌でも彷彿とさせる。きっとどこかで耳にしたことを無意識に夢路で再編してしまったのだろう。
喉に骨がつっかかったから取ってほしいと人に迫ったり、夜な夜な人の跡をつけていったりと古来人との関わりは濃い生きものだったようだ。
あれ、こんな話、あの時したっけ?夢なのかな。
それとも、スイカを割って喧嘩したのが偽の記憶なのかな。
分からない。分からないよ。
──どっちが夢だったんだろう。
代わらぬ日常を送っていた私は一睡の夢をまどろんでいたのか、…夜の明けぬ暗がりをさ迷っている私が夢まぼろしの化身なのか。どちらがどちらなのか見当がつかなくなっていた。
冷たい夜風が吹きすさぶ闇に立ちつくして宛先もなく暮れていると足元にふわりとした温かみを感じた。
「…チョゲ」
「どしたの。急に立ち止まって」彼女曰く急に立ち止まったらしい。
「ううん。と被りを振って掌を見る。
「あんたって狼なんだよね」
「うんそうよー」さも当然の如くチョゲは笑って見せた。写真で目にした姿と確かに似ているかもしれないが、今の私はその記憶が正しいものなのか断言できない。
「…お母さんとお父さんはどうしてるの?山にいるの?」
「いきなりどちたの?サルハチおかしーよ」
そうなのだろうか?
私は彼女の言うとおり歩いていたのだろうか?歩きながら白昼夢を見ていたのだろうか?
暗示をかけられていく煙で前が視えなくなっていく。
「わたちはわたちらのよ」
「知らないの。ご両親ともども」彼女は「狼」の群れの中で育まれたのかもしれない。犬は優しい生きものだと囁かれているのだし、何某の国で狼が人の赤子を育てたという事例がある。両親を亡くした変わり者を「狼」たちは献身的に育てたのだろう。
「うーん。だから、わたちはわたちなの」
戸惑いの混じった様子でチョゲは言う。
「さるはちは家族がそんなに大事なの?」
「……」
彼女の声音の不安と寂しさに気づいてしまった今、どう答えるべきなんだろう。