白と黒の体躯のいい──大型犬である
「クマさん、くるくる」
「えっ?」
「クマさん、ここの周り、くるくる」
チョゲは鼻を引くつかせ、なんともないように言い放った。
走って疲れ果てた体を休めていた矢先にこれだ。
クマは一度認識した食べ物にものすごい執着をもつという。それで悲惨な事件が起きたとテレビで見たことがある。私たちにスイカの匂いがついているのかもしれない。だからスイカをまだ持っていると勘違いしているのだ。
「…嘘。そんなっ」
逃げ切るのは無理だとしても朝を迎えれば、村の人たちに気づいてもらえるかも―なんて浅い希望を抱いていたのに。どうして、上手くいかないの。
「隠れないと…でも逃げた方がいいのかな?ああっどうしよう!」
右往左往しているとガラスが割れる音がした。クマが窓ガラスを割った?
これは退散するしかない。宴会場の窓を開け死に物狂いでダイブする。
地面に叩きつけられ痛みが走る、も、こうしてはいられない。
「あああああああっ!」
一心不乱に公民館から離れないと!「待ってよサルハチー!」
―――
走る元気も失い、足を引きずりながら田んぼ道を行く。公民館からより離れるには住宅地から抜け、必然的にあのホームがある閑散とした無人地帯へ向かう。
しかもチョゲが疲れたと駄々をこね、しょうがなく抱っこすることとなった。重たいし本人も当然だと脱力している。
「みかけないおなごよのぅ。」
いきなりチョゲがトンチンカンなことを言う。
「な、なに?やめてよ。」
この子。悪ふざけなのかまともに喋ってるのかよくわかんない子。まともりもない言葉をえんえんと吐いている。
年齢的にはそんな感じなのかもしれないけど…。
笑い飛ばして夜道を歩く。帰るとこなんてない。というかクマに追われているのだ。この子と一緒に夜中じゅう村をぶらぶらするなんて…ついてない。
「そうじゃそうじゃ。しかしなぜあのおんな。われらのてきとなったのかえ?」
「なに?時代劇で覚えたの?」
「きっとわれらをくいつぶそうとするはんぎゃくのもの。しつまするほかないのであろう。ひきょうもの!」
この気色の悪いもふもふめ。肥やしに落としてやる!
──と腕を動かす前に田んぼの稲から何か黒い塊が左右から…目前に現れた。
私よりは大きくはないとしても塊には重圧感がある。それに獣が唸りを転がすような重音までもがする。
野犬?
チョゲ自体野犬みたいな人面犬なのだし、チョゲの仲間?
本人は自作の鼻歌を披露してこの状況に上の空だ。わざとやってるとしか思えない!
私は少したくましくなった。
この状況下でもすくみ上がらず、足が動くようになったのだ。もうボロボロだ。それでも命には代えられない。憎らしいが体が条件反射で退避してくれた。
全力疾走してその場から退散する。
「わわわわおってきてるぜい相棒~!」腕の中でチョゲが暴れる。爪が腕に当たって痛い!
「あんたの知り合いじゃないの?!反逆者って言われてたじゃんか!」ヤツは口笛を吹いて上の空だ。やはり自作自演だ。ふつふつと怒りが湧きおこってくる。しかし…
今はそうている場合ではない。走って走って逃げきるしかないのだ。
実体をなくしたというのに、私の足は地面を蹴ることしかできないなんて。なんだったらトリになるとか、飛行機になるとかできたらいいのに。息は弾むわ汗はかくわで肉体がなくてもあっても同じだ。
口の中が血の味がする。喉が焼けて痛い。もはや走る気力もなくなってきた。
減速して小走りになっていく。端からそれを狙っていたようだ。
背後の獣たちが息巻いて距離を縮めてくる。獲物の体力がなくなり動けなくなるまで追うつもりだ。惨いけれどそれも自然界での知恵なのだろう。
けれど私は人間だ。霊長類である。頂点に君臨する人間さまであるぞ。
「…私は闘う!逃げるだけが人生の秘訣じゃないの!」
余裕綽々のチョゲの毛が逆立つのを感じる。まさか私が敵に堂々と戦うなんて考えていなかったらしい。ざまあみろと言いたいところだが…月明かりに晒された獣の外見に固唾をのんだ。
野犬だ。白と黒の体躯のいい──大型犬である。
踏切の警報機のライトのような赤がイヌの眼窩にはまっている。ネコが光の反射によって目を発光させるのは知っている。コイツらは違う。
月光によって光っているのではない。自ら眼球をたぎらせて禍々しい色をだしているのだ。
そんな風にみえた。