光子の記憶
「私…なんでスイカ届けてたんだっけ。」はっ、と零れ落ちた言葉に戦慄する。記憶が明滅する如くあやふやになる。このままだと自分が何者なのかも忘れてしまいそうだ。
頭が殴られたようなじんじんとした熱を持っている。記憶喪失というやつなんだろうか?言われのない焦燥感に襲われた。
「光子。スイカ…スイカ畑…光子のおばあちゃん。」頭にある記憶の引き出しを手当たり次第にあさる。光子の祖母はスイカを育てては、近所に配っていた。
「あそこのスイカ畑、とっても実がつまってそうでおいしそう。」
海美が不意に放った言葉が光子と私とスイカを繋いだ接点だった。
クラスの人気ものだったマドンナ・光子とは幼いころから友だちだった。そこまで仲が良いわけでもないし決別したわけでもない。
どちらかというと自然消滅しそうな危うい友情だった。
年を重ねるほど遠のいていく光子の信頼を私はさして危惧していなかった。年賀状も寒中見舞いもその他諸々の連絡も―途絶えなければ。
「あっ猿橋!丁度よかったらあたしのばあちゃんが作ったスイカ、食べってってよ。」
「いいの?」真っ先に手を伸ばした妹を彼女は嬉しそうに眺めていた。
「海美ちゃんスイカ好きなんだね。」
「うん。夏は絶対スイカ食べるって決めてるんだー」パラソルの下でおいそうに頬張る海美を彼女の祖母も満面の笑みでみつめていた。
いろんな野菜が育てられた畑は祖母の趣味だったのかもしれない。もしかしたら市場に売り出していたのかもしれない。
私は正直彼女の祖母がどんなことをしているのか興味がなかった。
あの時の情景を深く覚えているのは―祖母が死んで、膨大な土地と畑が工場になり変わった「事件」があったからだ。
年賀状も寒中見舞いもその他諸々の連絡も途絶えてしまったのは祖母の死もあるのだろうけれど、祖母との思い出の場がいきなり奪われ、見たこともない建物に代わってしまったことだった。
学校に来なくなったマドンナをクラスメイトは不思議がっていた、真実をしらないのならば体調不良なのだろうと独りガッテンしてしまうほど現実はゆったり流れていた。私だけは「マドンナ事件」の真相を知っていた。