四話目模擬戦準備
~太刀風視点~
「球磨型五番艦木曾だ!宜しくな提督!」
「宜しく!」
「・・・子供か?」
「うん!」
「・・・一応だが指揮官としては優秀だ」
「そうなのか?まぁ良いそれは実際に戦うときにわかるだろう」
「・・・」
「あ!そう言えば!」
「ん?どうした?」
今まで忘れていた事があった
「今日父さんが来る!」
「確かお前の父親は・・・元特別攻撃隊隊長だったか」
「そうだよ!」
「・・・なぁ特別攻撃隊てなんだ?」
「昔にあった怨念との戦いの時に怨念の進行を防ぐために作られた隊だな確か終戦後の生き残りは数える程度だったらしいが」
「・・・そんな過酷な部隊の人間か・・・」
「大丈夫!怖くないから!」
「・・・正直戦ってみたいな」
あれ?天龍て戦闘狂だっけ?
パタパタ!
「ポ!」
「ん?鳩?」
「あ!シロ!」
「シロ?」
「父さんが飼ってる鳩だよ」
「ふぅ~ん・・・ん?あいつか?」
「?あ!そうだ!」
「案外見た目が普通だな。もっとコマ〇ドーみたいなの想像してた」
「じゃ、出迎えますか」
「ん?大丈夫だぞ?」
「何時の間に!?」
「父さんらしいや。母さんは?」
「脳筋馬鹿と殴りあいして真っ白に燃え尽きてる」
「・・・あぁ~・・・うんそう言えば父さん!」
「ん?」
「天龍が戦いたいって!」
「え~・・・前線から下がったからな~。多分鈍ってるぞ?」
「大丈夫じゃない?」
「・・・まぁ良いや」
「あ、道場あっち!」
「そうか」
~天龍視点~
暫くして道場についたが
「めっちゃ震えてるが大丈夫か?」
「む、武者震いだ!」ガタガタガタガタ
「・・・そうか」
今更ながらめっちゃ怖い!
次回模擬戦
木曾 (軽巡洋艦)
Japanese cruiser Kiso in 1942.jpg
艦歴
発注1917年度計画
起工1919年6月10日三菱造船長崎造船所
進水1920年12月14日
就役1921年5月4日
その後1944年11月13日に戦没
除籍1945年3月20日
性能諸元
排水量基準:5,100トン
常備:5,500トン
全長162.15m
全幅14.17m
吃水4.80m (常備)
機関オールギアードタービン4基4軸
90,000 SHP
最大速力36.0ノット
航続距離5,000海里 / 14ノット時
乗員450名
装甲
兵装
新造時50口径14cm単装砲7門
40口径8cm高角砲2門
三年式機砲 2基2問
53cm連装魚雷発射管4基
五号機雷150個
水上機 1機
改修時(1944年夏)50口径14cm単装砲5門
40口径八九式12.7cm連装高角砲 1基2門
九六式25mm三連装機銃 4基12門
同連装機銃 6基12門
同単装機銃 14基14門
(合計38梃)
13mm連装機銃1基2門
同単装機銃 10基14門
(合計10梃)
53cm連装魚雷発射管4基
二一号対空用電探1基[1]
木曾は、大日本帝国海軍の球磨型軽巡洋艦の5番艦。艦名は東海地方を流れる木曽川に由来して命名された。
概要編集
活躍編集
1921年、長崎で竣工。竣工後はシベリア撤兵や日中戦争に参加していたが、太平洋戦争開戦後は第5艦隊所属として北方作戦に従事することとなり、1942年のミッドウェー作戦に伴うアッツ島・キスカ島攻略作戦や翌年のキスカ島撤退作戦へ参加する。その後は主として輸送任務に就いた。
航空機搭載編集
竣工時に艦橋下に格納庫と艦橋前に滑走台を設置、陸上機を収容できるようにした。そのため他の球磨型より艦橋構造物が大型化した。以降の長良型、川内型も同様の理由で艦橋構造物が大型化している。しかし滑走台の実用性は乏しく後に撤去、以降陸上機は搭載されなくなった。
他の5500トン型軽巡洋艦は近代化改装時にカタパルトを設置、水上機を1機搭載したが木曾は大井、北上と共にカタパルトを設置せず、水上機は搭載されなかった。
雨水除去装置編集
木曾は1,2番煙突上部にそろばん型の雨水除去装置を設置、このため他艦と容易に識別できる。なお他の5500トン型では球磨がそろばん型のものを煙突3本全てに設置、他の艦との識別点になっている。
某サイトより引用




