若様についた虫を駆除します!
銘尾 友朗さま主催『夏・祭り企画』参加作品です。
少しでも楽しんでいただけますように^^
感想、ポイント評価、ブックマークを下さった方、本当にありがとうございます!
ウキウキと若様の頭髪に、丁寧に櫛を通していた私は、若様の首筋にそれを発見してぎしっ、と固まった。
むしろ固まっただけですんだのは幸いだったと思う。何度も目を凝らしたが、それの存在は消えない。
叫び声をあげたくなるのを、必死でこらえた。信じられない。私の大事な若様に、いつのまにか虫がついていたとは……!
私がお仕えする伯爵家には、御年17才の若様がいる。
薄茶色の髪にブルーの瞳で、明るくて爽やか、聡明で、使用人にも優しい、伯爵家の一人息子。お屋敷のメイド仲間はもちろん、貴族のお嬢様がたにも大人気の、自慢の若様である。
これぞ貴公子! と言いたくなる整った容姿。サラサラの髪をとかすのは、ずっと乳兄妹である私の特権だ。
その若様は、残念ながら普段はお屋敷には居ない。夏期休暇に入り、ちょうど今、全寮制の学園から帰ってきたところである。
「ただいま、サラ。変わりはないかい?」
「お帰りなさいませ、若様。おかげさまで変わりなく」
私はニッコリ笑って言った。
若様が帰ってきたので、私はご機嫌だ。若様が学園で過ごしている間は、皆と同じ仕事をして過ごしているが、私は元々若様付き。若様が居るのと居ないのとでは、やはり気持ちの張りが違うのである。
「サラ。若様じゃなくて名前で呼んで欲しいって、いつも言っているだろう?」
「そんなわけには参りません。若様は、若様ですから」
若様は、乳兄妹である私に甘い。まるで妹を構うように、すぐに私を甘やかそうとする。しかしだからこそ私は、分をわきまえた行動を取らねばならないと、常に自分を律しているつもりである。
頑なな私の返答に若様は苦笑したが、私はその時、若様の様子が常とは違うことに気付いた。少し痩せた気がする。そう言えば顔色もあまり良くない。
「若様、少しお痩せになりました?」
「実は夏風邪を引いちゃってね。この前の川遊びが悪かったのかな。昨日まで寝込んでいたんだ。今朝は熱が下がったから、予定通り帰ってきたけれどね」
「ええ!? 大丈夫ですか? お食事は? 何か食べるものをお持ちしましょうか?」
「食事より風呂に入りたいかな。しばらく入れなかったから、実は頭とか痒くて。お願いできるかい?」
茶目っ気のある口調で頼んでくる若様に、私は一も二もなく頷いた。そこは頼むんじゃなくて、命令でいいんですよ、若様!
「すぐにご用意いたします」
「ついでにサラが一緒に入ってくれたら、すごく嬉しいんだけどなあ?」
あらあら。若様はお風呂は一人で入る派だったはずだが、いつの間に宗旨がえしたのだろうか。
何やらキラキラと、期待に満ちた顔をする若様。冗談半分、本気半分といったところだろうか。前回の帰省ではなかった男の色気も、ちょっとだけ出ている気がする。
……ん? お風呂ってそういう意味?
……いやいや、と私は内心で首を振った。
若様は優しすぎるくらい優しくて、その分色事方面には弱い方だ。肉食系令嬢に3歩押し込まれて、困り笑顔で4歩引くところを、それこそ何度見てきたことか。
まぁ、寮では悩むまでもなく全部一人でしなければならないのだから、たまにお屋敷に帰ってきた時くらいは、楽がしたいのかもしれない。
「若様がお望みなら?」
こてん、と首を傾げて返す。すると、若様は期待外れでガッカリ、という顔をした。
「いやいい。サラ、絶対に意味が分かってないだろう」
「いえ、そんなことは。お背中や頭をお流しすればいいんですよね?」
「いや違う。俺が悪かった。さっきの台詞は忘れてくれ。一人で入るから準備を頼む」
あれ?
私はドキンっとはねた心臓をなだめながら、礼をして退出した。
もしかして色事方面で当たりだった?
……いやいや。きっと若様は、久しぶりの帰省で甘えん坊な気分なのだ。しっかりくつろいで、甘えていただこうと心を新たにする。
お風呂あがりの若様は、いつも通り髪からぽたぽた滴を垂らしていた。お屋敷に居るときは、私がお世話するからいいけれど、学園ではどうしているのだろうか。
もしや、夏風邪などひいた理由はこれか。
タオルで優しく若様の髪を拭う。若様が満足そうに息をついた。
いくらでも甘えてください若様! 冬季休暇ぶりですもの、私だって若様のお世話に飢えています。どんとこいですよ!
櫛を手に取り、丁寧に若様の髪をくしけずった。相変わらず癖ひとつない綺麗な直毛。だけど、毛先が少しだけ痛んでいる。後で整えさせていただこう。
ウキウキと若様のお世話計画をたてていた私は、その時、若様の首筋にそれを発見してぎしっ、と固まった。
それは小さい何かだった。米粒よりもまだ小さい。櫛に押し出されて、若様の髪からポロンと落ちてきたように見えた。
最初はフケかと思ったが、違う。それはモゾモゾと動いたからだ。必死に足をジタバタさせている。背中から着地していたため、その足は何度も宙を蹴り、やっと若様の産毛に捕まって体勢を立て直した。そして、それにとっての安住の地へと駆け戻っていく。
小さな体が、若様の薄茶色の髪の中へ紛れ込んでいくのを、私は呆然と見送った。
…………。
そう言えば若様は、頭が痒いと言っていた……。
事態を理解した私の頭は、その瞬間沸騰した。
いやああああぁぁぁぁ?!
アタマジラミ!!!!!!!!!!
悲鳴をあげて、飛び退かなかった私は偉かったと思う。誰か誉めてください……。
私の報告で、伯爵家の使用人一同に激震が走った。
執事長が用意してくれた特製の薬剤を手に、私は若様の元に戻る。一刻も早く駆除しなければ。
しかし、ハタと我に返って、執事長を振り返った。
「このことは、若様にはお伝えするべきでしょうか?」
貴方にはシラミがついています、と。
……想像するだに恐ろしい。そうしろと言われたらどうしよう。聞いておきながら、私は戦慄した。
執事長は慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「……好きな子からアタマジラミを指摘されることは、恐らく若様に甚大なダメージを与えます。どうせすぐに駆除するのですから、お伝えしない方向で」
「分かりました!」
確かに使用人(私)から指摘されては、若様のプライドが傷つくだろう。言わずにすむと分かり、私は胸を撫で下ろした。
若様の頭髪に、これでもかとばかりに、液体状の薬剤を振りかける。もちろん顔に垂れてはいけないので、手加減はするけれど。
隅々まで行き渡らせなければ、と甲斐甲斐しく櫛を動かしていると、若様が首を傾げた。
「いつもと香りが違うね。ヘアクリームを変えたのかい?」
「そ、そうです! これは特製なんですよ!」
何しろ殺虫成分入りである。
「そうか、サラの特製か。嬉しいな」
あれ? 何か誤解が……。まぁいいか。
「寮生活で、少しだけ髪が傷んでおられますから。丁寧に塗り込みますね」
嘘もついていないし、我ながら自然な説明である。完璧だ。
耳の後ろあたりは、特にしっかりと薬剤をつける。
あああぁぁ! この髪についている白いものは、もしかして卵ではないだろうか。くぅぅ、これは気合いをいれて駆除しなければ。
塗り終わってしばらく時間をおいてから、私はもう一度若様をお風呂に追いやった。薬剤を洗い流してきてもらわねばならないからだ。
そして若様を待ちながら、私は考えた。それは、今後のことである。
こうして気がついたからには、若様のアタマジラミは、早々に駆除完了できるだろう。
執事長の緊急シラミ講座によると、アタマジラミは、吸血できなければ3日程度で死滅するそうだから、しばらく若様がお屋敷に滞在する以上、若様の寮の寝具についているだろうシラミも問題ない。洗濯は切実にしに行きたいけれど。
ということは、残る問題はシラミの感染源だ。
執事長によると、アタマジラミは清潔にしていても、うつるときにはうつるものらしい。では、どうやってうつるのか。
水中でうつると思われがちだが、実はそうではない。水中だと、シラミは髪にしがみつくので、ほぼ感染は起こらない。シラミは頭髪同士の接触や、櫛やタオル、帽子などを共用することによってうつるそうなのである。
何が言いたいのかというと、つまり若様の寮生活で、恐らくタオルを共用してしまうほどの身近に。若様にシラミをうつした、シラミの保菌者ならぬ保虫者がいるだろうということなのだ!
ちなみに、タオル共用以外の感染経路は、私は断じて認めない。例えば寮生同士、つまり男同士で頭髪を接触させている若様……。それは一体どんなシチュエーションなのだ。無理だ。腐の想像力しか湧かない。私は脳裏に過ったものを、プルプルと頭から追い払った。
ともかく。若様の身近にいるシラミ保虫者を特定し、できれば潰しておかなければ、私たちは若様の帰省の度に、若様のアタマジラミと戦わなければならなくなる。
それに第一、私が嫌だ。私の大事な若様が、たびたびあんな虫に血を吸われているなんて!
私は早速、お風呂あがりの若様に、突撃取材を試みた。
「若様。そう言えば、川遊びに行かれたそうですね? お一人で行かれたのですか?」
「いや、仲のいい友人と二人で行ったよ。寮の部屋も近くてね、いいやつなんだ。ちょっと軽いけどね」
キラーン、と、私の目が輝いた。
「せっかくの夏期休暇ですし、その方をお屋敷にお招きしてはどうですか?」
「そうだなぁ。そうしてもいいけど」
「ぜひ! そうなさるといいと思います!」
あ、ちょっと力が入りすぎちゃった。
若様がチローン、と私を見た。
「……興味あるんだ? あいつに?」
あ、何だかまずい雲行き。若様の眉毛が、俺は不機嫌になる一歩手前だぞって言ってる。
私は必殺! 笑って誤魔化せ攻撃を繰り出した。行くぞ! にーっこり。
「だって、若様のお友達ですもの。今までどなたも、連れてきてくださったことないですし。どんな方かなぁって気になるんです」
ふぅん、と若様は呟いた。誤魔化せたかしら、ドキドキ。
でも、できれば会ってみたいんです!
だってその方、絶対に怪しい。
若様の様子からみると、シラミに感染してから、それほど時間もたってなさそうだし。一番可能性が高いのは、やはりその川遊びかなぁと。
「……まぁいいか。声をかけてみるよ」
「はい!」
私は笑顔を大盤振る舞いした。やったぁ、これで、シラミの保虫者を特定できるかもしれない!
私はその時、その喜びの裏で、若様が微妙な顔をしたことには気づかなかった。
数日後、早速お屋敷を訪れてくださった若様のお友達は、とても印象的な見た目の方だった。
若様とはまた違ったタイプの美形だ。
貴公子的な若様とは違って、もっと華やかなイメージで、左目尻の黒子に色気がある。
そして、私の目線は、初めて見たときから、お友達さんの髪の毛に釘付けだった。
何と、長かったのである!
この国では珍しい淡いブルーの髪を、背中の中ほどまで伸ばし、緩くみつあみにしている。その色味のおかげか、真夏でも至って涼しげだ。華やかな印象のご本人にも、よく似合っておられる。
だが、しかし……。私たち使用人一同は目配せしあった。
怪しい。
この方も、学園の寮で初の一人暮らしをはじめた、17才の貴族のお坊っちゃまなのだ。もちろん毎日入浴はしているだろうが、この長髪の隅々まで手入れが行き届いていない可能性はある。
その想いは、しばらく観察していると、ますます強くなった。
何しろこの方、髪に手をやる頻度が異常に高いのである。さすがにボリボリ掻いていることはないが、かきあげたり、撫でたり、引っ張ったり、絶えず髪を触っている。やっぱり痒いのかなぁ、と私はソワソワした。
お茶の支度をしながら、ついつい観察していると、長髪さんと、とうとう目が合ってしまった。しまった、じろじろ見すぎたらしい。
「君が、噂の乳兄妹さんかな? 可愛い子に見られるのは嬉しいけど、俺の顔に何かついているかい?」
「失礼いたしました。サラと申します。綺麗な長い髪に、つい見惚れてしまって。申し訳ありません」
メイドの礼を返すと、長髪さんは成程、と笑う。どうやら気さくな方のようだ。
「男でこんなに伸ばしてるのは珍しいからね。実は俺の家系はね、薄毛なんだよ。だからどうせ将来薄くなるなら、今のうちは楽しんでおこうと思って伸ばしてるんだ」
「さ、さようですか」
この方、将来はハゲるのか……。
私は思わず上がりそうな目線を必死でこらえた。今、生え際や頭頂部を見るのはマズい。絶対にマズい。
私の葛藤を見透かしてしまったらしく、長髪さんはプッ、と笑う。
「サラちゃんっていい子だね。可愛いし。こいつが自慢するのが分かるな」
こいつ、という台詞で若様の肩を叩く。本当に気安い仕草だった。若様も照れ笑いをしている。仲が良いみたいで何よりだ。
「若様が私の噂話を? どうやら誉めてくださってたみたいで光栄です」
「もうね、ベタ誉めだよ。そのサラちゃんに会えるかもと思って、俺も今日のお誘いが楽しみだったんだ。予想以上に可愛い子で大満足だな」
「まあ。お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます」
「こら、サラを口説くなっ」
私はニコニコしながら、さて、どうしよう、と頭を悩ませた。長髪さんは既に大満足らしいが、こちらは残念ながら、まだ肝心の今日の目的を達成できていない。
この長髪さんは、果たしてアタマジラミを飼育しているのか、否か。
このままお喋りをしているだけでは、絶対に分からないので、メイドにはあるまじきことだが、ちょっと踏み込んでみることにした。
「あの……大それたことですけれど、お願いがあるのですが……」
「何かな?」
「本当にとっても綺麗な髪なので、お手入れしてみたいんです。櫛を入れさせていただいてもいいですか……?」
「サラ?!」
若様が、何を言い出すんだ、という顔でぎょっとした。
メイドからお客様に、こんなことをお願いするのが、不自然なことは分かっている。
しかし、他に手がないのだから仕方がない。まさか直接話法で正面突破するわけにはいかないのである。
貴方の頭にアタマジラミがいないか、見せてもらえませんか? などとは。
「何だ、そんなことかい。いいよ。気がすむまでどうぞ」
長髪さんはパラリと髪をほどいた。
「ありがとうございます!」
やったぁ、これで確かめることができる!
若様が苦い顔になっているのが視界の端に入ったが、私は敢えてそれに気づかないフリをした。今は、長髪さんの髪を調べることが優先である。
執事長がこっそりと用意してくれた、お手入れグッズを早速取り出した。
まず、タオルを長髪さんの肩にかけようとして、私は手をとめた。
用意されていたタオルは、白と紺の2色。
少し悩んで、白を手に取る。長髪さんの髪には紺の方が映えるだろうけれど、万が一の場合、紺色のタオルの上に、例のものがパラパラと舞い落ちることになる。それはやはり絵的にマズい。
最も目の細かい櫛を手にとって、慎重に髪の毛に当てると。何やらサワサワサワサワ、と櫛の側で何かが蠢く気配がした。
ひいいいいぃぃぃぃ。
執事長、どうやら大当たりです。
私は意を決して、長髪さんの髪に櫛を入れた。丁寧に、丁寧にくしけずる。櫛が通り抜ける度に、パラパラぽろぽろと降り注ぐアタマジラミ。
私は遠い目になった。これは、何かを考えてはダメだ。少しでも余計なことを考えようものなら、私の心が折れてしまう。無心だ。悟りを開くのだ。はっきり言って、どんなに美形でも、この長髪さんはナイ。あり得ない。
少し話しただけで、内面も気さくで良い方なのだと分かるのに。この降り積もるアタマジラミが全てを台無しにしている。
ああ、若様がこんな風になる前に、気付くことができて良かった……。
私は予め用意していた台詞を口にした。
「髪の毛、少しだけ傷んでおられるみたいです。ヘアクリームをお付けしても宜しいですか?」
「ああ、頼むよ」
言質は取った!
私は殺虫成分入り薬剤を長髪さんに振りかけた。こうなったら、隅から隅まで駆除してやる……! 薬剤、足りるかしら。
「サラ。それは特製のやつかい?」
その時、若様の冷え冷えとした声が響いた。
私がハッと顔をあげると、一見ポーカーフェイスながら、眉毛が不機嫌を主張している若様と目が合った。
あれ……。若様、怒ってます……ね。
「そ、そうです……」
「言いたくないけれど、あれって俺専用だと思っていたんだけれど?」
私はしまった! と手元を見た。そういえば! 若様は、この薬剤を私の特製だって誤解してるんだった……!
つ、つまりこれは独占欲よね?
私は正直に言うと、その時心の中で狂喜乱舞した。
だって私が、若様の髪をとかす役目は誰にも譲らないわ、って思っているのと同じように。若様も私を大切に思ってくれているということなのだ。これは嬉しい……嬉しすぎる。
だが、しかし。この場はどうやって切り抜ければ良いのだ。まさか本当のことを言うわけにはいかないし。
これは特製は特製でも、アタマジラミ駆除用の殺虫成分入りヘアクリームです、とは。
ちなみに製作者は執事長(58才男性)です。
「あ、えっと……」
視線をさ迷わせてしまった私に、長髪さんがブホォッ、と吹き出した。
「すまん、面白すぎて我慢できなかった」
いえ、いいんです! むしろ助かりました!
「お前、そんなに分かりやすい奴だったのか。まあ、あまり責めてやるなよ。借りたのは悪かったからさ」
クックッと笑いながら、若様に取りなしてくれる。やっぱりこの方、いい人だ……!
……シラミ保虫者だけど。
若様はバツが悪そうに、長髪さんに視線を向けた。
「別に責めたわけじゃない」
「そうかぁ? それにしても、このヘアクリーム、今流行ってるのかな? うちのメイドが昨日使ってくれたものと、匂いが似てる」
「そ、そうなんですか。でも確かに、すごく流行ってるんですよ!」
超局所的にですが。
私は長髪さんの台詞を聞いて、反アタマジラミの神様に感謝の祈りを捧げた。それでは長髪さんのお屋敷の使用人たちも、長髪さんの惨状に気がついたのだ!
でもまぁ、それはそうだろう。長髪さんにも、お屋敷にはお世話するメイドがいるに違いないからだ。
恐らく長髪さんのメイドが、アタマジラミに気がついた経緯も、当家の若様と大差あるまい。
と、いうことは……。私はまだ見ぬ長髪さんのメイドに、とてつもない親近感を感じた。
貴女も悲鳴を飲み込んだんですね。合掌。
でも、本当に助かった。これで夏期休暇が終わるまでには、長髪さんの駆除も完了していることだろう。
若様の今後の安全は確保された。私は心の底から安堵した。
ということは、私に残された問題は、後一つだ。
私の最後のミッション。それは。どうにかして、長髪さんの頭を洗い流さねばならないということである。
薬剤を塗りたくってしまったし、何よりこの薬剤は優秀だ。卵には効果がないが、現時点で孵化しているアタマジラミは、ほぼ死滅しているはずである。
ということは、今ごろ長髪さんの涼やかなアイスブルーの長髪の中は、吸血虫の死骸で溢れかえっているはずで……。
……私は自分の想像力を封印した。やはりお風呂は必須だ。さてどうしよう。
先ほどのように、髪のお手入れを言い出すのとは訳が違う。さすがにメイドが、脈絡もなくお客様に、入浴を勧めるのはおかしすぎる。
かといって、例えば若様に使った、「髪が傷んでいるぶん、少し強いヘアクリームをつけたので、お風呂で洗い流してください」という言い訳が通用するとも思えない。
……あ! ちょっと待って!
ここで、私は大変なことに気がついてしまった。
同じヘアクリームを使ったことがバレている以上、長髪さんがお風呂に入っても入らなくても、結局は若様が不審に思うのでは?
……あああぁぁ、どうしよう。逃げ場がない……。
私は追い詰められた。
これは、仕方がない。「あっ!」とか何かにつまづいたフリをして、長髪さんに飲み物でもぶちまけるしかないだろうか。
そこで勢いに任せて、長髪さんをお風呂に叩き込み有耶無耶にする。
しかしそれは、私のメイドとしてのプライドを犠牲にする行為だった。
これでも誠心誠意、メイドとしてのスキルを磨き、若様にお仕えしてきたのだ。
本来、何かを運んでいるときに、転ぶことさえ考えられないのに、さらに運搬物をお客様にぶちまけるだなんて、メイドとしてあるまじき大失態だ。それをわざと犯さなければならないのだろうか。
嫌だ。
若様は、私がそんな失敗をしても、怒らないかもしれない。でも、私が嫌なのだ。
若様の乳兄妹の立場に甘えて、なんちゃってメイドをしているわけではないのだ。私は本当に、大事な若様のお役に立ちたくて、メイドをしているのだ。
それなのに、若様の大事なお友達に……。
私は、思わず滲んでしまった涙を隠すために俯いた。本当に、どうしたらいいのだろう。
「サラ? どうした?」
気づけば、若様が気遣わしげに私を見ていた。
「さっきのを気にしているのか? 本当に責めるつもりじゃなかったんだ。だから泣くな」
「若様……違うんです。ただ……私……」
私は涙で潤んだ瞳で、若様を見つめた。言葉にならない。どう言えばいいのだろうか。
若様が顔を赤くして、慌てたように言う。
「ちょっと待て、そんな顔で俺を見るな。すまん! ちょっと席を外す。サラ、来い」
若様は長髪さんに断ると、私を隣の部屋へと促した。
私は本格的に涙目になりながら、お手入れグッズのカートを押して、それに続く。
二人で向き合うと、若様は真剣な口調で言った。
「サラ、本当にどうしたんだ、急に。いったい何があった?」
「若様……申し訳ありません。泣いたりして。私、今すごく困ったことがあって……。どうしたらいいのか分からないんです。それで…」
「困ったこと? それは何だ? 俺が助けられることか?」
その心優しい台詞に、私はその手があったか! という気持ちでいっぱいになった。
確かに若様なら、私を助けることができる。若様であれば、それでも若干苦しいかもしれないが、長髪さんに入浴を勧めることは不可能ではないからだ。
お願いしても、いいのだろうか。この状況は正直、一介のメイドである、私の手には余る。
私は躊躇いながら、上目遣いで若様を見つめた。きっと涙に潤んだ瞳が、押さえきれない希望を宿してキラキラ輝くのが、若様に見えたことだろう。
「若様……。頼らせていただいても、いいですか……?」
若様は、はっきりと喜んだ。赤い顔をして握り拳をつくり、ふるふると感激にうち震えている。
そして小さくガッツポーズをすると、満面の笑みで、力強く頷いた。
「もちろんだ! サラ、何があった? 俺に何をして欲しい?」
「あの方に、お風呂を勧めていただきたいんです」
「は?」
若様は呆気にとられた。
「風呂? 何でまた……、ああ、あのヘアクリーム、少し強いんだったか。サラ。何故そんなものを使ったんだ?」
……そうですよね……やっぱりそう聞かれますよね……。
仕方がない。
私は覚悟を決めた。長髪さんの頭に吸血虫が棲息していることを、若様に告白しよう。
私は若様に、無言でそっと、長髪さんの肩にかけていた白いタオルを差し出した。
再び意表を突かれる若様。目線をタオルに落とし、そして凍りつく。
「……………」
その場に沈黙が満ちた。
……私は、混乱と動揺のあまり、重大なことを二つ忘れていた。
1つは若様が、一を聞いて十を知ることができる、非常に聡明な方だということ。
そしてもう1つは、アタマジラミ発生を若様に知らせるなと告げた、執事長の慈愛に満ちた微笑みだ。
そのことを思い出したのは、若様が顔を次第に青ざめさせ、尚且つ悲痛に歪めていくのを見てからだ。
「……………サラ……」
今度は若様が涙目だった。
「……はい……………」
「……………サラ……っ」
「……はい……………っ」
「……俺にも塗った、あの特製だというヘアクリームは………、殺虫剤か……?」
「…………………申し訳、ありません……っ」
そして若様と私は、二人で打ちひしがれたのだった。
なお、長髪さんの入浴問題は、何とか立ち直った若様が、剣術の鍛練に長髪さんを誘い出し、汗をかかせた後でお風呂を勧めることで解決しました。
若様と長髪さんが剣を打ち合う姿は、とってもカッコ良かったです。
長髪さんが帰宅する馬車を玄関で見送り、若様と私は屋敷内に踵を返した。
つ、疲れた……。
何て濃い一日だったのだろう。でも何とか、若様のアタマジラミ問題には解決の目処がついた。ちゃんと長髪さんに、お風呂にも入ってもらえたし。
それもこれも、多大な精神的ダメージを乗り越え、手を貸してくださった若様のお陰である。
「若様……、今日は本当にありがとうございました」
私が改めて御礼を言うと、若様は足を止めた。ちょうど自室にたどり着いたところだった。
室内に入ると、ソファーにも座らず、そのまま真剣な顔で、私を見下ろす。
「サラ。正直に言うと、俺は今日、精神的にかなりキツかったんだ。そもそもサラが、あいつを家に呼びたがった時から、嫌な予感はしていたけれど。サラがあいつの髪をとかす姿には嫉妬したし、サラの特製だと思っていたヘアクリームを、躊躇なく贅沢に使われたことにはイライラした。その上、自分がシラミに感染しているなんて、青天の霹靂だったし、更にそれに気づいたのが、他でもないサラだったことは、本当に言葉が出ないほどにショックだった」
うん、こうやって列挙されると、確かに色々と……。
「でも、こうして一日が終わって、一番心に残っていることは何かと考えると。それは、初めてサラが、俺を頼ってくれたことなんだ。俺は、それが嬉しかった。シラミの衝撃なんかより何倍も、嬉しかったんだよ」
若様は私の手を取り、引き寄せた。すっぽりと私を包み込み、ぎゅっと抱き締める。
若様?!
「サラ。俺の役に立とうと、いつも頑張ってくれているのは、有り難いと思っている。でもたまには、今日みたいに俺を頼ってくれないか? サラが忠実で優秀なメイドであろうとするたびに、距離をおかれているようで寂しいんだ」
私は若様の台詞に、困惑しながらも歓喜した。
だって、さっきから、若様は私のことを好きだって言ってる。私の大事な若様が、私のことを好きだと。
私はメイドだ。元から若様とは身分の差がある。だから若様の側にいるためには、優秀なメイドでいなければと思っていた。誠心誠意お仕えしてお役に立てば、ずっと若様の側に置いてもらえるのではないかと。
でも、そうやって頑張らなくてもいいと、若様は言うのだ。逆に、自分に頼って欲しいとさえ。それは、何と幸せなことだろうか。
若様。私もずっと、貴方をお慕いしています。
それが貴方の希望であれば、少しだけ身分のことは忘れ、私も貴方に手を伸ばしてもいいでしょうか。
私はおずおずと、若様の背中に手を回した。皺になるかな? と思いながらも、シャツをきゅっと握る。
「サラ……!」
若様が感激して、私を更にぎゅっと抱き締めた。若様! ちょっと若様! 苦しいです!
有りがたいことに、その抱擁はすぐに解かれた。若様の手が、私の頬に添えられる。上を向かされると、至近距離に若様の綺麗なブルーの瞳があった。
「……好きだよ」
伏せられるブルーの瞳。顔を傾け、下りてくる唇。息が触れる。若様のサラサラの前髪が、私の前髪にかかる。私も吸い込まれるように、目を閉じようとして……。
カッ! と見開いた。
『アタマジラミは頭髪同士の接触によってうつります』
執事長の緊急シラミ講座より抜粋。
私と若様の間に、風が吹き抜けた。
そしてそこには、私に突き飛ばされてガックリと膝をつく若様と、それを必死にフォローする私がいたのだった。
なお、後でこっそり、私が例の薬剤を使って、自分の前髪を消毒したことは、若様にはナイショである。
お読みいただき、ありがとうございました^^