異郷の地
「あの、私の幼馴染が近くに倒れていませでし……」
いざ本題に入り、スノアがフィスの安否をと訊こうとしたときだ。レインへの警戒を解いた安堵で身体の緊張が解れたのか、スノアの胃袋が場違いな栄養摂取を求めてきた。まだよく知らない男の人の前で、大きなお腹の音が鳴り響き、スノアもその羞恥から顔を真っ赤に染めた。
その音はスノアから離れていた医師の耳にも届き、彼はただただ冷静にスノアの状態を分析して言う。
「三日も寝てたんだ無理もない。レイン、外で飯でも食べてこい。ここでお前らが話すのは俺様の邪魔だしな」
「なるほど、そういうことならそうしよう。リルベイン、立てるか?」
レインが促したことから、スノアは立つことを試みるが、右脚へと体重を乗せた瞬間に顔を顰める。立てなくはないが、歩くたびにこの痛みに襲われるのは厳しい。と、正直に男たちへと進言すると、医師の男はどこからか杖をと衣服を持ってきてスノアへと渡した。
「悪いがこれくらいしかないな。後は我慢しろ」
医師に礼を述べた後に、杖を受け取って再び立ち上がる。できるだけ右脚に負担をかけないように上手く杖を使うことで、遅いが歩けるようにはなった。それを見たレインは「よし、大丈夫そうだな」と、頷く。
その後、一度男たちは部屋の外へと出て(医師の男は不機嫌そうだったが)、スノアは患者服から医師が持ってきた衣服へと着替える。それは、今まで修道服しか着てこなかったスノアにとっては、気恥ずかしいことだった。
「うわあ……私がこんなの着ていいのかなあ……」
手に持った服を見て、スノアは申し訳なさに首を傾げる。しかし、外へ行くと決まったのであれば、さすがに患者服のままでは出歩けない。いまだに状況を把握できないスノアではあるが、ひとまずはあの二人に従うことにした。
「それにしても……これ、なんて服なんだろ?」
全体的に黒い服のドレスのような服だった。ところどころに灰色や銀色のフリルがあしらわれており、スカートは膝丈までしかない。長い黒靴下のようなものもあり、それに足を通せば膝上を超えて、太腿あたりまで届いた。頭に装着するであろう飾りも添えられていたが、それは自分にはいらない……いや、可愛すぎると判断し、そっとベッドに置いておいた。
「あ……髪……」
そこで、自分の黒髪がこの服装では隠すことが出来ないことに気付く。修道服であれば、ヴェールで自分の頭髪を覆い隠すことができたが、このままでは多くの人に見られてしまうだろう。どうにかできないかと、焦っていたところに、レインが部屋に入ってきた。
「どうかしたか、リルベイン?」
「ええっ!? ああっと、その……。髪を隠したいんですけど……」
「ん? 髪を?」
スノアがそう答えれば、レインの視線は自然とスノアの頭髪へと向けられる。彼の視線に気づき、スノアは慌てて手で髪を隠そうとする。その様子を見ていた医師の男がくだらなさそうに肩を竦めて言った。
「大方、化物に雑に切られた髪を見られたくない! って思ってるんだろ。これだから、女っていうのはわからん……。そんな下らないことで俺様の時間を無駄に浪費するな! さっさと行け!」
医師の言葉を訂正しようとするが、その前にスノアは部屋から叩き出されてしまった。どうしようかとレインに目線を向けるが、彼は表情を変えずに言う。
「街に出れば、誰も気にしない」
そういった経緯から、二人は殺風景な部屋から出て、薄暗い廊下と階段を上り、鉄扉へと辿り着く。その重い扉を開けた先は、明るい通りから少し離れた路地裏であり、今までいた場所が地下であったことにスノアは気付いた。
「あの……なんで、地下にあるんですか、あの人の家」
「ああ。なんでも、極秘研究所というのは地下にあるのがセオリーだとか言っていたな。……さて、話は落ち着いた場所ですることにしよう。自分の行きつけの店がある。少々歩くが、問題はないか?」
スノアが頷くと、レインは何も言わず先導を始め、二人は街を歩き始めた。
赤屋根の街ルヴィーナ。
その二つ名の由来は、民家の多くが白壁に赤い屋根という装飾を施しているためである。空からこの街を見下ろせば、まるで赤い絨毯が広がっているかのような街並みを堪能できるだろう。その色に負けず劣らず、町民たちも赤く燃える炎の如き情熱で街を盛り立てる。
ルヴィーナは、ボリドア村よりも遥かに規模が大きい。それは、この街が隣国へと向かう前に訪れる主要都市となっているからであろう。そのためか、通りを歩く人の風貌も様々であり、スノアが見たこともない特異な服装の者とも何人かすれ違った。
初めての異文化を目の当たりにし、スノアはその驚きと衝撃に口を大きく開けて「ふへー……」と、感嘆の声を挙げる。
「す、すごい……。これが都会!」
スノアはボリドアの村から出た事がない。
故に、スノアの世界とはボリドアの村と、森と、風吹きの丘で終わっていた。
そのため、多くの人々が住む『街』の光景は、何もかもが新鮮だった。
スノアはいつの間にか自分の黒髪を隠すことも忘れ、ただただ都会の雰囲気に驚く。
「感動するのもいいが、離れないようにしっかりついて来るんだ」
スノアが顔をキラキラと輝かせていると、その前をレインが歩き出す。もうしばらくすれ違う人々とこの街の雰囲気と匂いを味わいたかったが、レインから離れれば元の場所に戻れないことがスノアには容易にも想像できる。そのため、白いマントの後姿を、スノアは杖で身体を支えつつ追って行ったのだった。
通りを抜けて、さらに多くの人が行き来する大通りへと出る。そこでは、人だけではなく、何やら四つの車輪をつけた金属の箱のような物体が動いている。重低音を響かせ黒い煙を吐くその箱は、人よりも遥かに速い速度で通りの中心を走る。気付けば、地面も石畳ではなく、平坦に舗装されており、普通に歩くことが困難なスノアにとっても歩きやすい。
「うわー……! うわー! うわあっ!」
もう驚くようなことは無いだろうと余裕の表情を見せていたスノアだが、自分の予想を遥かに超えるその光景に、まるで子供のようにはしゃいでいる。できれば立ち止って観光したいのだが、先に歩くレインがそれを良しとはしない。そのため、レインについていきながらも辺りを見回し、何かを見つけては笑顔を見せていた。
レインが言う行きつけの店とは、その大通りからさらに路地に入り、しばらく歩くと辿り着いた。その酒場と思わしき店は、赤い屋根に白い壁面という装飾は変わらないが、目立っていたのは店の前に大きな石像が置かれていたからだろう。やけに艶めかしい女の像が二体、向かい合うようにして設置され、店の扉はその二人の間にあった。
まだ日は高く、酒場がにぎわう時間には程遠いためか、店の中からは物音ひとつ聞こえない。閉店の時間帯なのではないかとスノアは疑うが、レインは躊躇せずにその扉を開けて中へと入っていく。その行動に驚きつつ、スノアも扉が閉まる前に滑り込むようにして中へと入った。
スノアの予想通り、店内には誰もいなかった。しかし、それとは関係なしに、スノアは店内の雰囲気に唖然とする。外壁面が白いために内側も白いのだろうという固定観念がありはしたが、まさか店内の壁が全面桃色だとは思わなかった。部屋全体も薄暗く、なぜだか落ち着かない空気にスノアは居心地の悪さを感じた。
「スー、いるか? 自分だ」
このような異常な状況下においても、平静な声色のレインに、スノアは小さく「えっ」という声を漏らす。しかし、彼は行きつけの店と言っていたことから、この店の雰囲気に慣れているのだろうと遅れて気づいた。
レインはスーという人物が現れるのを待っているのか、席には座らず入り口で立ったままだ。できれば早く座りたいと思っているスノアであるが、それを声に出すことは無い。それから数分して、一人の女性が店の奥から姿を見せた。
それは、スノアが息を呑むほどの美女だった。眩いほどの金色の髪には緩いウェーブがかかり、それは背中へと到達している。まるで猫のような丸い瞳に、くっきりと筋が通った鼻。胸元が大きく開いた紫色のドレスを纏い、宝石が散りばめられたネックレスや指を身に着けている。彼女の全身から妖艶な雰囲気を醸し出し、女性としての色気というものを熟知しているかのような立ち振る舞いだ。
「あら? レインったら、こんな昼間から私に何の用かしら?」
スーは、くすくすと笑いつつレインに対し情熱的な瞳を向ける。それに対し、レインは淡々と「飯を食いに来た」と言って、カウンターの席と向かったのだった。
何とも言えない空気にスノアは圧倒されつつあるが、何とかレインの後を追って、彼の隣に座ることができた。右脚への負担が軽くなることにほっとし、顔を上げれば、スーがカウンターを挟んで自分のことを興味深そうに見ていることに気付いた。
「あらあら? レインってば、こういう子が趣味なの? これで、あなたに何度もアタックしている私に諦めろって言いたいわけ?」
「違う。リルベインは、傷ついて倒れたところを自分が保護したんだ。彼女は三日も寝ていてお腹が減っている。スー、何か栄養をつくものを頼む」
端的にレインがそう告げると、スーは「ああ、そういうことね」と納得して微笑んだ。そして、すぐにスノアへと目線を向けると、手を差し出してくる。
「私はスー。この『夢魔の館』のオーナーをやってるの。よろしくね」
「あ、はい。ええっと、スノア・リルベインです。よ、よろしくお願いします」
互いの自己紹介をと供に、二人は握手を交わした。
見慣れぬ光景。
味わったことのない雰囲気。
その最高峰とも思われる場所に圧倒され、スノアは「フィス。都会って怖いところだよ」と不安に思うのだった
スーが二人に振る舞ったのは、簡単なミートソーススパゲッティだった。トマトの深みのあるソースと炒められたひき肉の肉汁が混ざり合い、それが程よい硬さのパスタと絡み合うことで、舌と胃袋が満足だと言ってくる。三日ぶりの食事であり、スノア自身が空腹だということもあったが、すぐに平らげてしまった。最後に水を飲み干すと、スノアは満面の笑みを浮かべた。
「はあー……。美味しかったです。ごちそうさまでした」
「うふふ。お粗末様でした。スノアちゃんったら、本当に美味しそうに食べるわね。この男ってば、何を食べても何を飲んでも不愛想だから、それが美味しかったのかの反応もわからなくてね。そういう風に素直に喜んでいる様子を見るとつくった甲斐があるわ」
そう言って、スーはまだ食事途中のレインの方をじっと見る。当のレインはその目線に気付き、そしてそれが何を言いたいのかも察した様子だが、結局何も言わず再びフォークのパスタとソースを巻き始めるのだった。スーはそのレインの様子に呆れたように肩を竦めると、スノアの前に戻って来る。
「それで、スノアちゃんはどこの出身なの?」
「え? あっと……ボリドア村です」
「へえ、ボリドア? 私もあそこの野菜にはお世話になってるわ。やっぱり、良い土地でつくった野菜っていうのもあるけど……なんていうのかしら、愛情が詰まっている感じがするのよ」
「ありがとうございます! そう言って頂けると、みんな喜ぶと思います」
「いいのよー、本当のことだから」
突然の会話に驚くスノアではあったが、自分の村の作物が褒められたのだから悪い気はしない。照れた様子でスノアは笑っていると、スーはそのまま表情を崩さずに言う。
「それで? 本当はどこの出身なの?」
「……え?」
「ここら辺じゃ見ないわよね、その黒い髪。少なくとも、この国に出身ってわけじゃなさそうだけど……? もしかして、密入国者だったりするわけ?」
突然の言葉に、スノアはたじろぐ。そして、自分の黒い髪を指摘されたことに気付き、慌てて両手でそれを隠すようにして覆う。彼女は、スーが何を言っているのか、その言葉の半分も理解できていない。しかし、この黒髪を責められていると判断し、確実な事実だけを述べることにした。
「そ、その……私、孤児で……小さいときに村の教会の前に捨てられたらしくて……。その、ボリドア村で育ったっていうのは本当なんです! でも、出身はわからなくて……その、ええっと、みつにゅーこくしゃ? とかじゃないんです!」
スノアの必死な弁明に、スーは腕を組む。何かを判断しようと彼女の表情を観察しており、その蛇のような目線にスノアの心臓は大きく跳ねる。そんなとき、スノアに助け舟を出したのは、パスタを食べ終わったレインだった。
「スー。リルベインの言っていることに嘘はない」
「あら? その根拠は何かあるの?」
「ない。あるとするならば、リルベインはまず自分に友の安否を問おうとしてきたことだ」
庇ってもらったことに安堵していたスノアだが、その暴論にも似た根拠に今度は唖然とする。しかし、スーはそれが気に入った様子で、「あらあら」と上機嫌だった。
「まあ、いいわ。意地悪なこと言ってごめんなさいねスノアちゃん。もし、あなたが密入国者だったら、私の店で匿ってあげようかと思ってたの」
「は、はあ……」
「まあ、難しく考えないでちょうだい。ほら、レインと何か話があるんでしょう? 私は奥に引っ込むから、好きなだけお話しなさい」
スーはそう言うと、二人の前に置かれていた皿を取り、店の奥の方へと入っていった。それを見届けると、レインは「さて」とスノアに向き直って、口を開く。
「先ほど、君は幼馴染が近くに倒れていなかったか? と言ったな」
レインからの確認に、スノアは頷いて言う。
「はい。その……こんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが……巨人のような化物に襲われて、その幼馴染は私の囮になったんです。私が彼女を見つけたときには血だらけで……今度は私が囮になったので、彼女がその後どうなったかはわからないんです」
そのときのことを思うと、スノアは心臓がきゅっと握られた感覚に陥る。フィスが生きていると信じている彼女ではあるが、あの怪我、あの出血量から察するに重傷であることに違いはない。早く彼女の元に行き、色々と言いたいこともある。
「だから……私、早く村に帰らなきゃいけないんです。あの……ここからボリドアってどのくらいかかるんですか?」
他にも訊くべきこと、気になることは多くある。
しかし、まずは村へと帰るのが先決だ。
そこだけは間違わないように、迷わないように、レインへと質問を投げかける。
「……そうだな。ひとまず、落ち着けリルベイン」
「と、言われましても……私はっ!」
「その脚じゃ、しばらく遠出は無理だ」
レインに諭すように言われ、自分の右脚を見る。
化物の爪で刺された傷痕は、今でも鈍い痛みを残している。杖を突いてここまで歩いてきたが、それでもスノアの身体の負担は軽くはなく、疲労も大きい。この状態では、長時間の歩行は無理だろう。
「ここからボリドアまでは、歩いて一日というところだ。そこまで遠くはない。しかし、今の君では地獄のような距離だろう。まずは傷を癒せ。帰郷はそれからだ」
スノアの反論を許さない強い口調に、彼女は黙る。
心の内では目の前の男の言っていることが正しいとわかる。しかし、それをすべて受け止めて、「わかりました」と割り切れるほど、心の整理は出来ていない。
納得していないスノアの様子を一瞥してから、レインは淡々と言う。
「……幼馴染の件だが、申し訳ないが自分にはわからない。森の中で倒れている君を見つけて、すぐさまこの街に来たからな。近くに誰かがいるとは知らなかった」
「……いえ、私も無我夢中に走ってましたから、近くにっていうわけじゃないと思います」
レインがこの街にスノアを運んだということは、ボリドアの村よりもルヴィーナの街の方が近いということだろう。それを踏まえて考えれば、スノアが倒れた場所はフィスと別れた場所よりもかなり遠いことがわかる。
「……私は、これからどうすればいいんでしょう?」
誰かに対して訊いたわけではない。
スノアの独り言だ。
村に帰りたいが、この脚ではそれは叶わない。そして、自分を助けてくれたレインたちに、これ以上迷惑をかけることはできない。そもそも、治療してもらい、さらには衣服まで借りている状況なのだ。何らかの形で、その恩を返さねばならないだろう。
スノアがじっと俯いていると、レインはまた淡々と言う。
「ところで、リルベイン。君の話だと、その化物を『聖水』で撃退したらしいな」
「え? ああ……そうですね」
レインの問いに、スノアはどこか遠くを見つつ語る。
「その日の今朝に採取した聖水が、たまたまポケットに入っていたんですよ。いつもなら、教会の保管庫に置いておくんですけど……その日は、楽しみなことがあって、つい忘れてました。それで、襲われたときに苦し紛れにあの化物に投げたら……なんといいますか、溶けるようにして消えちゃったんです」
「……消えた? 撃退、ではなくてか?」
意外にもレインが追及してきたため、スノアは僅かに首を傾げる。あの経験はスノアにとっても夢みたいなものであり、化物に襲われたといっても信じてくれるとは思っていなかったからだ。彼女は何がそんなに気になるのだろうと、疑問に感じつつもレインの質問に頷く。
「はい。私の記憶では……聖水が当たった個所から、身体が消えていきました。最後に頭だけが残って……そして、それも消えました」
スノアは、化物が聖水で消えたということを断言する。
夢みたいな経験であり、夢であって欲しい現実であるが、右脚の傷がそれを否定させない。故に、聖水により化物を消し去ったのも、間違いようのない事実。
レインはスノアの断言に、「ふむ」と端的に応える。そして俯いて顎に手を当てて、何かを考え込んでいた。長い前髪によってその表情を読み取ることは叶わないが、スノアの話を真剣に信じている様子だった。しばらくして顔を上げたと思えば、その目線はスノアをまっすぐに射貫く。
「リルベイン、取引をしよう」
「と、取引……? ……ですか?」
一体何を言い出すんだこの人は、とスノアは警戒する。取引なんて難しいことを経験していないのだから、警戒して当然だろう。レインは、スノアの身構えた様子にも関わらず、取引内容を説明し始めた。
「君は、村にいち早く帰りたい。しかし、脚の傷で思うように動けない」
「……はい。そうです」
「ならば、自分が君を村まで送って行こう」
レインが提示した取引内容に、スノアは驚きを隠せない。「え?」と呆けたように固まってしまい、思考が働かなかった。
「君の脚に負担をかけないようにサポートしよう。一日は厳しいだろうが、二日もあれば到着するだろう。どうだ? 悪くない話だろう?」
確かに、いち早く村に帰りたいスノアにとっては渡りに船だろう。しかし、これは取引だということを忘れてはならない。スノアは頷く前に、レインに問いかける。
「それで……その、私は何を要求されるんですか?」
自分には何もない。何もできない。
村までの送迎に見合う対価など、自分にはない。
それを知っているからこそ、声色は暗くなる。
しかし、レインが要求した対価は意外なものだった。
「なに。君の村の聖水が少しに気になってね。それを調べさせてくれればいい。可能であるならば、分けてもらえると助かる」
「え? せ、聖水……ですか?」
「ああ。どうだろうか。悪くない取引だと思うが」
返事を急かすようなレインの言い方に、スノアの混乱を助長する。確かに悪い取引ではない。むしろ、自分にとっては得なことが多いくらいだ。聖水を調べて何の意味があるのだろうか。そもそも、レインはなぜ聖水に興味が? しかも、化物の存在も信じている様子だ。彼は一体、何者? 自分をどうする気? 本当の目的が別にあるのでは?
いくら考えても、その答えは見つからない。
そして、早く答えなければこの取引が無かったことになるかもしれない。
悩むスノアが決断したきっかけとなったのは、店の奥から現れたスーだった。
「あのね、スノアちゃん」
「え? は、はい!?」
突然、話しかけられ、スノアは飛び跳ねるほどに驚く。
その様子がおかしかったのか、スーはくすくすと笑うと、レインを顎で示しつつ言った。
「この人ね、悪だくみとかする人じゃないわよ。不愛想で、私の愛にも応えてくれない朴念仁だけど、悪い人じゃないわ。きっと、あなたが気負わないように取引って言葉を遣っただけなのよ」
その言葉を聞き、スノアはレインを見る。当人の彼は何も言わず、ただスノアの返事を待っているだけのようだった。そして、彼女はスーの言葉を噛み締め、再び考える。
そう、レインは自分を助けてくれた恩人だ。
そのような人が、自分を罠に陥れるとは思えない。
……いや、むしろ信じるべき人なんだ。
そう感じ、思い、スノアは決断する。
静かに、レインに対し手を差し出し、握手を求める。
「わかりました。その取引に乗ります!」
「……よし、まかせろ」
レインもその手を握り、二人の取引が成立した。
右も左もわからない異郷の地で、少しだけ前へ進めた気がして、スノアは思わず微笑む。そして、そのまま、あることに気付き、慌てて言った。
「あっ。そういえば、その……レインさん」
「ん、どうした?」
「その……お礼がまだでした。助けていただいて、ありがとうございます」
その言葉を聞いたレインは、また無表情で「ああ」と応えるだけだった。
そしてスノアに横にいたスーが、「素直じゃないのよ」と呆れて笑った。
スノアの着ている服は、ゴシックロリータです。