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風吹きの丘にて

 アッドは父親として不合格なところが多いが、こと料理に関しては誰もが認めるほどの実力を持っている。そのため、古い建造物である教会だが、台所に関しては最新の設備が充実しており、そして調味料や料理品の種類も豊富だ。教会経営の小さな利益を、彼はすべて料理関連に充てているのではないかと疑ってしまうほどに力を入れているのだ。


 そんな彼がつくる料理は、味は当然のことながら栄養にまで気を遣っている。貧しい暮らしながらも、スノアが健康的に成長したのは彼の料理の存在が大きい。十六年間、彼の料理を食べている彼女は、すっかり彼の料理に魅了されている。たまに二人が大きな喧嘩をした際に、アッドが「もう、てめえの分の料理はつくんねえぞ!」と言われると、スノアは今までの態度から一転して、泣いて謝るほどに胃袋を彼に掴まれている。


 今朝の朝食は、コッペパンとたくさんの野菜が入ったコンソメスープだ。残念なことに教会にはパンを焼く(かまど)がないために、パンは村のパン工房から毎朝買っている。しかし、それをさらに焼き、バターを適量塗るなどして、スノアの好みに味を調えるのがアッドの仕事だ。コンソメスープに至っては、村で採れた新鮮な野菜を使っており、栄養満点であることに疑う者はいない。身体の芯まで温まる濃い味と、溶けた野菜の香りが混ざり合い、スノアは朝から至福の時間を過ごすことになった。


「そんな後にお弁当つくったものだから……なんていうか私の舌が信じられなくなったよ。おいしいかなあ、これ……」


 自分の手に持っている弁当を睨みつつ、スノアはそう自信無さげに呟く。それを聞いたフィスは「大丈夫だよ」と言って、彼女の頭を撫でるのだった。


 村を出て、鬱蒼と生い茂る森の中の小道。

 スノアとフィスは並んでその道を歩いていた。二人の服装に変わりはないが、スノアに手にはお弁当が入ったバケットが、そしてフィスの腰には一振りの剣が提げられている。


 村から目的地である『風吹きの丘』までの道程に、危険な動物が現れることは少ない。フィスが帯刀しているのは、あくまで用心のためだ。スノアは「必要ないと思うけどなあ……」と言うが、彼女は必要なものだと答えた。


「もしかしたらということもあるだろ? ボクは村を護る防人だけど、でも今日だけは、君を護る一人の剣士だ。この剣は、君を護るために必要なものなんだ」


 鞘に納められた剣に手を添えて、フィスは言う。

 スノアは彼女の瞳に込められた強い意志を感じ、なら仕方ないねと笑う。


「じゃあ、今日はお言葉に甘えて護られてあげようかな? よろしくね、フィス」

「ああ。任せて」


 しばらく森の中を歩けば、道の先の方が開けていることにスノアとフィスは顔を見合わせる。やっと目的地にたどり着いたことがわかり、次第に早足になる。そして、二人は静かな木漏れ日の中から、燦燦とした日の光が降り注ぐ舞台の上へと躍り出た。


 『風吹きの丘』は、名前の通りその丘は一年中風が吹いていることで有名であり、そこからはボリドア村を一望できる。やや村から離れているがために容易に遊びに行ける場所ではないが、ボリドア村が自慢できる名所であることに違いはない。今日は天気も良く、風もそこまで強くはない。ピクニックには最適な場所だといえるだろう。


 二人は、丘の上からボリドア村を眺めていた。

 時折吹く強い風に目を閉じながらも、その光景をしっかりと見る。

 遠くから見れば、小さな村であることがよくわかる。しかし、それは集落だけを見ればの話であり、村に隣接した畑や果樹園を見れば、こんなにも広大な農村はない。風吹きの丘からは、そのすべてを一望することができ、スノアはこの場所がお気に入りだった。


 スノアは、全身で風を受け止めるかのようにしてボリドア村を見ていると、隣にいたフィスに声をかけられる。


「スノア。景色を楽しむのもいいけど、そろそろお昼ご飯にしよう。実はもうお腹が減って仕方がないんだ」

「……もう、フィスは食いしん坊だねー。いいよ、そろそろ食べよっか」


 スノアは、手に持ったバケットを顔の横に持ち上げ、えへへと朗らかに笑った。




 二人は、スノアがつくったサンドウィッチを平らげると、草原に座って静かな時間を過ごしていた。たまにどちらが「そういえば」と話題を挙げることもあれば、ただただ風の音だけが丘に響くときもある。しかし、二人の間ではお互いの沈黙さえも心地よいものだった。


 そして、何度目の「そういえば」かわからないが、フィスが唐突に言う。


「スノアは、これからどうしようと思ってるの?」

「えー? そうだね。もうちょっとここでゆっくりしてから、村に戻って……それで、オルダーさんのところのお手伝いでもしようかな。最近、腰痛めて大変だーって困ってたし」


 フィスは苦笑いをしながら「違う違う」と首を横に振る。どういうこと? と、スノアがフィスを見ればその顔に真剣味を帯びていることに気付く。彼女にはその質問の意図がわからないが、フィスが大事な話をしようということだけは伝わってきた。


「ボクが言いたいのは、これから先、スノアはどういう生き方をするって話だ。この先……将来はどういう風に考えているのかなって、気になったんだ」

「……将来?」


 フィスが発した単語を呟き、自分の中で反芻する。

 その合間に、フィスは自分自身のことについて語り始めた。


「ボクは、この村の防人として、この村で生きていく。大きな事件がない村だけど、防人として必要なときは絶対にやって来る。そのとき、みんなが平穏に暮らしていく村を、自分の手で護りたい。護っていきたいって思う」


 スノアは、そう語るフィスの遠くを見る横顔を見て、驚く。

 幼馴染として供に育ってきた友人であるが、そんなことを考えているとは思いもしなかったからだ。

 皆の知るフィスは、責任感が強く、愚直ともいえる真面目な女性だ。しかし、それは対外的な顔であり、本来の彼女は怠けるときはとことん怠け、計画性のない呑気な一面もある。そんな彼女を知っているからこそ、将来について真面目に考えていた彼女に驚いたのだ。


 スノアの表情から、そのことに勘づいたのか、フィスは恥ずかしそうにはにかむ。


「まあ、ボクだって、そういうことも考えるよ。といっても、父上に将来について訊かれたのがきっかけだけど。……それで、スノアはどうする? 何か考えてる?」


 再び問われた質問を受け、スノアは自分自身と向き合う。

 特別、何かしたいことがあるわけではない。

 別段、得意なことがあるわけでもない。

 修道女として、教会の教えを説く道もあるが、あの不良神父の元ではそれは叶わないだろう。それに酒を呑んだアッドの口から、「教会の神父の仕事なんてクソくらえ!」と聞いたときに、教会に仕えるのは素直に嫌だとも思っている。

 

 スノアには将来に対する、希望や夢がない。

 このままの平穏な日常がずっと続けばいい、そう思い、願っているだけだ。


 じっと、返答を待っているフィスを見て、スノアはゆっくりと話し始める。


「まだ……わからないよ。今まで、そんなことを考えたこともなかった。ずっと……花たちの世話をして、オルダーさんたちの農業の手伝いをして、アッドのご飯を食べて……そういう毎日が、ずっと続いていくと思ってた」


 変わらない、変えられない。

 そんな、いつもの日々が続いていくと思ってた。

 それが普通だと思ってた。

 

 フィスはスノアの話を否定しない。むしろ、肯定する。


「別に、無理にその日々を変える必要はないと思う。今の毎日が苦しかったり、嫌なことがあって耐えられないわけじゃないだろ?」

「うん。そんなことない。むしろ、楽しい毎日だよ」

「だったら、そのままでもいい。……というより、ボクは君とずっと一緒にいたい。村の防人で、村のことを護るのがボクの使命だけど……本当は、君のことを護りたいだけなんだ」


 フィスの突然の言葉に、スノアは「え?」と彼女の顔を見る。

 その驚いた様子に首を傾げたフィスだったが、自分が何を言っているのか自覚し、顔を真っ赤にして慌てふためく。


「いや、これはその……そう、親友として! 幼馴染として! 大切だってことで! その……ずっと仲良く過ごせればボクとしては満足で……それ以上は望まないっていうか、いや、そういうわけでもないんだけど……」


 最後には声がか細くなり、顔を紅潮させたまま俯くフィスに対し、スノアは「えい!」と言って抱き着く。再び驚き、「え? え?」と混乱している様子のフィスの目前、ほぼゼロ距離までに顔を近づかせ、スノアは言う。


「私もフィスのことが大切だし、ずっと一緒にいたいと思ってるよ? 当たり前じゃん。……孤児の私を、この黒い髪の私を受け入れてくれた……大好きな幼馴染だもん」


 そう言うと、そのままスノアはフィスの胸元に顔を埋めて、にへらと笑う。その可愛らしい仕草と「大好き」という単語に悶絶するフィスは、自分の両腕がフリーであることに気付いた。そして、フィスの脳内で論争が始まる。


 このまま自分から抱きしめるか? いや、さすがにやりすぎじゃ……? でもスノアからやって来てるわけだし、自分からやっても自然では? むしろ、抱き返さないとか不自然では? それに、大好きって言葉ももらったし。待て待て。彼女の大好きは自分の大好きとは意味合いが違うだろ。勘違いするな勘違いするな勘違いするな。彼女の行為と好意を裏切るな。頑張れ、ボクの理性! 暴走を食い止めろ!


 ……という葛藤の末、フィスは言う。


「ス、スノアさん? そろそろ離してくれませんでしょうか。ちょっと、恥ずかしくて……」

「えー? だって二人しかいないのに恥ずかしがる必要もないでしょ。……しかし、それにしても……」


 フィスの背中に回っていた手が離れて、その瞬間フィスは「あっ……」と小さく残念そうな声を出した。そして、自分は何を言っているんだ、いや何を考えているんだ! と、その愚かさに頭を抱える。そんな余裕のない彼女に、スノアの魔の手が伸びた。


「えい!」

「ぎゃふっ!?」


 スノアの両手はフィスの胸部、つまるところ彼女のバストへ添えられていた。そして、何かを確かめるように丹念に両手の指をわきわきさせる。


「ちょっ! スノア!? 何をしてっ! んっ! く、くすぐったいって!」

「……フィスって、背は高いのに、ここだけは全く成長しないよね。全く膨らみを感じない、ぺったんこのままだよ。たまに、本当は男の子なんじゃないかって思っちゃう」

「女だ! ちゃんと女だって! スノアもボクの裸を見たことあるだろう!」

「でもほら、自分のこと『ボク』っていうし……いつの間にか、男の子になってたり……?」


 そんな会話をしつつも、スノアはスキンシップを止めない。むしろ、フィスが嫌がる表情を楽しんでいるようにも見える。

 フィスといえば、胸を揉まれている羞恥心と、それがスノアの手であるという喜び、そして喜んでいるという自分への背徳心、妄想していたシチュエーションが実現した、などなど色々な感情が脳内と心内に渦巻いて、ついに限界を迎える。


 そして


「うがああああああ!」

「うわわっ! フィスが怒った!」

「よくもやってくれたな! スノア! お返しだ!」


 と、フィスを混乱させていたすべての感情を怒りへと昇華することで、彼女なりに自分を誤魔化した。内心は暴走する寸前だったのだが、彼女の強固な理性がそれを押し留めた。


 その後、丘の草原の上で、フィスが追いかけてスノアが追われるという、なんとも子供めいた光景が繰り広げられた。その結末として、フィスがスノアの上に覆いかぶさるように押し倒し、またもやフィスの理性が問われる事件が発生するのだが……それはまた、別の話である。


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