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始まりはここから

「先生!!!」

呼ばれて、老齢の男が振り返った。だだっ広い廊下の奥から、小さな子どもの走る足音が響いてくる。

やがて足音が男の前で止まると、まだ幼い少女は、目をらんらんと輝かせながら男の腕をとった。

「先生、質問があります!」

「そのまえに、廊下を走ってはいけませんよ、ミモザ様」

「ごめんなさい! でもわたし、どうしても質問したくて!」

男は苦笑した。このお嬢様の探究心には、ただただ脱帽するばかりである。

「何の質問でしょうかな?」

「さっきの講義についてです!」

ミモザは半ば叫ぶようにして言った。

「先生、さっきの講義の最後に、政府保安庁について仰ったでしょう? あのことを、もっと詳しく伺いたいのです!」

「政府機関のこと……ましてや保安庁など、王貴族であるミモザ様にとっては何ら関係のあることではありませんよ?」

「いつか必要になるかもしれないじゃないですか!」

言い寄られて、男は頭をかくしかなかった。話したのは迂闊だったと後悔するが、いまさら遅い。

男は、ミモザの目の高さに合わせて腰を屈めると、ゆっくりと口を開いた。

「政府保安庁というのが、政府機関の一つであることは先ほどお話しましたね?」

頷くミモザ。

「悪い人々を捕まえるお仕事であることも教えていただきました」

「そうです。国を脅かすテロ組織であったり、不正に物品……時には人なども取引する組織を取り締まります」

「物を盗んでしまったり、人を殺してしまったりしたときはどうなるんですか?」

「大きな事件であれば保安庁の仕事になりますが、ほとんどは警法庁の仕事になります。保安庁は、あくまでも国全体を見守るのです。まあ、そうなったのは随分最近のことではありますが。」

「最近………?」

そう言ってミモザが首を傾げるのを見て、男ははっとして頭を抑えた。言わなくても良かったことを言ってしまったのは、これでもう二度目だ。

「………そう、最近なのです」

開き直って、男は続けた。

「そうなった理由は保安庁の人間………それも限られた人物しか知りません。それほど重要で、大切な秘密なのです」

「先生は秘密をご存知なのですか?」

「………はい。しかしこればかりは、ミモザ様といえど教えることはできません。もし知りたいのなら………」

「なら?」

「………いや、これ以上はまだ早いでしょう。それに先程も申しましたとおり、ミモザ様はこのようなことに関わりは持ちますまい。老いぼれの戯言として、お聞き流しくだされ」

優しい言葉だったが、有無をいわさぬ口調に、一瞬だがミモザの反応が遅れる。その隙に、男は「では」と身を翻すと、振り返らずに去っていった。

一人残されたミモザ。

「………保安庁…」

ポツリとつぶやいた言葉は、柱の陰に吸い込まれて消えていった。



そして月日は流れ、15年後。


「………第31条、保安庁保安部最高幹部は五名とし、遺憾なく事が進行するよう取り計らうことを義務とする……」

ふと呟いて、ミモザははっと口を抑えた。

冬に受けた国務試験のなごりだろう、空いた時間に国家保安法をつぶやく癖は抜けきっていない。だがこうした癖がつくほど勉学に励んだからこそ、保安庁の特務機関であり、その倍率は100倍とも言われる超難関、保安部に合格できたのだ。しかも、たった五人しかいない幹部の一人として。

彼女は今年で20歳。まだ保安庁が出来てから17年しか経っていないといえど、この若さで保安部に配属されるのは、史上初と言っても過言ではなかった。

ふいに、ぼうっと見つめていたバスの車外がぱっと開けた。バスが小高い丘の上の切り立った崖を沿うように走り始めたのだ。

ミモザは息を呑んで目に映る壮大な景色を見つめた。ミモザの故郷であるジナンス領の古典的な建物の並ぶ風景とは違って、ここレイジアン領は近代的な建物が並んでいる。縦横無尽に張り巡らされた道路、高層ビル―――――なにもかもが、ミモザにとって新鮮だった。

やがて、バスはゆっくりと停車した。終点アイロニアへの到着を、無機質なアナウンスが告げる。

ミモザは優雅にステップを降り降車すると、その目の前にそびえる建物を見据えた。

むき出しのコンクリートの外壁、敷地内を行き交う軍服を着た人々、はたから見てもわかる厳重な警備体制――――。

「―――――保安庁―――」

やっと、やっとここに来た。父の反対も、貴族としてのジナンス家の名前も、生まれつき持っていた恵まれた環境の何もかもを捨て去ってでも来たかった、この場所に。

ゆっくり息を吸う、吐く。

「――――――よし。」



貴族令嬢ミモザ=ジナンス。

彼女は今日―――――――名前を捨てる。


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