第六十二.五話 元悪役令嬢の暗躍
ローゼマリーの話です。悪役令嬢の面目躍如?
「ねえ、ゴットハルト様。キスして」
二人きりになると、ボクは必ず王子様にキスをおねだりする。
上向いて、目を閉じるボク。
ゴットハルト様は優しく微笑んで、唇を落とす。
今日は閉じられた瞼の上。……昨日は頬。その前は……どこだっけ?とにかく唇ではない。彼はソコにはくれない。
ボクが、「いつになれば本当にキスをしてくれるの?」と聞けば、彼は決まってこう答える。「結婚式を挙げたらね」。
ゴットハルト様は優しい。
キスした後はボクを見つめて、頭を撫でてくれる。
でも……。
ボクはこっそりため息をついた。
「えーっ。ゴットハルト様、優しいー。それにローミの事、とっても大事にしてくれてるじゃない」
マーレは、ハンナが焼いたお菓子をほおばりながら言う。
ここは寮内のボクの部屋。ソファに体を沈ませて、くつろいでいる。彼女の部屋は、個室とはいえメイドの付添は許されていない。
だからボクたちが二人で会うとすれば、この部屋が多い。お菓子とお茶を楽しみながら、夜まで話は尽きない。
入学してから、マーレと話す機会は激増した。彼女と話すのは楽しくて、つい実家に帰る日数が減る。マーレもあまり帰っていないのではないかしら。
「ええ、王子様は優しいわ。……優しすぎるのよ、心配になるほど」
ボクの言葉に彼女はきょとんとしている。
マーレは多分、前世で死ぬまで処女だったんだろうな。
正面の彼女を見ながら思う。本人が聞いたら、顔を真っ赤にして怒り出すだろうケド。ボクは口に出さずに嘆息した。
前世で。
付き合ったら、いや付き合う前でも。好きになったら誰とでも寝ていた。
それが当たり前だった。
だって人間だもの。好きになったらそうしたいと思うのは当然でしょう?
躰を合わせた時の充足感……。マーレはアレを知らない。
首を横に向けて、頬杖をつくように口に手を当て嘆息する。
ゴットハルト様はそう思ってくれない。
ボクが彼を欲しいと思っていても、彼はボクを欲しいと思っていないのだ。
王子様は王から決められた婚約者だからボクと結婚してくれる。
では、王がボクとの婚約を解消して、違う婚約者を連れてきたら?
……多分ボクにしたのと同じように、彼はその人を婚約者として扱うのだろう。
優しくキスして……、頭を撫でて……。
耐えられない。
ボクは顔を覆った。マーレがびっくりして飛んで来る。
彼女はボクの隣に座り、頭を抱いてくれた。
「……ローミ、貴女心配し過ぎよ。大丈夫、王子様は貴女の事が好きよ……」
分かってないのはマーレの方だよ。
ボクは黙って彼女の胸を借りて泣き続けた。
「やはり先日の王子様暗殺未遂事件は、隣国の宰相が黒幕だったのね」
マーレの胸でさんざん泣いた数日後。
久しぶりに実家に帰り自室のソファでくつろいでいると、ハンナが報告に来た。
各国に放った侯爵家の影。
彼らはあらゆる手を使って情報を集めてくる。
ハンナはソファの脇に立ち、報告を続ける。
「隣国の老王に王子はおらず、今年7歳になる王女が一人いるだけ。甥が三人おり、それぞれ自分が王位継承者にふさわしい、王女の婿には自分を、と争っております。
しかし、傍目から見ても彼らは王の器ではない。病の老王が死ねば確実に国力が減ると焦った宰相が、こちらの力も削いでおこうと王子様を狙ったようです」
そうか、老王は病気だった。
以前の報告を思い出す。
ボクは前世で医者だった。症状を聞いて、それは死病と判断した。
早ければ1か月以内。もっても1年……。
その時からもう1か月以上は経っている。
ボクはローテーブルから紅茶のカップとソーサーを取り上げ、一口飲んだ。
静かにそれを、膝の上に置いたソーサーに戻す。
ゴットハルト様が死ねば、この国は混乱するだろう。何しろ王と王妃には彼しか子供がいない。王位継承権は彼の従兄弟に行くだろうが、彼らは凡人でゴットハルト様ほどの人物ではない。
だからこのまま放っておけば、隣国はまたゴットハルト様を狙うだろう。
「ハンナ」
ちらりと横目で彼女を見る。
全てを心得た彼女は、静かに頭を下げた。
数日後、隣国の宰相が毒殺されたという情報が国を揺るがした。
「これで隣国に有能な人間はいなくなった。残りはおべっかと追従が取り柄の無能者ばかり……」
目の前のローテーブルに置かれた燭台とワイングラス。グラスの中には真っ赤な赤ワイン。
再びハンナの報告を受けるボクは、夜の闇の中で揺らめくろうそくの炎を見つめた。
いつもは煌々(こうこう)と魔法の光を灯すシャンデリアを点けるが、こんな報告を聞くには明るすぎる。燭台に置かれた三本のろうそく、このくらいがちょうどいい。
グラスを取って、一口飲み下す。喉と胃を刺激するアルコール。
「これで当分、我が国へ暗殺者を向かわせようなどと思いもしませんでしょう。
……一つ、ご相談申し上げたい件がございます」
改まって言うハンナに、ボクは目で何事かと問いかける。
しばらく逡巡するように黙っていたハンナだが、意を決したように話し始める。
「アマーリエ様の事です。
『救国の乙女』、『雷の女辺境伯』。今やこの二つ名が轟き、王子様の婚約者に推す声も高まっております……」
知っているとも。
ボクは目を閉じた。
アマーリエがその名を上げる度、貴族共が囁く声はボクの耳に入っている。諂う令嬢共が、仕入れた噂を声高にボクに聞かせてくるのだ。
しかし。
アマーリエにその自覚はない。彼女の行動がボクを追い詰めているなんて、思いもしない。
そもそも。
『救国の乙女』も『女辺境伯』も、彼女が望んで手に入れた物ではない。そう呼ばれるきっかけになった出来事は、ボクがお願いした事だ。男爵領に行って、『甦りの聖女』を確認してきてほしいと……。
ゴットハルト様の暗殺を防いだのだって、ヤン・アーレンに師事して訓練した賜物だ。それはボクが洞窟迷路に連れ出したのがきっかけだし。
「何らかの手を打った方がよろしいかと存じます」
「何らかの、手?」
ハンナの言葉に、ボクはぼんやりと聞き返した。
黙るハンナを見上げる。ほの暗い闇の中、彼女の顔がろうそくの炎に浮かび上がっている。その表情は暗く、目が異常な光を宿している。
「……宰相と、同じように……」
ばんっ。
ボクが思わず叩いた机の音に、びくりと彼女は体を震わせた。
ろうそくの炎が揺れる。それを見つめながらボクは言った。
「彼女はボクを裏切らない。
アマーリエに手を出すな」
ハンナはしばらくボクを見ていたが、ボクがこれ以上何も語らないと分かるや一礼して退出した。
机をたたいたのと反対の手に持っていたグラスから赤ワインが少し零れ落ちて、ボクのスカートに染みをつけていた。
アマーリエ……。
ボクはローテーブルにグラスを置いて、ソファに身を預けた。
揺れる炎が映る、天井を見上げる。
キミはボクを、裏切らないよね?




