第五話 ほろ酔い
「わたくしはものごごろついた瞬間から、前世の記憶がありましたわ」
しっとりとグラスを傾け、ローゼマリーは言った。可憐なネグリジェを着てきっちりと正座をし、一寸の隙もない。スルメはハサミで一口大に切っている。かじるなんてとんでもない、だって。
「最初はあいまいでしたの。夢の中をふわふわ浮いているような。しかし、しばらくしたら現世と前世の自分を自覚して、転生に気が付きました。
それからは努力いたしました。なにしろ主人公が選択肢を間違えなければ破滅する役なのですもの。そうならないためには実力と人望を得るしかありません。
謹慎、蟄居、修道院、追放そして処刑……それらのエンドを防ぐためには家族の理解・協力が不可欠。ゲームでは侯爵令嬢としての自覚も無く、権力をかさにわがまま放題。侯爵家の面目をことごとくつぶしてきました。挙句には家族から助命嘆願も刑の軽減嘆願もしてもらえず、見捨てられてしまいました。なので侯爵家令嬢として恥じない礼儀作法を身につけ謙虚を第一とし、お父様とお母様を大切にして愛と信頼を得ました。今では甘やかしすぎなのではないかと思うほど、お父様とお母様はわたくしを大切にしてくれます。
次に実力です。学問については前世の方が進んでいたこともあり、歴史以外は問題ありませんでした。そこでとくに前世になかった魔法の習得に力を入れ、結果ゲームで言えばすべてのゲージがMax。
もちろん美貌も磨いて、実力・人望共に最高の侯爵令嬢ローゼマリー・エーレンフロートが誕生したのです」
はー。
パチパチパチ。
ため息つきつつ拍手した。
「って、悪役令嬢が着々と力をつけて主人公の地位を脅かしているのよ。なぜ拍手なんかしているの、危機感をもちなさい危機感を」
あきれ果てて元悪役令嬢、今は立派な侯爵令嬢が言う。
しかし、ねぇ……
「いやだって……今まで13年間、決められた運命を変えるべくずっと努力してきたわけでしょう?すごいことだわ」
鼻白んだ様子でローゼマリーは横を向いてグラスをあおった。私は日本酒の瓶を取り、空になったグラスに注いであげる。
「……なんか調子狂いますわね。
あなたはどうなんですの。まさか主人公という立場にあぐらをかいて、何も努力してこなかったなんてことないですわよね?」
照れたのか、つっけんどんに聞いてくる。しかし努力も何も……
「私が前世を自覚したのはつい先日、あなたが初めて訪ねてきたあの日よ。だからこれまでのアマーリエ・ベルは何も知らない普通の女の子だったのよ」
ローゼマリーは驚いて、手に持っていたグラスを下ろした。
「あの日?あの日に記憶を取り戻したって?……同じ転生者でも随分差があるのね。
でも、あなたが記憶を取り戻したのはわたくしの行動が関係しているのかしら。あの日、同じ転生者である私があなたを訪ねたから……?
何か、大いなる意志というものを今なら信じられるわ。何しろ乙女ゲームの世界に転生なんていう不思議が実際に起こっているのだから」
……大いなる意志、かぁ。確かに転生の当事者になった今なら信じられるかも。
私は日本酒の瓶をさらに相手に差し向ける。ローゼマリーはくいっとグラスを開けると、こちらにグラスを差し出した。
「まあ、そんなわけで私は何もしていません。記憶を取り戻した今、士官学校に入る前に魔法くらいは覚えようかなと思っているけど。いろいろ便利そうだし」
こちらの魔法は基本的には自然界を構成する4つの要素、火・水・風・土を使用している。これは4大魔法と呼ばれる。それと生を司る神の神力を借り受けて行使する白魔法があるが、これを使える者は神に身をささげた神官など少数しかいない。外法として死を司る神の力を借りる黒魔法もあると聞くが、現在認知されている限り使える者はいない。
ゲームの中では私の魔法は少々特殊だった。普通の者はいずれか一つに秀でているものだが、私はすべての4大魔法が同じように使える代わりに、あまり強力な魔法は使えない。その代わりに、手を繋げば自分の魔力を人に貸すことができる。増幅の能力。それは攻略対象と手に手を取り合って敵を倒すとか、イベントに便利に使えた。
「ふん、そうね。魔法くらい使える方がいいわ。今から努力しても到底わたくしには及ぶはずもないし。でも協力してもらうならいろいろ使えた方が便利だし」
……なんかローゼマリーさん、酔ってますね?いろいろ言ってはいけない本音が出ちゃってますし、かなりネグリジェが着崩れてきちゃってますよ。最初正座だったけど、今じゃペタンとおねえさん座りだし。
……面白いからどんどん飲ませてやろう。