第四話 男爵家の別荘
深い森の中の小道を馬車で走ること小一時間。途中国境警備隊の砦の近くを通り過ぎ、崖の上の別荘についた。外見は日本語で表現するなら、推理小説やサスペンスドラマに出てきがちな山の中の洋館。南の窓からは男爵領が一望でき、逆側は峻嶮な山になっている。幾重にも連なる山々は魔山脈と呼ばれる、魔族領と人間領との境目だ。ここは一番人間領に近い山であり魔族を警戒して厳重な砦もあるので、魔族はもとより用のない人間も近寄らない。密談にはもってこいと言える。
「良い別荘ですわね、アマーリエ。静かなところが特に」
「気に入っていただけて光栄です」
ローゼマリーも申し分ないようだ。私たちの馬車の後から、メイドや従者の乗った馬車2台と侯爵家から使わされたローゼマリーの護衛を乗せた馬車と騎馬が次々と到着する。
別荘の前には、老夫婦が立っていた。
「じいや、ばあや!久しぶりね。元気そうで何よりだわ」
私は満面の笑顔で駆け寄り、じいやに抱き着いた。アマーリエはこういう、天真爛漫キャラなのよ。記憶を取り戻した私は、心の片隅で恥ずかしいとかオーバージェスチャーとか思っちゃうけど。
「まあまあ小さな子供の用に……お嬢様はお変わりありませんねえ」
次にばあやに同じように抱き着くと、嬉しそうに彼女は言った。
「じいや、アレは手に入ったかしら?」
私は早速聞いた。先に人を遣わして侯爵令嬢を迎え入れるべくいろいろ用意をお願いしていたのだ。
「はい、お嬢様。手には入りましたし、おっしゃる通りにしてございますが……」
私の問いに、困惑気にじいやが答える。私はにっこりと笑んだ。準備は万端のようだ。
「あ、紹介いたしますわ。幼少のころ、私の世話をしていた者たちですの。今はこの別荘の管理をしております」
じいやとばあやは、侯爵令嬢に恭しく挨拶をした。鷹揚にそれを受けるローゼマリーを、別荘の中に迎え入れる。
別荘の中が一気に華やかに、賑やかになった。
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「では、朝までお話ししましょうか」
にっ、と挑戦的な笑みを浮かべるローゼマリーに私はうなづいた。
早めの夕飯を終え、「これからお友達同士二人でお話ししたいの。私たち気が合ってお話ししだすと止まらないから朝までお話ししちゃうかもしれないわ。お茶も何もいらないから、もう休んでくださいな」と皆に言い渡し、二人で私の部屋に籠ったところだ。じいやとばあやは離れに住んでいるし、お客様の従者用の離れも別にある。侯爵家から来たお供の人たちの一部はこの部屋から一番離れた一室に詰めてもらった。これで二人の話声は誰にも聞かれない。
「じゃ、ちょっと準備するから」
「は?準備?」
疑問の声を上げるローゼマリーに答えず、部屋の片隅に立てかけてあった敷物を床に広げる。次いで小さなテーブルを置き、オードブル的なつまみとじいやにお願いして手に入れたものを皿に盛る。ローゼマリーもスリッパを脱いで敷物の上に座った。
「なんかピクニックみたいね。あれ?これって……するめ?」
「ふふふふふ……」
自分でも不気味な声が出た。ちょっと引かれた。でも、気にせずに彼女の前に陶器の瓶を掲げる。
「なによ、これ?」
「ささ、グラスをお取りください姫様」
いぶかしげながらも素直にローゼマリーはグラスを手に取った。コルク栓を抜き、慎重に注ぐ。
グラスの中はほぼ透明な液体で満たされた。ローゼマリーはグラスを明りに透かし、そしてにおいをかいで目を見張る。少し口をつけて、驚愕の声を上げた。
「えっ、これって日本酒??」
正解。
「なぜ?この世界ではお酒と言ったらワインで、米から作られるお酒はなかったはずなのに……」
ローゼマリーの困惑の声に種明かしする。
「確かにお酒としては流通していないわ。でも、こちらの世界にも米はある。魔山脈から流れて来る川は水量が豊富で、男爵領では稲作がおこなわれているの。そしてそれを利用して酢が作られているのよ」
ローゼマリーは納得してうなづいた。
「なるほど。酢を作っているなら、酢酸発酵させる前の状態の酒が手に入るわけね」
「もっとも白濁したにごり酒の状態だったから、ばあやにお願いして不純物が沈殿している状態で上澄みをすくってもらったの。するめと言ったら日本酒でしょ」
腹を割って話すには、飲ませちゃうのが一番。ちなみに日本ではお酒は二十歳からだけど、この世界では年齢制限はない。大体社交界に出る頃にはみんなが飲み始める。私たちも今年が社交界デビューだし、かまわないでしょ。
「うわー、懐かしい……。ワインは飲んでるけど日本酒はこっちに来てから飲んでないや」
くいっ飲み干すと、黙ってグラスを差し出した。
おねえさん、いける口ですね……なみなみ注いでやった。
「おっとっと。」
美少女から思わずこぼれる言葉に、お互い声をあげて笑った。