第一話 気づく
頭の中でパチン、とシャボン玉がはじけたような小さな小さな衝撃。とたんによみがえる前世の記憶…
アマーリエ・ベルは両手の親指で強くこめかみを押した。記憶の激流で頭が割れそうだった。この世界で生きてきた13年間の記憶が、前世での30年弱の記憶の中で木の葉のように舞っている。
「私は私…!」
自我を保つように強く思う。次第に波は収まり、前世と現世の記憶を持つ新しい「アマーリエ・ベル」の自我は成立した。
「あー、ちょっと待ってよ。えっと…私、あのまま死んじゃったんだ…」
私は、前世での最期を思い出し呆然とする。
前世での記憶は現世に比べて少し不確かだ。大昔に見た映画を思い出すのに似ている。最後の年齢は自分をアラサー女子と称していたから30歳前後だったのだろう、サバを読んでいなければ。
派遣切りにあい、しかも次の派遣が3か月も決まらなかった。ストレスたまっていた私は、当時10年ぶりに続作が発売された『トゥルーマイナイト~私だけの騎士様❤~season2』を残り少ない貯金をはたいて購入した。一作目は私が高校生の頃発売され激はまりし、ヲタクの友人同士でものすごく盛り上がっていたのだ。
思えばあの頃が一番楽しかったな…同級生のイケメン生徒会長がゲームの中の王子様に似ているときゃあきゃあ言ってたのが懐かしい。
で、昔を懐かしみながら2作目をプレイ。なんとしても全攻略してやるっ、と攻略サイトの助けを借りつつ攻略対象を攻略しまくったのだ。不眠不休でやり続けること3日3晩。最後の一人、異国の旅人ヤン・アーレンとめでたくベストエンディングを迎え、「やった…やったー」と思ったところから記憶がない。一人暮らしで職がなく、栄養失調気味だったから過労で心不全でも起こしたのかもしれない…とにかく気が付いたのはさっきだ。
そして現世。今の私、アマーリエ・ベルは『トゥルーマイナイト~私だけの騎士様❤~』第一作目の主人公だ。通称はマーレ。ベル男爵家の令嬢。
容姿もゲーム画面で見たそのままだ。セミロング・ストレートの髪は濃いミルクティー色で、日の光の下では豪奢な金髪に見える。大きな目は茶色で、小さな鼻と口がバランス良く配置された顔は美少女の域に入っている…という設定だった。実際、鏡で見る私は自分からみてもちょっとしたアイドル並みだ。前世ではがっしりした体型と丸顔のためにあだ名がジャガイモだったので、随分レベルアップしたと言える。
ふう…。
ため息をついて、目の前に置いてある紅茶を一口飲んだ。随分、冷めてしまっている。ここは王都にあるベル男爵家の屋敷。自室でくつろいでいるときにいきなり前世を思い出したのだ。きっかけになるようなものは思い当たらない…本当にいきなりだ。これが、外出先でなくてよかった。パニックを起こして、周りに不審に思われること請け合いだ。
これからどうしようか…
なぜ乙女ゲームの世界が実際に存在するのか?なぜ日本にいた私が記憶を持ってこの世界に転生したのか?疑問はつきないし、正直恐怖もある。しかし13年間のアマーリエ・ベルとしての記憶も存在する自分は、このまま日常が続いていくだけとも思っている。
ただ、これから何が起こるか知っているのは心強い。私には素晴らしい未来が待っている。顔がにやけるのが抑えられない。だって2年後には全ての貴族の子息と、庶民の中でも魔力を持つ者が通う士官学校に入学、そして王子様たち5人の攻略対象と出会うのだ。選択肢を間違えなければ素晴らしい殿方とのベストエンディングが待っている。そして、この世界が乙女ゲームのままならば選択肢を間違えようがないのだ。なにしろ100回以上、数えられないくらいやり倒しているのだから。
「どうしよう、誰にしよっかなー」
鼻歌を歌いながら、どの攻略対象を選ぶか考えていたら静かにドアがノックされた。
「どうぞ」
「お嬢様、お客様でございます」
ドアを開けたのは、私付きのメイドであるゲルダだ。赤茶の髪をひっつめた彼女は私より少し年上でクールな容貌をしている。眼鏡をかけたら女教師が似合いそう。
「今日はお約束はなかったはずだけど…どなたかしら?」
その時気づいた。クールなゲルダの戸惑いの表情に。
「それが…エーレンフリート侯爵令嬢、ローゼマリー様です。…ご面識、ございましたでしょうか?私は記憶にございませんが…」
…あー、ありますあります。すっかり忘れてましたけど思い出しましたよ。でも、現世ではなく前世での記憶ですけどね…
ローゼマリー・エーレンフリート。エーレンフリート侯爵令嬢。アマーリエが攻略対象と仲良くすると同じ攻略対象に必ず手を出してくる、最悪最強の悪役令嬢のお出ましである。…って、いきなりかいっ。