7.嘆きの風
舞台は大地、夜空は客席―――
さあ 始めようか
星来は足に風を纏わせて全速力でドーレンの街を出たが、行程が半分も進んでいない内から不可解な障害にぶつかり始めた。
それらを薙ぎ払っても薙ぎ払っても、次から次へと新たな障害が現れ、星来を疲弊させ、それほど距離を稼がぬうちに、あっという間に大幅に魔力を消費してしまった。
「ただでさえ荷物が重いってのに!」
星来は背負った荷物を抱えなおした。風の力で荷物を固めて下から押し上げて軽くしているが、ずっと背負っていると疲労に伴って重くなってくる。
「何なのよこいつら…こいつら倒したって、時間外労働の賃金が支払われるわけでもないのに」
一匹につき幾ら幾ら支払われるというならば一匹残らず丁寧に全て殲滅してみせるが、そうでないから邪魔物以外の何物でもない。
その障害は、行きの行程ではなかったモノだ。一匹一匹は大したことはないが、数が多くて非常に鬱陶しい。けれど不思議なのは、それら障害たる獣を仕留めても、それは地に倒れることなく、そのまま骸は宙に塵となって消えていくこと。
これは…
「…幻獣…とでもいうのかしら?」
実在が疑わしい希少な幻の獣ではなく、真実、存在しない幻の産物という意味で。一般的にこのような生き物?を指してどう呼ぶのかは知らない。街の外や森に通常生息する魔物達は、魔力を使うが実体はある普通の獣だ。こんな生き物は初めて見る。星来が知らないだけなのかもしれないが。今は不思議発見を探求している暇はない。
「どうでもいいけど、うっとうしいわ…」
星来は一刻も早く帰ってどうなってるのか見に行きたいのに。
少しして星来は立ち止まると、首にかけていたロケットを胸元から取り出した。リアへの土産にと購入した物だった。
「確か…物に溜めた魔力は…魔力が底つくまで持続して使えるんだよね」
星来がこちらに来て、“協会”に入会して日銭を稼ぐ日々の中で、少しずつリアに魔法について教えてもらっていた。その一つに物に魔力を貯めて、使い手の手から放して魔法を展開するというものがある。この世界では日常で普通に目にする現象だ。
この世界は魔法がある為に科学の発達が遅れている。元いた世界で当たり前にあった家電品の代わりに、石に光属性の魔力を溜めて照明に使ったり、鍋に火属性の魔力を溜めて火にかけるのと同じ効果を発生させたりしている。通常の魔法は、使い手の注意が途切れたりすると、展開した魔法も消え失せたり、最悪暴走してしまう。だが物に溜めておけば、溜めた者が意識していなくとも、魔力が底つかぬ限り、半永久的に使える。物が損傷する等して事故を引き起こすことはあれど、安全性でいえば言うまでもなくこちら。魔法がうまく使えない者や子供は市販の、― 一般にテューガと呼ばれる―魔力入り道具を買う。照明用や洗濯用、台所用のテューガは星来も常日頃から大変お世話になっている。
それはさておき、星来は市販の物を使用した経験はあっても、自分で魔力を込めたことはなかった。ただ込めればいいのだろうか。星来は試しにただ込めてみた。しかし案の定というか、魔力を帯びても溜めたそばから魔力は流れ落ちてしまった。
「………うー」
三度試してみて失敗した星来は焦れて地団太を踏んだ。早く帰りたいのに、帰れない。焦りが募る。魔力だって無限ではない。何度も試していたら足に回す力すら足りなくなる。
「何が足りないの………あ」
そして閃いた。
「……何の魔法を使うかを決めてみたらどうだろう…?」
魔力は力。そこにあるだけでは何も作用しない。大岩を動かす程の力持ちの人がいても、その腕力を使って岩を動かさなければ何も為さないのと同じだ。その力を望む結果を繋ぐ手段として、その力を有効活用するには…
「風の幕を作りたいの。いちいち魔物をやっつけていくのは面倒、だから、そう、魔物達を弾き飛ばす幕を張りたいの」
風の幕。星来がつい最近作れるようになったばかりの風のヴェール。保護膜である。自分の周囲に風を纏わせ、近くにいるモノを弾き飛ばす効果がある。力の調整が難しく、少し注意が逸れるとすぐに消えてしまうもので、まだまだ練習段階だ。だから現時点で風の力を使って走りながら風の幕を張る…という器用なことはまだできないでいた。だけど、もし、このロケットにその力を溜めて、走ることができれば……そう願いながらロケットに魔力を込めてみた。
「おお、よしよし」
手ごたえはあった。ほんの少しだけ邪魔物達を遠ざけるしかできないだろうが、無いよりマシだろう。
「…待っててね」
そして星来は走り出した。
アッダスの街まで二日で戻った。通常でも二日かかる距離を、通常通りの日程で踏破した。その記録的な行程はほぼ不眠不休で走り続けた強行軍の成果で、引き換えにかなり体力を消耗した。いかに風の力を最大限に使用して、普通に走るよりもずっと身体への負担を軽くにしていたといえど、流石に限界だった。魔力を使い始めてまだ一年の星来の魔力の絶対量は多くない。街門の前に立った時には、膝が笑って立っているのもやっとというほどだった。
だが、辿り着いただけで終わりではない。
「………どういうことよ」
息を整えながら星来はアッダスの街門を見上げた。この街を出る前にはなかった気が充満している。魔力の色は知識として知っていても星来には曖昧で掴み切れない感覚だが、恐らく別の魔力の色が加わっていて、いつもの空気ではないことは分かる。アッダスは元々は鮮やかな青色の空であるのに、今ではすっかりくすんだ汚い青になっていることからも明らかだ。
「……長居したら気分が悪くなりそう」
とにかく何とも言いようのない嫌な空気が星来の肌を撫で、星来は鳥肌が立った。違和感を感じる。でたらめに複数の楽器をかき鳴らして不協和音を紡ぎだしているような不快感がある。初めて感じる感覚だが、これが所謂魔力の“相性”が悪いということなのかもしれない。実際に体を壊すことはないと思うが、胸がざわざわと落ち着かない。
はっきりいって、苛々してしまうのだ。集中力が散漫になるというか…
「ムカついている場合じゃないよね…」
一先ず、状況を確認するにも、街の人達に事情を聞かねばならない。
気を取り直し、街門脇にある検問所に背負っていた荷物を置いたが、いつも常駐している検問の役人はいなかった。街に入っても、ざっと見渡した限りでは人の影が見当たらない。僅か数日の間で廃墟になってしまったかの様な様子に不安が募った。
アッダスに向かう間にあれだけいた魔獣もいない…。何て不気味な…
「誰かいないのっ? 肉屋のおばさん! 換金所のおじさーん! 何処に…いる…」
そうだ。この異常事態だ。何処かに避難しているのかもしれない。それなら、祖母やリアもきっと…。
「…リア…おばあちゃん」
星来がいない間はリアが祖母を何かあった時に助けてくれる約束だった。そうだ。きっと…この街に何があったのかは分からない。ドーレンで街の人がアッダスが襲われたと噂していたけれど…。詳細を調べ、この街を復興するのは星来の仕事ではない。
そう考え、何とか己を宥め賺しつつ星来は一応街を大まかに見回わろうと街の中心部にある噴水もある大広場に向かった。するとそこには星来が求めていた人の気配がした。
人がいる! 星来は喜び勇んで角を曲がり大広場に躍り出た。
だが、そこで見た光景に星来は息が止まった。
「え、何……ど…して………」
瓦礫の山と化した住宅街を通り過ぎ、十字型の大通りの中心部にある大広場。
噴水があるはずのその場には、ただの石となった噴水の石像や縁と、そのすぐ傍に………
人間、混乱が過ぎると全ての思考回路が破綻するらしい。かける言葉は見つからず、吐き出す息も空回る。
永遠にも感じた数秒間。そこに立っていた彼がゆっくりと、振り返った。
「 」
瞬間私は叫んだ。
この時、自分が何を叫んで、何を喚いて、どんな顔をしていたのかなんて、後から考えても思い出せなかった。
ただ分かるのは、分かっているのは、血まみれのリアがいて、リアの腕に貫かれた祖母がいること。
その光景に自分が激昂と狂乱に陥ったこと。それだけ。
「おばあちゃん! 何で、リア!!!」
街に辿り着くまでにすっかり使い切ってしまった為に、風の力は殆ど引き出せなかった。それでも星来は力を使ってリアを襲った。
「やめておけ、ドーレンから急いで帰って、疲れているんだろ? 使いすぎると最悪死ぬぞ」
「煩い! 何で!!! あんたおばあちゃんに何したのよ!!!!」
僅かな理性がこのリアは偽物かもしれないと疑っていたが、星来にかける声も調子もいつものリアで、いつも通りの態度が、星来を混乱の極致に追いやる。
星来は声が掠れるほどにがなり、リアに掴みかかった。無様な星来を静かに見ていたリアは祖母を放し、星来と距離を置いた。
喚いて暴れて、膝震えるほどに疲労した体はそれでも動いた。けれど分かっていた。たとえ万全の態勢でも、今のリアには敵わないこと。
けれど、立ち向かわない理由にはならない。
「何でおばあちゃんをころ…殺したの!? おばあちゃんが何をしたというの!!」
そうだ。理由がない。だって、おばあちゃんはここに来てからあまり外に出ていないし、この地に知り合いもいない。リアとの付き合いだってたまのお出かけの時だけで、リアに殺される理由もない筈だ。
なのに
リアは何度も同じことを問うだけの星来を簡単にいなしながら、星来をずっと見ていた。リアなら簡単に星来を捻じ伏せられるだろうに、星来の叫びを黙ったまま聞いていた。こんな時でもリアは変わらない。飄々として、血まみれでさえなければ、これから女の子とデートに行くといわれてもおかしくない様子で…
「………っぐ!」
そしてついに星来は地に伏せた。リアの操る土に足をとられたのか、ついに立つこともできないほどに身体が限界を超えたからか、両方かもしれない。ただ、一度ついた膝はもう立ち上がる力さえなかった。
「………何で…どうして」
同じ疑問がぐるぐると回る。どうして。何があったの? 訳を聞かせて。この街がおかしくなったのと関係があるの?
あまりに突然じゃないの。前触れさえなかったわ。ドラマの主人公が感じるような虫の報せなんてこれっぽっちも感じなかったじゃない。
街を出る前に祖母は手を振って送り出してくれたし、街のみんなも頑張ってって言ってくれたし、リアも普段通りにこれから俺も仕事だって言っていて…
「 」
「…何?」
リアが何か言った。聞き取れたけれど、自信はなかったから聞き返した。だけど、リアはもう一度繰り返してはくれなかった。それでももう一度問い質そうと顔を上げようとしたけれど、星来は目の前が真っ暗になるのを感じた。
疲労と祖母の遺体を目にしたことで貧血を起こしたかもしれない。こんな時に…いや、こんな時だからこそか。
「…それ、俺への土産か?」
地に転がる星来の傍に膝をついたリアは、星来の胸元にあるロケットに気付いた。アッダスを出る前にはなかった物。リアは星来の近くに転がっているロケットを拾い、軽く土を払った。まだ紐が星来の首に繋がっていて、星来はその紐伝いにリアの顔を見上げた。だけど霞んだ目では彼の表情は見えなかった。
「…返して」
確かにリアへの土産だけれど、こんな時に渡す気にならない。けれど星来が言わずともリアには分かるのだろう、星来の首から外してリアはロケットを取り上げた。
「貰っていく。…初めてお前がこの街を出た記念として」
まるで貰うことが当然の権利のように言う。言い返したいが、もう星来は意識を保つことさえもう出来ない。
腹立たしい。周囲の魔力が気持ち悪い。ああもう、考えが纏まらない。
「俺が憎いか? 俺を殺したいか? いいぜ、俺を憎め、怨め」
耳鳴りがする。不協和音が煩わしい。殺したい? どうして? 確かにあんたは憎たらしいけれど
土の付いた自分の頬を撫でる手を感じる。温かい何かが唇を掠める。それはとても星来に馴染んだ。
…血の匂い…が……おば…ぁ…ちゃ…
「来いよ、俺を殺しに……セーラ」
…リ………ア……