3.風の色
面倒臭そうにされながらも、無事この森について説明を受けた後、星来は出会った少年リアと共に、街ではなく自分の家へ戻ることにした。祖母が心配になったからだ。
「お前、迷子と言わなかったか?」
家に帰ると突如言い出した星来に、リアは怪訝な顔をした。
「そうなんだけど、違うの。家ごと飛んできたから家はあるけど、家ごと迷子になっちゃったというか…」
「意味が分からん」
「んと…とにかく、今ここにいるのは、不本意で不可解で不愉快だということよ」
星来は肩を落として溜息を吐いた。
「…ジュラム…“怪物の森”だなんて、危険な森ですってでかでかと看板掲げてるようなものじゃない。恐ろしい」
「分かりやすくて良いだろう」
「さっきみたいなのが、うじゃうじゃいるの?」
「あれだけ巨大な怪物はそうはいないが…まあ、いなくはないな」
何という所に飛んできてしまったのだ。昨日怪物と遭遇せずに済んできたのは幸運以外の何物でもなかったということか。
「どうしよう…ねえ、怪物と出会わなく…ううん、せめて家の周囲に怪物達が寄り付かなくなるようにすることって出来る?」
「出来るぜ。どの家もやってることだ」
こんな危険な森が街のすぐ傍にあるのだ。街を獣が襲うことだってあるに違いない。相応の対策がとられているのも当然だろう。
「本当? 良かった。でもどうやるの? 手伝ってほしいっていったら手伝ってくれる?」
星来がそう言うと、リアはにやりと意地悪く笑った。
「俺はそこまで親切なやつじゃないぞ。タダではやれない」
「えーお金取るの?」
「俺は“協会”の稼ぎ屋だ。依頼をこなして報酬を貰うのが仕事だ」
「協会って?」
「知らないのか? …いや、ジュラムを知らないなら、“協会”を知らないのも当然だな…」
リアはしばし考え込んだ。
「暫く俺を雇うか? お前が生活に困らないよう便宜を図ってやるよ」
「…お金、かかるんでしょう。私、ここの通貨を持ってないわ」
人を一人雇うのにかかる費用が大きいのはきっと何処も同じだろう。
「稼げばいい。支払いは待ってやる。なんなら“協会”に紹介してやろうか」
稼ぐと言われても、まだ中学生である星来は自分で稼いだことがない。だが、この非常事態にとやかく言っている場合ではない。手段があるならそれを選びたい。
「稼ぐのはいいけど、何するの? 私、腕力だってないし、特別頭が良い訳じゃないし、狩人の真似事なんて…」
協会の仕事が、先ほど先程の怪物のような物を倒すものだとしたらとても無理だ。初仕事でジ・エンドである。
「危険のない依頼もあるから安心しろ。それに、何も出来なくはないだろ。“風”の素質がある。他にも…もしかしたら、努力次第でそれ以外も使えるようになるかもしれない。充分だ」
リアの言葉は、星来には突拍子もないものに聞こえた。
「は、何言ってんの? 風?」
「“風”は風を扱う力のことだ。それ以外に何があるんだ。そんな色の髪をしてるくせに。今は制御こそできていないみたいだが、慣れれば自在に使えるようになるさ」
「…え?」
「さっきは暴走させないようにああ言ったが…潜在能力は中々のものだったぜ」
「さっき…?」
「試しに簡単な掃除の仕事でも引き受けてみろよ。危険もないし、良い練習になる。やる価値はあると思うが」
「あのさ…」
「慣れてきたら、治癒の…」
「待って!」
リアの口が止まった。
「何だ」
「さっきから風とか髪の色とか制御とか掃除とか、さっぱりなんだけど!」
「何がだ」
「まず、風って何よ」
「そのままの意味だとさっき言っただろう」
「風を自在に操るって?」
「それが」
「…本気で言ってる? 超能力なり魔法なりを使うって意味じゃない。ファンタジー物じゃあるまいし」
「ファンタジーってなんだ。魔法を使うに決まってる」
リアの表情は至極真面目で、冗談を言っているようには見えなかったが、星来にはどうにも受け入れ難かった。真面目な彼に向って、はじけるように笑い出した。
「あっははは…何言ってんの? 信じらんない。私、魔法なんてお伽噺、小学一年生の時に卒業したわよ」
「何が可笑しい?」
「可笑しいわよ、何もかもっ。魔法を当然のように言うあんたも、あんな怪物がいることも…私がこんな所にいることも!」
喚く星来を、リアは静かな目で星来が落ち着くのを待った。
「……気が済んだか?」
「…私が魔法を使えるって、貴方は言うの?」
「あの怪物を切り刻んだのが証拠だ」
「でも…さっき、リアが自分がやっつけたって」
「まだ扱いに慣れてないようだったから、ひとまずそう言っただけだ。混乱している時に暴走されては面倒だからな」
「何よそれ…」
リアがあの怪物を倒したのではないのか。風を…魔法を使った覚えなんてない。だいたい、そんな超常的な力はただの中学生には、いや人間には過ぎた力だ。魔法なんてものは、スクリーンの向こう側だけに存在すべきだ。魔法を使えたらやってみたいこととか、色々楽しく想像していたこともあったけど、それだけだ。
「あの怪物は、魔力を過剰に吸い過ぎて巨大化してしまった獣だ。元はあれの十分の一の大きさもない。あのままでは街にも他の獣にも悪影響を与えるとして、“協会”から討伐対象になっていたんだが、何人もの賞金稼ぎが返り討ちにあって俺に話が回って来た。だが、俺があの怪物を見つけた時には既に怪物は倒されていた。そして、あの獣の前にいたのは、お前だけだ」
言い聞かすような言葉に、星来は憮然となる。
「………でも、私、食べられる寸前だったのよ。そんな力使えたらとっくに使ってるわ。これまで使ったこともないし、私の知り合いにも、そんなの使える人見たことないし」
「魔力が突然覚醒することもある。命の危険に対してお前の防衛本能が咄嗟に力を呼び出したんだろう。でも、それは本能であって自分で考えて使ったわけじゃないから、自覚がないのは仕方ない。生まれながらに使える者はともかく、ふいに得た力を理解して受け入れて自分の物にすることは難しい。扱いきれずに力に振り回されて自滅してしまう者も多い」
リアの話に嘘は見られない。星来はなんだか、自分の常識が覆されるような恐ろしさを感じた。それでもパニックを起こさずにいられるのは、出会って間もないのに、何故か不思議な安心感をリアに感じたからだ。
「でも、魔法があったとして、そんでもって私が使えたとして、何で風の力だとか分かるの? あの時傍にいなかったでしょ」
リアは星来を振り返り、ほつれて耳にかかる星来の髪に自身の指を絡めた。
「髪の色」
「色? 私の髪は普通に染めた茶い…ろ?」
星来は纏めていた髪を掴んだ。しかし星来が掴んだ感触は、馴染んだ自分の髪質ではなかった。
「え…?」
恐る恐る髪の一房を見てみると、己の髪が見知らぬ輝きを放っていた。色は差し込む光に反射して緑玉色に、そして手触りは絹糸のようなものに変わっていた。
「何、この色」
あまりの変貌に、言葉を失った。
「…元々の色じゃないのか?」
「全然違う! 茶色だよ…地毛だって茶色っぽい黒で…間違ってもこんな緑色じゃ…」
こんな色は美容院に行ってもこれほど見事に染められないだろう。そもそもこんな色に染めた覚えはない。
「でも、根元もその色だぞ?」
こんな髪、自分のものではない。訳が分からないことが重なり、流石の星来もなんだか泣きたくなってきた。くしゃりと顔を歪ませると、何事か考えていたリアは手を伸ばして星来のサングラスを取り去った。
「お前の、目の色も、元は違う色なのか?」
「目…って?」
最早弱々しい声しか出せない星来だったが、リアに瞳を覗きこまれ、嫌な予感がして忙しなく自分の目を回りを探った。
「え、え、わ、私の目、変?」
リアの親指の腹が星来の目じりを撫でた。
「髪の色と同じになってる」
「…………う、そ。ほ、本当、に?」
リアは微かに笑い、両手で星来の頬を挿み込み、これ以上ない程に見開かれた星来の目の端に口付けた。
「綺麗な色だな」
星来はリアの手を振り払った。
「ふざけないで! こんな変な色になっちゃったっていうにっ」
「素直な感想だろ。ところで…お前、何か拾ったか?」
「別に何も拾ってないわよ」
いきなり話が飛び、不安が苛立ちに昇華した。
ひょいひょいと落ちてるなんて拾わ…あれ?
ふと、ここに来る前の日、里山で拾った水晶の存在を思い出した。日に透かされ輝く緑の美しさも。奇しくも、変色してしまった星来の髪の色と同じだった。
「水晶…」
「拾ったんだな?」
「で、でも、ただの水晶だよ。拾っただけだし、これとは全然関係ないって」
リアは溜息を吐き、星来から少し距離を取った。
「何…?」
「“土蛇”」
リアがそう呟くと、訝しむ星来との間の地面から土の塊のような突起が出現した。全長が星来程もあるそれは生き物のように蠢き、見た目はまさしく蛇だった。状況が読めずに茫然としていると、その土の塊が星来に向かってきた。
「…ちょっ」
危機感を感じた星来は、自らを庇う為に咄嗟に手を前に出した。蛇は止まらず星来に牙を剥く。
食われる!
星来の緊張に応えるかのように、自分の中で熱の様な何かが練られるのを感じた。
この感覚をこの手に掴んだ時、星来の指先に届く寸前だった蛇は頭部の先から粉々に散った。
「……げほっ」
蛇の残骸の所為で、あたりに土煙が立ち上り、星来は咳き込んだ。危機が去った後に湧き上がるのは怒り。荒い息を吐きながらも、突然暴挙を働いた彼を睨みつけた。けれど彼は悪びれもせず、顎をくいっと上げ、星来を見下ろした。
「な? お前の力、分かっただろ」
「な、じゃないわよ…いきなり何すんのよ!」
激昂した星来はリアに掴みかかった。