1.運命の小石
「…シケてるわね、このおっちゃん達」
人気のない森の中、外套を頭からすっぽりと被った格好の星来は呟いた。…地に這う男達の懐を弄りながら。
「五人合わせても二千…服三着買えば消える額じゃない」
不満げに呟きながらもしっかりと懐に収める。小銭袋を叩けばちゃりちゃりと素敵な音がする。まだあどけなさの残る顔は自然とにんまりとなった。
「この人達もイイ値がつけば良いんだけど」
星来は地に転がる男達を一人一人検分してから、外套の内ポケットに仕舞っておいた紙束を取り出す。
「この組は、この人達で全部だった…よね」
紙面を繰って確認する。うん、任務完了。
「…絶っ対、おかしいでしょ」
星来は飴色の瞳を悲愴に細めた。頭を振った拍子に頭の高いところで一つに束ねている栗色の髪もふわりと揺れる。
「もうちょっと上げてくれてもいいでしょう?」
「いや、あいつらは小物だ。この額が精々だ」
対する受付の男は少女の抗議を一蹴した。
「いたいけな少女からお金を捲きあげようとした卑劣な奴らよ、凶悪でなくてなんだというの」
「返り打ちにしたんだろ?」
星来は男の指摘を流して少し身を乗り出す。
「ねえ、もうちょっと融通してよ。いつも頑張ってるでしょ、私」
「駄目だ。今不景気だし、額を決めるのは俺じゃない。文句あるなら上に行け」
「周りがゴツくてむさくて荒々しい男達ばっかの中で、うら若い女の子が健気に悪党を捕まえてくるのよ。偉いでしょう」
「ああ、偉い偉い」
取りつく島の無い応答に、とうとう星来は盛大に溜息を吐いた。
「明日から三日間は自主休暇を取るつもりだったのにぃ!」
「働けるだけマシだろう。このご時世に」
要望が通らずともさしてがっかりした様子のない少女に、可憐な少女の演出を軽く流す受付。
このやり取りはこれまでにも何度も繰り広げられた光景で、周囲の職員達も笑って見物する一種の風物詩になっている。
ぶうぶう言いながらも賞金を受け取った星来は、まいどあり、という男の声を背にして協会を後にした。
「お、セーラ。こんなとこにいたのか」
呼びかけられて振り向くと、見知った顔があった。
「あら、リア」
「浮かない顔だな。思ったより稼げなかったか?」
こちらへ歩いてくるのはセーラといくらも変わらない風貌の少年。
「まあね」
「今回の獲物はこつこつ小さな悪事を重ねて警戒度を上げていた奴らだからな。仕事自体はたいしたことなかっただろ」
「…まあね」
星来とリアは自然に並んで歩きだした。
「リアも仕事だったの? もう終わった?」
「誰に聞いてる」
「協会の稼ぎ頭サマに聞く質問じゃなかったわね」
星来は肩を竦めた。
「じゃあ、その懐の暖かいリアさんに何か美味しいものを奢ってもらおうかなぁ」
「じゃあって何だよ。意味分かんねぇ。お前こそ、ぬくぬくと懐が暖かいくせに」
リアは星来の頭を軽く小突いた。
「迷惑料よ、迷惑料。こないだアンタのカノジョにいちゃもんつけられて、ちょっとイラっとしたもんだから、これくらい当たり前でしょ」
星来の告げ口に、しかしピンとこなかったらしく、リアは少しの間考え込んだ挙句、こう言った。
「…どの女だ?」
「……複数と、同時に、節操なく、付き合うなって何度言ったら分かるのよ! この女の敵っ」
星来は勢いよくリアの背中に蹴りを食らわせた。だがリアは堪えた風もなく、平然としている。憎たらしい。治らないと知っていても文句を言う口は止められない。
「来る者は拒まない主義なのは向こうも承知で付き合ってるんだ。責められる謂れはない。で、その取り決めを破ってお前に手を出した奴はどんな顔だった」
名前を聞くんじゃないのね、と星来は小さく毒づいた。
それがリアという男の本質だというのは知っている。リアにとって『恋人』の立場ほど軽いものはない。だって覚えてもいないのだから、名を聞いたって仕方なく、決まりを破ればそれまでの関係。
「…報われないわね」
知り合って一年しかない自分でさえ理解していることを、どうして他の子達には分からないのか。分かっているが自分は違うと、そう思っているのか、思いたいのか。どちらにしても、不毛である。
確かに顔も良いし、お金も持っている。恋人としては良物件よね、と客観的にリアを評価しながら、件の突っかかってきたカノジョの容姿を思い出した。
「ええと、確かね、髪を後ろでお団子に纏めていたわ、目もくりっとしてて、そこそこ可愛い子」
自分に噛み付いてきたという悪印象から、評価に“そこそこ”をつけてしまうのはどうしようもない。
「ああ……何となく、分かった」
この瞬間、その彼女はリアの中で恋人(の一人)の地位から追放されたことだろう。
「聞き分けのない子を傍に置かないでよ。迷惑だわ」
「セーラも人のこと言えねぇだろ」
「あんたの場合は、無闇に挑発した所為でもあるでしょう」
「あの程度で…お前ももう少し忍耐力のある男を選べ。面白くない」
「……今、初めて昔のダーリン達に同情したわ」
星来とリアは、犯罪者や害獣にかけられた賞金を収入源とする、所謂“賞金稼ぎ”を纏める“協会”の一員である。一年ほど前、困っていたところにリアと出会い、彼に勧められて協会に加入した。星来とリアは以来意気投合し、行動を共にすることが多くなった。
二人はあくまで友人で、艶めいた関係になったことはないが、最近お互いの恋人にそれぞれ煙たがられるようになった。
恋愛小説にあるような姑息な手で陥れようとしてくるライバルなんていないけれど、それでも稀に迷惑な恋愛中毒者が現れる。特に陰湿な、体育館の裏に連れ込むようなタイプは、高い確率で取り巻きを引き連れてくる。生物は群れとなって仲間同士を守りあうものだが、ヒトというものは、集団の力を自分の力と勘違いして無意味に強気になるから始末が悪い。
何人で来ようと星来が言う言葉は一つしかないのだが、そういう時、星来の言い分を信じてくれるほどカノジョ達に理解力はない。というわけで、遠慮なくリア本人に告げ口させてもらう。
一方で、逆に星来の恋人がリアに噛み付くこともある。リアもその都度言ってきてくれるのだが、男同士なので少々手荒な事態になる場合もあるのではないかと思うが、そういったことは聞いたことはない。
それに、
「…俺が、何度闇打ちに遭いそうになったか」
「それは私の所為だけじゃない気がするけど」
元々、星来と知り合う以前からとっかえひっかえで女の子を食い荒らしていると専ら評判の男だ。星来に関係のないところで恨みを買っている可能性も十分あり得るのだ。
「まあいいさ。飯食いに行くぞ」
星来の頭をくしゃくしゃと撫でてくれたお返しに、星来は肘を彼の鳩尾に食い込ませてやった。
こんなやり取りは当たり前。一緒に街に出掛けるのも日常的。さらには自分の恋人よりも互いを優先してしまうから、誤解は中々解けないというのは自覚してる。でもリアとの交友を止める気はない。星来が“こちら”に来てから随分世話を焼いてくれた恩人であるだけでなく、『恋人』と一緒に過ごすよりもずっと楽しいから。
星来は普通の市立校に通う、普通の中学生だった。
両親がおらず、薬師の祖母と二人暮らしだということ以外は、平和で平凡で平穏な、とにかく真っ平らな日常に包まれて周囲の子供達と何ら変わらず育った。何の不満も不幸もなく、どちらかと言えばとても幸せといえる、悩みといえば来年に控えた高校受験くらいの、何処にでもいるような子供だった。
そんなある日の休日、新緑が鮮やかに煌めく近所の里山で、祖母に頼まれた薬草を摘んでいた星来は、きらりと陽に照らされて輝く物を拾った。
「あ、キレイ」
陽に翳して角度を変えて見てみる。ビー玉よりも二回りほど大きい玉は、見れば見る程美しい透明な緑。始めは風雨に晒されて削れて丸くなった瓶の破片か何かだと思ったが…。
「……水晶?」
けれど丹念に触って調べるとどうも素材はガラスではなく、石のようで。
「誰かが落としたのかな…?」
こんな道端に水晶が転がっているのはそれしかない。水晶というのは拾う物ではなく、採掘するものだ。それがこれは既に綺麗に丸くカットされ、明らかに人の手が加えられているとなると誰かが落とした以外に考えられない。とはいえ、水晶に名前が書いてある訳がなく、持ち主を特定するのは難しい。
星来は改めて石を見た。
何となく水晶と思ったけど、この石はもしかしたら、水晶よりもずっと高価な宝石かも…。例えば、エメラルドとか…。
水晶だとそれほど大きくない。が、エメラルドだと思えば話は変わる。水晶でも人の手が加わると石の値は跳ね上がるものだ。エメラルドなら尚更。しかもこの純度。そこまで思い至って、星来は慌てた。落とした人は今頃必死で探してるかもしれない。
「……どうしよう」
少々迷いはしたが、年頃の娘らしく綺麗な物に惹かれた星来は、その色が気に入ったこともあって、その水晶を貰う…いえいえ、預かることにした。
しかし、それがいけなかった。知っていたら絶対触りもしなかったのに。
無事お遣いを済ませて家に帰った星来は、我が家に帰ったことで水晶のことは一時頭の隅に追いやった。夕飯もしっかり食べ、お風呂にもきちんと入った。週末にいつも出される宿題だってちゃんと終わらせたし、おばあちゃんのお手伝いもした。平和で平凡で平穏な、いつもの日常を過ごしたのに。
…のに、朝起きたら見知らぬ場所でした。
家ごとだ。つまり、おばあちゃんも一緒に。
最初の異変に気付いたのはおばあちゃんだった。祖母は毎朝起きたら庭で育てている薬草に水をやるのを日課にしている。蛇口を捻っても水が出てこないことを不思議に思った祖母は水道メーターを見に行く為に外に出た。
そうしたら、お向いさん家の塀と屋根が見える筈の目の前には、代わりに深い森が広がっていたのだ。
流石のおばあちゃんも驚いて星来を叩き起こした。事態が呑み込めないまま外に連れ出され…星来もばっちり目が覚めた。
「ここ、何処?」
柊星来、十四歳。祖母と一緒に世界の壁を越えてしまったのだと知るのは二日後のこと。