8.一夜明けてアッダスの街にて
演技なんてしたことはないけれど、私は結構、女優に向いているんじゃないかと思うの。
――ねえ、あんたは、どう思う?
俺を殺しに来いと、貴方は言った。
だけど、一瞬の激昂を過ぎ去った後の私は、貴方に対してそこまでの憎悪を抱けない。目の前で祖母を殺されたのだとしても。
「――」
「―――」
一瞬の激昂の先にあったのは、家族と親友を同時に失くした喪失感と絶望感。そして困惑。
街には誰もいなくなって、街の空気も変な風になっちゃって、こんな、私の常識が通用しない世界で一人きりなんて…
「お――」
「―も―?」
これから先どうすれば………というか、さっきから周りから人の声がする。
煩い。
煩い。
うるさ
「い」
「あ、ちゃんと生きてんじゃん」
ぱちりと目を開けた途端、視界一杯に広がる見知らぬ男の顔があった。まさに口と口がくっつく寸前にまで近づいている。
誰だ。
「…あん?」
その無遠慮な振る舞いに、つい目を半眼にして凄んでしまい、顔を遠ざけようと男の顎を掴んで首を曲げた。
「ちょ、ちょっとまっ…痛い痛いっ」
星来の手によって蛸の口のようになった男は口をもごもごさせながら星来と距離をとった。初対面同士としておかしくない距離になったところで、星来は起き上がり、男と向き直った。
「…で…誰よ、あんた」
「俺の名か? 俺の名前は、ガルディッシュだ!」
親指で自身を指し、白い歯を覗かせて堂々と男は答えた。その仕草だけで真面目に相手するには面倒臭そうな相手だと思った。
「…そう…で…ここは、何処?」
星来は倒れた瞬間を思い出す。街の大広場に、噴水があった場所にいた筈。そこで星来は力尽きて倒れたのだ。しかし、ここは屋内。しかも見覚えのない場所だ。
「え? ここお前ん家じゃねえの?」
「いいえ」
「じゃあ、お前何でこんなところで寝てたんだよ」
「それを私はあんたに聞いているんだけど」
「俺は知らねえよ? ついさっきこの街に着いたばかりだしな」
「この街…ここはアッダス、でいい?」
「ああ、そうだけど……何だよ、ここが何処の街かも分からねえのか? お前この街の住民じゃねえのかよ」
星来は身を起こして立ち上がった。まだまだ魔力が足りず、足元がふらつくが、歩けないほどではないことにひとまずほっとする。この回復量だと、精々半日から一日程寝ていた程度かもしれない。
「…今日は何日?」
「あ?…あーええと確かエーブルの8日だったかな」
私がリアと対峙したのは7日。つまり昨日のことになる。丸一日と少しは眠っていたのか、私は。回復が予想よりも遅いのは、この街に漂う星来と相性の悪い魔力の所為なのかもしれない。
星来は窓に近づいて外を伺う。今は夜らしく、ここはアッダスらしいが、街のどのあたりなのかまでは分からず、星来は窓から目をそらし、改めて室内を見渡した。星来は知らない誰かの家の中に寝かされていたようだ。星来はあの時そのまま噴水近くで倒れそのまま意識を失ったのだから、自分でここまで来たのではなく、恐らくは…リアによって運ばれたのだろう。ここの家主も、他の街の者達と同様、今はいないようだ。皆は一体何処に行ってしまったのだろう? それから…
「………おばあちゃん」
「あ、ちょっと待てよ!」
壁伝いに身体を支えながら部屋を出て行こうとした星来をガルデッッシュは止めた。
「何処行こうってんだ。今は夜だぜ。それにそんなふらついて」
「…街の大広場に行くだけよ」
「何しに?」
星来は行儀悪くも舌打ちをしそうになった。何なのだこの男は。たった今出会ったばかりの人間に構うそのお節介が、今は酷く気に障った。
「……ちょっと確かめたいことがあるだけよ」
「じゃあ、俺も一緒に行く」
「来ないで」
「いいからいいから」
「………好きにすれば」
星来はこれ以上の押し問答が面倒になり、溜息を吐きながらも、了承した。
「ガル、やはりこのあたりも他に人はいないようで……おや、目覚めたようですね。お目覚め早々何処に行こうというのです」
不本意ながらも星来はガルディッシュと連れ立って部屋を出て行こうとしたところに第三者の声がかかった。二人同時に振り向くと、部屋で唯一の出入り口である戸にはガルディッシュよりも幾分背の高い、ひょろりと背の高い男が立ち塞がっていた。
「おかえり、アウディオ」
どうやらガルディッシュの知り合いの様だ。どういった組み合わせだろう。この街に辿り着く前にあんな変な生き物を潜り抜けなければこの街に辿り着けなかった筈だ、と思い至り、俄かに警戒心が頭を擡げた。
「……あんた達、どちら様?」
ガルディッシュはこの街に着いたばかりだと言った。つまりこの街の住人ではない。こんな明らかに異変が起きた街に、ただの観光や商売で立ち寄った訳ではあるまい。
…そう考えれば、この男達は非常に怪しい。
「私達ですか? 私達はそうですね、とある盗賊団の一味とでもいいますか」
「……。…つまり、ここへは火事場泥棒でもしに来たの?」
ひょろりとした男があまりにあっさりと答えたので、身構えた星来は拍子抜けした。しかし、この星来の言葉に反発したのはガルディッシュだった。
「おいおい、俺達をそんなちんけなコソ泥と一緒にするなよなぁ」
結局盗むことを生業としている同じ穴の貉であることには変わりないだろうに。そこを突っ込めばガルディッシュをさらに興奮させて話が進まなくなりそうだったので、我慢した。
「…で、何しに来たの?」
「ここの異変を感じとって、その確認をしに。この辺りは私達の活動拠点ですので、何事かを把握するのは当然のことかと」
ガルディッシュよりもずっと冷静な男は淡々とそう応えた。盗賊団なんて輩を信用できないが、一先ず情報収集が先決だと判断した星来は彼らを捕縛するか否かについては置いておくことにした。
「そう。…で、何か分かったの?」
「いえ、それはまだです。私達はここに来たばかりで、事情を聞こうと街の住民を探していたところに…」
星来がここで寝ているのを発見したということか。星来は頷くと、近くにあった椅子に倒れこむように座った。
「……ここの街の人達は、私が戻って来た時にはもう誰もいなかったわ」
リアとおばあちゃん以外は。星来の言葉にガルディッシュは眉を潜めた。
「町の住民が僅かな日数で全員いなくなるなんて…アウディオ」
ガルディッシュの目配せにひょろい男―アウディオは頷いた。
「『魔』の覚醒が始まった…のかもしれませんね」
「おいおい、冗談じゃねえぞ」
「……どういうこと? それは…」
ガルディッシュとアウディオは二人だけで納得してしまった。
「いえ、まだそうと決まったわけではないのでおいそれと話すわけにはいきません…とにかく、もう少しこの辺りを探ってみます。貴女はまだふらついているみたいなので、ここで休んでいなさい」
アウディオにそう言われた星来はむっとした。この街はこの世界における星来の故郷のようなものなのだ。星来一人が蚊帳の外なのは気に食わない。
「何言ってんのよ。状況を確認しなければいけないのは私も同じよ。私も一緒に行くわ」
星来はぐったりと重い身体を持ち上げ、立ち上がった。
「……貴女はこの街の住民だとしても、もうこの街は貴女の知っている街であるとは限りません。そんな魔力が枯渇した状態で歩き回って安全は保障しかねますよ」
「だったらそのいつもの街でなくなった推定の原因を教えなさいよ」
アウディオは子供に言い聞かせるように星来を諭そうとした。
「ふむ…好奇心が旺盛なのは結構なのですが…」
「好奇心? 貴方、この街に辿り着くまでに変な生き物にかち合ってきたでしょ? 私も同じよ。同じように潜り抜けてきたわ。ただの好奇心でこの街にいるわけがないでしょ」
それを聞いたアウディオは少しだけ態度を改めた。
「……貴女こそ、何者なのか伺っていませんでしたね?」
「…“協会”の者よ。立場的には、盗賊団なんて名乗ってる貴方達を取り締まる立場ね」
星来は“協会”のメンバー証と共に答えると、二人は驚いた顔をした。
「驚きましたね。貴女のように年若い、それも人間の女性が」
「へぇ、見かけによらず、腕に覚えがあるみたいだな」
「それはどうも。だから、後で“協会”へ報告する為にも確認しないと」
“協会”には女性が比較的少ない。正確に言えば人族の女性の比率が低い。
この世界には妖精や精霊や獣人やら、およそ元の世界ではおとぎ話の住民である者達が当たり前の様に生息しており、お互い妥協と共存と競争で折り合いを付けながら共生していた。だから、彼らの存在をお伽噺の世界の存在だと一蹴して笑い飛ばすのは、彼らの存在を否定することになり、こちらではとても失礼な対応になってしまう。彼らにも考える頭があり、行動する身体を持った世界の住人なのだから。星来は最近になって漸く自身の常識を曲げ、彼らの存在を受け入れられる様になったばかりだ。
“協会”はそれらの種族が入り乱れている。実力主義を徹底しているので、入りたがる者なら種族は問わないが、やはり力が強い種族や魔力が強い種族が重宝され、人間の女性は腕力は弱く、魔力の強さにもムラがある為、“協会”でやっていける人材が極端に少ない。この街は“協会”の息がかかっている街だからあまり意識したことはなかったが、やはり彼らが驚くことは一般的に見れば至極当然の反応なのだろう。
「…ただのお嬢さんとしての対応は相応しくなかったようですね。申し訳ありませんでした、“協会”の方。私の名前はアウディオ、貴女の名前を伺ってよろしいでしょうか」
星来が協会の者と知り、大人の対応に変えてきた。取引する前の前哨戦だ。
「盗賊団なんていうから粗野な奴らかと思ったけど、中々紳士的なのね」
思わずくすりと笑った星来に、ガルディッシュが口を尖らせた。
「だって俺らは別に“協会”に取り締まられる立場じゃねえし」
「でも盗賊団なんでしょう?」
「盗賊団は盗賊団でも、旅の商隊を襲ったりなんかしねえもん。俺らの獲物は悪徳豪商や不正に財を溜めこむ貴族だからさ」
それでも盗みは盗みなのだが、まあ、あちらの世界でいう義賊のようなものだろうか。
彼らの言い分を鵜呑みにするわけではないが、理性的な彼らを見て一応少しの間行動を共にするには安全な相手のようだ、と判断した星来は彼らに笑みを向け、軽く礼をした。
「私は星来。“協会”では一応賞金稼ぎしてるわ。よろしく」