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第1話 はじまりの日

 少し陽が下がり出す夕刻。雑居ビルの狭い路地裏で、二十前後の男女が二人、高校の制服を着た女の子二人が手を振りながらジャンケンをしようとしていた。

「最初はグー、ジャンケンポンッ!」

 女三人がチョキ、男がパー。

「うわっ、いきなり負けた!?」

 ジャンケンに負けた男は、大袈裟な動作で顔を手で覆った。その男の様子も気にせず他の三人のジャンケンが続く。今度は二十歳前後の女が負けた。

 最初に負けた男の時とは違い、女は悔しがる様子もない。そのまま残りの高校生の女の子二人のジャンケンが続く。

 勝負は一回でつき、負けた方の女の子は、先に負けた二人に「じゃあ負けた二人は前ね!」と笑顔で言った。

「仕方ない……」男は残念そうな表情をしながら動き出した。

 男は雑居ビルの裏の扉の前に立つと、次にジャンケンに負けた女が男の隣に移動する。次に負けた女の子が男の後ろに移動し、最後迄ジャンケンに勝った女の子は二十歳前後の女の後ろに移動した。

 前二列、後ろ二列に並ぶのを確認した男は、扉の方を向き「じゃあ行くよ」と言って真剣な表情に変わった。


 ゆっくりと扉をノックすると鉄の扉が甲高い音を立て、扉の奥から「はい」と中年男の返事が聞こえた。その返事に反応した男が扉を開けると四人は列を崩さずに扉の奥へと進んだ。

 扉の向こうは五メートル程の通路が続き、通路に壁に沿って高さ二メートル、幅一メートル五十センチメートル程の棚が四つ並んでいる。

 一番奥の棚の隣に机が置かれてあり、その机で中年男が仕事をしている。中年男は電卓を使って帳簿の計算を行っていたが、計算結果を帳簿に記入した後、椅子を回転させて四人の方へ向いた。

 四人は中年男の方に向かって歩き始めると、その様子を中年男は静かに見ている。四人と中年男の距離が五十センチメートルぐらいに迫った時、前列の男が歩みを止め、他の三人も足を止めた。

 沈黙の間が少し出来、男が口を開く。「店長すいませんが今日限りでアルバイトを辞めさせてください」

 中年男は目を細めた。「何でアルバイトを辞めたいの?」

 その質問に反応したのは、男の後ろに居る高校生の女の子だ。

「何でって、私らが仕事してるのに、店長は仕事せんやろ!!」

 声を荒げた女の子。名前は空裕子、十七歳。高校二年生。髪を赤く染めて、三人の女の中でも一番派手な化粧をしている。

 空が怒鳴った瞬間、店長の表情が変わった。

「俺が朝の何時から入って、何時迄仕事してるのか知ってるのか!」

 中年男に怒鳴られて、空は鋭い目つきに変わり「そんなん、私らに関係ないわ!」と更に激しい声を出した。

 しかし中年男も負けてはいない。「お前らだって、仕事中私語が多いやろ!!」

「私らきっちり仕事はしてるわ!」


 ここは弁当屋の店の奥。中年男性は弁当屋の店長。そして四人は弁当屋のアルバイト。先程のジャンケンは、立ち位置を決めるものと辞める話を言い出す為に行ったものだ。

 一番最初にジャンケンに負けて前列に立つ男、名前は畑田五郎、二十歳。専門学校の三年生。ストライプのTシャツにジーンズを履く。暇があればスポーツジムで体を鍛えている為、体格は良い。

 空と店長の言い争いを五郎は静観していたが、話の進展がないと判断して、言い争いを止める事を考えた。

「店長も大人気ないですよ。そこまで怒って話す事もないでしょ」

 しかし既に我を忘れて店長は怒っている。五郎の言葉に過敏に反応して、怒りの矛先が五郎に向いた。

「じゃあ、お前がこいつらの責任取るんやな!」

(何で俺が責任取る必要があるんだ……)

 店長の話に五郎は眉を潜め呆れてしまった。

 その時、五郎の横に立つ女が口を開いた。

「人の責任問題ではなく、あなたのアルバイトに対する対応が気に入らないから辞めると言ってるのです!」

 五郎の隣に居る女性、名前は松野由紀、十九歳。短期大学の二回生。ストレートの髪を背中辺り迄伸ばし、ピンクのTシャツにジーンズを履く。

 由紀が言葉を発した瞬間、他のアルバイト三人の表情が固まった。普段から温厚な由紀が怒るとは、その場に居る誰もが想像つかなかったからだ。

 それでも平静さを失っている店長は眉間に皺が寄り「何やと!!」と更に声を荒げた。

「店長が休むのは別に構いません。でも私達にだって少しぐらい休憩させて貰ってもいいでしょ」

「だったら、もっと仕事をしろ!」

「一日八時間以上アルバイトをしても昼食が出る訳でもないし、仕事なんかしてられますか?」由紀は店長に説得する口調で話す。

「何を分かった事をほざくか!」

 五郎は由紀と店長の話を黙って見ていたが、また話の進展がないと判断した。

「もう話しにならない! 皆、帰ろう!」五郎は後ろを振り向き、由紀と空の肩を押して扉の方へ向かった。五郎に押された三人は扉の前に来ると由紀の前に居る女の子が扉を開けた。扉が開いた瞬間、四人は一斉に外に出た。


 四人は外に出ると雑居ビルの狭い路地を抜けて表に出た。

「メッチャ腹立つなー! 何や、あのオッサン!」空は怒りが収まらず、まだ怒っている。

「まあ仕方ないよ。半数以上のアルバイトが辞めると言い出したしね。でも俺達は辞めれたと思っていいんじゃないの」五郎は空を宥めた。

「私、どうしよう? ここから家が近いし、ちょっと心配やわ……」

 弁当屋の中で一言も発言しなかった高校生。名前は大田紀子、十八歳。高校三年生。

 高校ではソフトボール部に所属し、その鍛えられた体は、そこらの男性より体格は良い。大田は由紀の母校に通う為、由紀と大田は学校の事で盛り上がる事が多い。

「大丈夫だよ。幾ら何でもそこまで出来ないよ」五郎が言った。

 不安に陥る大田を心配して、由紀は大田に近づき安心させようと小声で話し掛けた。


 四人はゆっくりとした足取りで駅の方に向かって会話をしていた。

 少しやんちゃな空だが、せっかくアルバイトで知り合った仲間と別れるのが惜しい気もしていた。

(駅に着けば、これで皆と会う事もなくなるのか……)

「俺、この近くにバイク停めてるから、この辺で!」

 五郎が手を上げて去ろうとした時、空が慌てた。

「次の給料日、四人で飲みに行きませんか!」

 由紀と大田は顔を見合わせて「いいよ」と答えた。

 空は黒い学生鞄の中からメモ帳を取り出し、電話番号を書いて貰うよう五郎に渡した。由紀と大田も手提げ鞄の中からメモ帳を取り出し、由紀から空、大田から由紀へとメモ帳を渡した。

 オートバイの五郎は残念ながらメモ帳など持っていない。少し困った顔をして「ごめん、俺にもメモ一枚貰えるかな?」と空に言った。

 空はメモ帳の紙を引き破り五郎に渡した。電話交換をした後、四人は少し会話を交わし、各々家に向かって帰って行った。


 由紀が家に着いたのは十九時頃。そこから家族四人で食事をして後片付けを終えると自分の部屋に戻った。

 自分の部屋に入ると気持ちが落ち着き、ベッドの上に座り込んだ。

「はあ~、今日は少し気分悪いな。気分転換にピアノでも弾こう」

 由紀のピアノのレベルは中の上。一般的に耳にするクラシック曲を何曲か弾きこなせる。由紀は鍵盤にゆっくりと指を添えると、スタッカートを効かせた曲を激しく弾き始め、今の自分の気持ちを音に表した。

 五郎が家に着いたのは二十時五十分。台所に入り夜ご飯を食べ始めたが、アルバイト先で起きた嫌な出来事が頭を巡り、ご飯を美味しく頂けない。手短に夜ご飯を済ませると後片付けもせず、二階の自分の部屋に戻った。五郎はテレビとゲーム機の電源を入れるとストレス発散に格闘ゲームを始めた。

 時刻は二十一時。由紀は短大に提出するレポートを仕上げる為、パソコンのワープロソフトで文章を入力していた。しかし弁当屋の一件が頭から離れず集中できない。

(もう~、今日は何でこんなに気分が悪いの。誰かに愚痴を聞いて貰おうかな……)

 由紀は入力した文章を保存して、パソコンの電源を切ると電話の受話器を上げて短大の友人に電話した。

「あ……。私、今電話大丈夫?」

 短大の友人に愚痴を聞いて貰おうと電話したが、その逆に友人の恋愛話を聞かされる事になった。

「あ、そう。いいわね。明日も彼氏と会うの……」

 長々と続く相手の話に由紀は少し疲れ始めていた。

 その頃、五郎は布団の中にもぐり込んでいた。先程迄ゲームで遊んでいたが、弁当屋の一件が頭から離れずゲームに集中できなかった。コンピュータに負けた時の音楽を聞く度に五郎はストレスを溜め、最後はテレビとゲーム機の電源を切った。

「あ~! 今日は何でこんなに気分が悪いんだ!」

 布団の上に転がり体を丸めると、ズボンのポケットから違和感を感じる。少し不快を感じる五郎。ポケットの中に手に入れるとしわくちゃになった紙が指先に当たり、それがアルバイト仲間の連絡先が書かれているメモ用紙だと気づいた。

(そっか、さっき三人の電話番号を書いて貰ったメモが入っていたんだ)

 五郎はポケットの中からメモ用紙を取り出して、メモ用紙を眺めた。

(松野さんの字は達筆で綺麗だな~。空ちゃんと大田さんの字は丸文字で高校生らしいわ~)

 三人の電話番号を一通り眺めた後、五郎は枕元にメモ用紙を置いて電話を掛け始めた。

「もしもし、俺。五郎。今日、空いてる? あっそう、空いてない。じゃあ、いいや。じゃあな」

 五郎は普段から遊ぶ友人三人に電話を掛けたが誰も予定が空いていない。

(土曜の夜、それも急に電話しても誰も予定空いてる訳ないな~)

 そう思うと五郎は電話を掛ける元気を失った。

 今度は枕元に置いたメモ帳を再び手に取り、年齢的に近い由紀に電話するか考え始めた。

(う~ん……。バイト仲間と言っても、バイトしている時は、そこまで仲良くしていた訳でもないしな……)

 電話するか迷う内に、五郎は近くに置いてある鞄の中からタバコを取り出して吸い始めた。


 時刻は二十三時。一度は電話を諦めた筈の五郎は、未だタバコを吸い続けていた。

「一度も電話をした事のない女の子に電話したら、痛い目に遭うかもしれないしな……」

 以前、友人から女友達の家に二十時過ぎに電話して、女友達の兄に怒鳴られた電話を切られた結末を聞いている。それを想像すると親しくもない女の子の家に電話すると同じ目に遭うかもしれないと怖れていた。

「今日は最悪な日だったけど、もう諦めて寝るか……」

 五郎が大の字に布団の上に寝込んだ瞬間、家の電話が鳴った。

『トゥルルルル! トゥルルルル! トゥルルルル!』

「おっ! 何て運の良い奴だ! 今日の俺は暇だぞ!!」

 誰から掛かっているのか分からないのに五郎は喜んでいる。慌てて電話の受話器を取り「はい! 畑田です♪」と嬉しそうな声を出した。

「夜分遅くすいません。松野と言いますが五郎さん、お願いできますか?」

 五郎は女の声を聞いて、それが先程掛けるか掛けまいか悩んだ相手と気づのに僅かな時間を要した。

「あ……。俺……」

 しかし、相手が誰なのか認識した瞬間、五郎の表情は一気に明るくなった。

「今、どうしてますか?」由紀は静かに五郎に尋ねた。

「さっきの出来事が気分悪くてね、何も手が付けられず過ごしているよ。松野さんは?」

「私も弁当屋で起きた出来事が気分悪くて……」

 互いに同じ気持ちだと分かると話がスムーズに進む。二人は今日一日の溜めていた不満を口にし始めた。


 電話の会話を始めて三十分もすると二人の気分は落ち着いていた。

 二人は弁当屋で起きた出来事を話した後、今通う学校の話で盛り上がり、更に過去の話に遡り、高校時代の話、中学時代の話と二人の共通点を探し始めていた。

 時刻は深夜の零時十五分、未だ五郎のテンションは高く、その勢いで今度は「松野さん、良かったら今から出掛けない?」と言い出した。

 五郎の誘いを受けた由紀は「いいわよ、私も少し用事あるから付き合ってくれる?」と答えた。

「OK! じゃあ待ち合わせは一時に!」

 電話を切った瞬間、五郎は深夜である事に今気づいた。

(ちょっと待てよ……。普通、こんな時間帯に女の子を外に出す親が居るか……」

 五郎は慌てて由紀に電話を掛けようとしたが、時刻は深夜の零時二十分。さすがに電話するのには遅すぎる。五郎が時計を見ると一時迄、後二十分しかなかった。

(まずい! 迷っていられる時間もないぞ! とにかく待ち合わせ場所に行くぞ!)

 五郎は布団から立ち上がり、車のキーを手に握ると急いで家を出た。


 時刻は深夜の一時五分前。既に五郎は待ち合わせの場所に着いていた。五郎は今になって由紀と待ち合わせをした事を後悔している。

(こんな暗い場所に女の子が一人で来るのは心配だな……)

 由紀の住む場所も知らない五郎は不安になっている。二人が待ち合わせした場所は、由紀の指定した学校の門。学校の隣には田んぼが何面かあり、その田んぼの間に細い道が続いていた。

 学校の裏手に住宅街が見え、田んぼの間の細い道が住宅街に向かって伸びていた。その住宅街に由紀が住んでいると五郎は予想している。

 細い道の向こうの住宅街から人が現れないか注意していると、遠くの方から女の人影と思われる物が見えた。

(あれかな?)

 五郎は目を細め、人影を睨むように見ていると、その人影が五郎に向かって走り出した。五郎も半信半疑で人影に向かって走り出し、二人の距離が縮まり外灯が人影を照らし、その人影が由紀だと分かった。

 五郎は走るのを止めて、微笑みながら由紀の方にゆっくり歩いた。

 そして由紀が五郎の目の前に現れた。

「ハアハア、ごめん、待った?」由紀は息を切らしていた。

「こっちこそ、ごめん。こんな時間に誘い出して悪かったよ」

「ううん、いいのよ。」

「じゃあ行こうか」

「うん」

 五郎は由紀を助手席に乗せて車を走らせた。


 一九九二年六月二十日、これが二人にとってはじまりの日となった。


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