役立たずの治癒術師を追放した勇者パーティが壊滅するまでの5日間
【1日目】
「君はここまでだ」
所属しているパーティのリーダーが、突然僕に告げた。
「……は?」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
僕たちは魔王討伐のための勇者パーティ。これまで三年という月日をかけて、魔王軍と戦いながら、魔王の住む魔王城を目指して旅をしていた。
勇者、剣士、魔法使い、召喚士、そして治癒術師の僕からなる五人組のパーティだった。
性格的な相性はそれほどよくない。身分も生い立ちもまるで異なる僕らの間には、決して埋まることのない深い溝があって、三年という月日を経ても、互いを芯から理解することはできなかった。
それでも、僕らは志を共にする仲間だった。
魔王を倒し、世界に平和をもたらすこと。
その悲願が、僕らをひとつに繋ぎとめていた。
僕らの旅には世界の命運がかかっている。世界中の人びとの願いを、僕らは背負っている。
だからメンバー間の価値観の相違など、ささいな問題だと思っていた。
多少の衝突はあっても、戦いに影響を及ぼすようなことは決してないだろう、と。
最年少の召喚士でも十八歳、ましてやリーダーである勇者は二十五歳の青年なのだ。
みんな分別のある大人だ。
個人的な感情で、ましてやただ気に食わないから、などという理由で戦力を削ぎ落すことなど、ありえないはずだった。
「はっきり言って、君はいてもいなくても変わらないんだ」
けれど勇者は、そのありえないはずのことを、平然と口にしてみせた。
魔王城は目前。城を囲む森の中で、休息をとろうとしていた矢先のことだった。
明朝にはいよいよ魔王城へ攻め込む。いよいよ最後の戦いという段になって、彼は僕に、パーティを抜けろと言ったのだ。
「君は治癒術しか使えない。魔法使いと召喚士は応用が利くからいいが、治療しかできない君をこれから先に連れて行っても、足手まといにしかならない」
突然のことに、頭がうまく働かなかった。
足手まとい?
そんなふうに思われていたのか?
僕はこれまでずっと、文字通り身を削って、パーティに尽くしてきたのに。
たしかに僕には治療しかできない。簡単な防御結界を張ることも、小さな魔物一匹倒すこともできない。
でもそれはすべて、治療に特化するための枷だった。
誰も死なせないために、僕は治療術以外のすべてを捨てた。
僕は誰よりも多くの犠牲を払っているつもりだった。
それをみんなも、理解してくれていると思っていた。
「本当に、僕は、いらないのか?」
どうにか絞り出した声は、惨めに震えていた。
涙が出そうだった。悔しくて、不甲斐なくて、悲しくて。
でも不思議と怒りは湧いてこなかった。
誰も僕に犠牲を強いたわけじゃない。僕はこれまで何度も命を削って彼らを救ってきた。
けれどそれは、彼らに命じられてやったことじゃない。僕が勝手にやったことだ。
いまさら自己犠牲を押し付けるような真似は、僕にはできなかった。
「魔王との戦いは熾烈を極めるだろう。治癒術師がいなくちゃ、もしものとき、誰が君たちを救うんだ……?」
僕は震えを押さえつけて、どうにか言葉を紡いだ。
まだ信じられなかった。まだ引き返せると思った。
冗談だと言ってほしい。いまなら笑って流せる。
冷静に考えれば、僕を外すなんてありえない選択だ。僕らは総合力の高いパーティ。個人が突出しているわけではなく、チームとしてのバランスの良さ、相性の良さでここまでやってきた。誰かひとりでも欠ければ、魔王討伐は決して果たせないだろう。
そんなの、みんな、わかっているはずだ。
口に出さないだけで、理解しているはずだ。
気に食わないやつがひとり欠けたところで戦力に影響はないなんて驕り、もっていないはずだ。
けれどそんな僕の希望は、続くパーティメンバーの言葉によって、あっけなく打ち砕かれてしまう。
「ある程度の傷なら私でも治せます」
魔法使いが軽蔑するように鼻で笑った。
「もともと貴方は私の補助要員みたいなものでしたからね。万が一、私が倒れたとき、代わりに治療を施すのが貴方の役目でした。でもここまでの戦いをへてわかったとおり、万が一にも私が倒れるようなことはありません。むしろ貴方がいなくなったほうが、防御結界を張る手間がひとつ減って楽になるくらいです」
いつも通りの嫌味っぽい口調だった。
こういう性分の人なのだろうと受け入れていたが、ここまではっきりと否定を受けたのは初めてで、僕は返す言葉を探すこともできなかった。
僕は彼を仲間だと思っていた。優秀な魔法使いだと、替えの利かないメンバーだと。
そして彼も、心の底では、僕の実力を認めてくれているはずだと思っていた。
けれど、そう思っていたのは、僕だけだったらしい。
彼は僕のことを、仲間の一人としてカウントさえしてくれていなかった。
「そもそも怪我なんてしねえしな」
剣士はこれまでの鬱憤を晴らすかのように吐き捨てた。
「これまで戦闘のあと、一度だって治癒術が必要だったことはあったか?ないよな?お前はせいぜい戦闘前に疲れがとれる術をかけるくらいなもので、それ以外にはなにもしてない。そんなただついてきてるだけ金魚の糞が、このままいけば魔王討伐の英雄に名を連ねるんだろ?命がけでやってる俺らと同格に扱われるんだろ?納得いかねえな。働いてねえやつが、同じ栄誉を授かるなんて」
彼は嘘のつけない男だった。だからこれも本心なのだろう。
彼が僕を下に見ていることはわかっていた。僕は一回り以上年上だが、態度や言葉遣いはまるで召使を相手にするものであったし、戦闘中に邪魔をしたなどと言いがかりで殴られたことも一度や二度ではなかった。
僕はそれをプライドのせいだと思っていた。彼は貴族の生まれだから、平民の僕に守られているのが悔しくて、子供っぽい態度をとってしまうんだろう、と。
けれどちがった。
彼は僕に守られていたことさえ自覚していなかった。
「みんな優しさで言ってやってんのよ」
召喚士は心底うんざりしたように言った。
「治療しか能のない雑魚でも、無駄死には可哀そうだし、目の前で死なれると気分悪いから。だから今のうちにクビにしてあげるのよ。感謝してよね。道中の魔物はあらかた倒したから、今ならあんた一人でも人里まで戻れるでしょ?あ、でも無事に戻れても、勇者パーティの治癒術師だった、なんて言わないでね。あんたみたいな無能がいたってことがバレたら、あたしたちが恥をかくもの。才能ないんだからさ、治癒術師なんてやめて、これからは畑でも耕して暮らすことね」
彼女が僕を嫌っていることは知っていた。初めて会ったときから、彼女は僕にいつも苛立っていたから。
正確な理由はわからない。けれど、おそらく、生理的な嫌悪に近いものだろう。多感な年ごろの少女が、親子ほど齢の離れた男に対して心を閉ざすのは当然のことだ。
彼女が頑なに僕の施術を拒むのも、年の離れた男と、肌と肌を直接触れ合わせるような魔力の接触をしたくないだけなのだろうと思っていた。
それでも仲間には変わりない。いざとなれば頼ってくれるだろうと、僕はそう信じていた。
彼女が僕のすべてを否定した、この瞬間までは。
「わかってくれたかな?これはみんなの総意なんだ」
勇者はいつも通り、屈託なく笑った。
「君がいなくなればお荷物がひとつ減って身軽になる。パーティの団結も強まるんだ。恨むなら自分の実力を恨んでくれ。それなりの実績があるみたいだったし、推薦の声も大きかったからパーティに入れてみたが、まさかここまで役立たずだとは思わなかったんだ。……いや?役立たずというか、役無しというべきか。出番がない駒は目障りなだけだ。不慮の事故で命を落としたくなければ、はやくここから去ってくれ」
勇者は裏表のない男だった。僕をパーティから追い出そうとするのも、悪意があってそうするわけではない。本当に必要がないと考えているのだ。それをそのまま口にしただけなのだ。
勇者は勇者になるべくして生まれたような男だった。よくいえば正義感が強く、悪く言えば独善的だった。弱気を助け、悪を挫く。それが強者である自らの使命であると、心から信じていた。
彼にとって僕は、肩を並べるには値しない存在だった。背中を預けるに足る仲間ではなかった。守るべき大衆の一人、守られるだけの弱者の一人でしかなかった。
三年間共に旅をして、彼は僕を無価値と評した。
僕の貢献は、なにひとつ認めてはくれなかった。
「僕がいなくて、魔王が倒せるのか?」
できるわけがない、と思った。
けれど勇者は、あっさりと頷いた。
「倒せるよ」
「みんな、傷つくことになる。今までは僕が守っていたから――――」
「見苦しいな」
勇者は笑って、僕の肩を叩いた。
「もう誰も、君を仲間だとは思っていないんだよ」
動揺に震えていた身体が、硬直する。
心臓が凍り付いて、全身を巡る血が、急速に冷えていく。
寒い。
冬の海に落ちたみたいだ。
目の前がまっくらになって、走馬灯のように、これまでの日々が頭をよぎる。
パーティに入るまで、僕はずっとひとりだった。
魔王軍に故郷の村を滅ぼされて、誰も救えなかった自分が情けなくて、治癒術師になる決意をした。
独学で研鑽を積み、魔王軍の被害にあった村を巡って、人びとを癒し続けた。
やがてその功績が認められ、魔王討伐のパーティメンバーに選ばれた。
嬉しかったな。あのときは。
帰り道の保証はない、過酷な旅になるとわかっていたけど、それでもはじめて仲間ができたことに、僕は浮足立った
仲間のためならなんでもしてやろうと思っていた。
軽んじられているのはわかっていた。嫌われているのはわかっていた。それでも僕は身を粉にして働き続けた。
仲間に傷ついてほしくなかったから。
魔王を倒して世界に平和を取り戻したかったから。
いつか旅の思い出話をしながら、酒でも酌み交わせるようになると、信じていたから。
ああ、本当に、僕は馬鹿だった。
凍った心臓が砕け散る。
怒りはない。悔しさも悲しみもどこかへ消えてしまった。
代わりに、果てのない諦観があった。
「……わかった」
僕は目を開けた。
勇者も、剣士も、魔法使いも、召喚士も、みんな笑っていた。
だから僕も笑顔を返した。
「それじゃあ、さようなら」
僕は彼らに背を向けた。
そして心の中で、自分を叱責した。
僕は本当に馬鹿だ。
僕に助けられていたことにも気づかない、あんな愚かな連中の仲間になろうとしていたなんて。
彼らはきっとこの先、ひどい目に合うだろう。
彼らが僕を見誤ったように、僕も彼らを見誤っていた。
自分の力を過信する彼らに、勝機はない。
魔王討伐はおそらく叶わないだろう。
彼らは志半ばで斃れる。目前にあった世界平和は、また遠のいてしまうだろう。
けれど、かまうものか。
もう、すべてがどうでもいい。
この三年で、魔王軍の戦力はずいぶん削ることができた。魔王軍が再建される間に、人類もまた新しい勇者パーティを送り出すことができるだろう。
世界は、僕ら以外の誰かが救う。
僕はもう、誰のためにも命をすり減らしたくはない。
これ以上、なにかの犠牲になるのは御免だ。
僕はまた孤独になってしまった。
けれど、清々した気分でもあった。
召喚士が言ったように、もう治癒術師はやめにしようか。
どこかの田舎で、本当に農家にでもなってやろうか。
犬でも飼って、のんびり自給自足の暮らしを営もうか。
そう考えると、砕け散ったと思っていた心臓が、また脈を打ち始めた。
そうだ、まだ人生が終わったわけじゃない。
魔王も世界平和も、僕を捨てた愚かな連中のことも、きれいさっぱり忘れさって、新しい生活をはじめよう。
これからさき、僕が救うのは、僕だけでいいんだ。
身体がいつになく軽かった。
夜明けまでまだずいぶんあるのに、進む道は明るく輝いていた。
目前まで迫っていた魔王城も、残してきた彼らのことも、振り返りはしなかった。
【2日目】
深酒をしたわけでもないのに、やけに身体が重い。
野宿だったからか?
いや、この三年で野宿にはすっかり慣れたはずだ。木の根を枕にしようが、砂利を布団にしようが、翌日に支障が出ることはない。
陰気な野郎がいなくなって、清々した気分で迎えられるはずの朝だったのに。
もしかしてあいつ、なにか仕掛けていきやがったか?
いや、それこそありえない。
あいつは治癒術しか使えない無能だ。
お守りだとかなんだとか言って、あいつは毎朝俺たちに回復術をかけていたが、身体の変化はまったく感じられなかった。回復術特有の、全身を魔力で撫でられるような感触さえなかった。
ただ、ぬるい海風に晒されたような、そんな心地があるだけだった。
それはあいつの能力が低いという、なによりの証拠だ。
俺は騎士団で何度も治療術を受けたことがある。力の強い奴ほど魔力量が多く、施術時には魔力で溺れそうな感覚を覚えるほどだ。
自然の摂理に反し、肉体を無理やり活性化させる治療術は、対価として苦痛を伴う。なんの苦痛も伴わない治療などありえない。
俺は当初、あいつが遠慮しているのだと思って、耐えられるから派手にやってかまわない、と言ったことがあった。けれどあいつは、痛くない方がいいだろうと生意気なことを言って、効果のない脆弱な術をかけるばかりだった。
俺は誇り高い騎士だ。
その程度の痛みに耐えられないわけがない。
あいつは俺に気を使いやがったんだ。
腸が煮えくりかえりそうになった。
俺はああいう、生ぬるいやつが大嫌いなんだ。
大した実力もないくせにパーティに潜り込み、名誉をかすめとろうとする泥棒鼠。
俺は誇り高い騎士だ。
そんな不正は、決して許せない。
だいたい、出自もわからない平民風情が、俺と肩を並べること自体おかしかったんだ。
勇者は亡国の皇太子、魔法使いは歴史ある賢者の一族、召喚士はもとは平民だが、その腕を買われて大国の王家に仕えていた。三人は俺の仲間としてふさわしい地位にある。だがあの男はどうだ?各地を巡って慈善活動に励んでいたというが、ようはただの浮浪者だ。本来、俺とは口を利くことすら許されない身分だ。
それを、あいつはなにを勘違いしたか、気安く話しかけてきやがって。
立場を弁えて傅くならならまだ許してやれた。だがあいつは、まるで俺と対等であるかのうように振舞いやがった。
きっと俺の表面上の身分だけを見て、舐めてかかったんだろう。
たしかに俺は、出自だけでいえば男爵家の三男坊。貴族としては底辺だ。
それでも平民が気安く声をかけていい相手じゃない。
なにより俺は一流の剣士だ。
最年少で帝国騎士団の隊長を務めた天才だ。
剣の腕で俺に並ぶものはいない。堂々とした振る舞い。恐れを知らぬ勇猛さ。俺は騎士団の中でお手本のような存在だった。だからこそ、俺は勇者パーティの剣士に指名された。
名誉を欲した高位貴族の連中も手を挙げていたが、騎士団が推挙したのは俺だった。
強さがすべてだということを、俺はこの身でもって証明したんだ。
俺の地位と名誉は、才能と血の滲むような努力によって得られたものだ。
それをあいつは、軽んじやがった。
家格だけを見て、大したことのないやつだと舐めてかかりやがった。
だから最近は、焦っていただろうな。
その舐めた相手に、あいつは治療術ひとつかける隙を与えてもらえなかったんだから。
旅をしたこの三年で、あいつもとっくに気づいていただろう。俺の強さに。
なにしろ俺はこの三年、かすり傷しか負わなかったんだから。
どれだけ激しい戦闘にあっても、俺が膝をつくことはなかった。鍛え上げられた肉体はやわな攻撃じゃ傷つかなかった。並みの人間じゃ持ち上げることもできない大剣で、軽々と敵の首を落とすことができた。
戦闘はいつも短時間で終わった。
治癒術師の出る幕なんてなかった。
唾をつけておけば治るかすり傷のために、治癒術は必要ない。
それなのに、あいつはいつも戦闘のあと、誰よりも疲れた顔をしていやがった。
なんの働きもしてねえくせに、息を切らして、冷や汗をかいて。
びびっていたのか、魔物の瘴気にあてられたのか。あるいは自分もパーティのために働いた、というアピールなのか。
いずれにせよ、目障りでしかなかったから、無視していた。
馬鹿な奴だよな。
俺が気づいていないとでも思ってたのか?
思い出すだけで腹が立ってきた。
やっぱり、追放なんて生ぬるいことはせず、袋叩きにするべきだったんだ。
卑劣な振る舞いをするやつには、相応の報いがいる。
これもまた、騎士道だ。
俺は誇り高い騎士として、あいつの腕の一本や二本、折っておくべきだったんだ。
「――――あ?」
なんて、考え事をしていたら、突然天地がひっくり返った。
「――――?」
なんだ?
なにが起こった?
俺たちは魔王城の中に入って、それで、一階の大広間で待ち構えていた魔物と会敵した。
数は多かったが、これまでの旅路で幾度となく倒してきた、小型の魔物だった。
いよいよだと思って、血肉が湧きたった。
だが、倦怠感は拭えなかった。
いつもは、戦闘に入った瞬間軽くなる身体が、いつまでたっても重たいままだった。
さんざん振るってきた大剣が、旅をはじめたばかりの頃のように、手に馴染まなかった。
重たい。
なにが起こっている?
まるで自分の身体じゃないみたいだ。
これも魔族の術か?
俺は魔法使いに状況を問おうとして、口を開いた。
次の瞬間、天地がさかさまになった。
俺は倒れたのだ。
転んだわけではない。
両の足はいまでも地についている。
しかしなぜか、おれは高い天井を見上げている。
蜘蛛の巣に覆われた巨大なシャンデリア。
魔王城はもともと人間が作った城だった。魔王が最初に滅ぼした国の城。だから光を嫌う魔族には必要のないシャンデリアなんかが置かれている――――
いや、ちがう。
そんなことを考えてる場合じゃない。
なんだっけ?
俺は倒れたんだ。
だから立ち上がらなくちゃいけない。
でも立ち上がれない。
なんでだ?
俺の足と胴が、離れているからだ。
「――――!」
魔法使いがなにかを叫ぶ声が聞こえる。
聞き取れない。
いいから、はやく治してくれ。
痛い。
苦しい。
息ができない。
溺れてるみたいだ。
まだか。
はやく治してくれ。
この際、あの役立たずの治癒術師でもいい。
誰かなんとかしてくれ。
俺を、助けろ。
俺が、こんなところで死ぬはずが――――
【3日目】
「うわああ!」
自分の口から出ているとは思えない、情けない叫び声。
「やめろお!くるなあ!」
汗か、涙か、唾か、鼻水かわからないものが、叫びと共にまき散らされる。
防御結界はもうほとんど崩れかけている。
それでもどうにか持ちこたえられているのは、魔王によって強化された、頑丈な城の柱の影に隠れることができたからだ。
「どうしてこんなことに……どうしてこの私が……」
口が勝手に動く。
吐きたくもない弱音がこぼれる。
でも、仕方ない。
吐しゃ物と同じで、ちゃんと吐き出さなければ、喉が詰まって窒息してしまう。
恐怖で動けなくなってしまう。
「死にたくない……死にたくない……ひいっ!」
私に迫る中型の魔物は知能が低かった。
だから意味もなく柱に突撃を繰り返している。ほんのすこし回り込むだけで私に届くことにも気づかずに。
けれど私は、動くことができない。
柱から伝わる振動に、悲鳴をあげることしかできない。
魔力が枯渇してしまったのだ。
結界の補修どころか、折れた右足の回復さえままならない。
立ち上がることもできなくなって、頼みの綱は柱の一本。
それも魔王によって強化されたものだ。
倒すべき魔王の力によって、僕は命を繋ぎとめている。
情けない。
このままじゃ一族の名に泥を塗ることになる。
私はおじい様もお父様も超える魔法使いにならなければならないのに。
お母様の期待に応えなければならないのに。
魔王を倒せないどころか、たかが魔物一匹相手に後れをとるなんて。
これがお母様に知れたら、私は二度と家の門を跨げなくなる。
やっと認めてもらえると思ったのに。
「誰か……誰か助けて……」
死にたくない。
ここで死んだら、お母様をまた失望させてしまう。
やっぱり産まないほうがよかったと言われてしまう。
泣いてなんかもらえない。弔ってさえもらえない。
せいぜい、妹弟たちに言い聞かせるくらいだろう。
兄のようになってはいけませんよ、と。
そんなの嫌だ。
死ぬより嫌だ。
「ひいっ!」
でも、どうしようもない。
魔物の猛攻は止まらない。いかに知能が低かろうとも、いつかは気づくだろう。ほんのすこし角度を変えるだけで、簡単に私を捉えることができると。
そうなれば、私は終わりだ。
助けはこない。
もし助ける気があるなら、敵が私に夢中になっているこの隙に、反撃に出るはずだ。
けれど、勇者も召喚士も、現れない。
彼らは私を見捨てたのだ。
あの治癒術師を追い出したように、剣士の亡骸に見向きもしなかったように、魔力が枯渇し、動けなくなった私を捨てていったのだ。
馬鹿なやつらめ!
あの二人だけで魔王を倒せるはずがない。
命をかけて私を助けなければ、この先に勝機はない。
ここまで愚かだったとは!
そうだ。私は悪くない。私のせいじゃない。仲間に恵まれなかったんだ。
治癒術師ひとり追放したくらいで機能不全に陥るパーティなど、そもそも私にふさわしくなかったんだ。
たしかに、あの治癒術師にはそこそこの力があった。
治癒術だけでいえば、私に匹敵する力を持っていた。
彼が戦闘中常に回復術をかけ続けていなければ、私たちはいくらかの負傷は避けられなかっただろう。
だが彼にできたのは、結局それだけだ。
勇者も剣士も召喚士も彼の回復術がなくても大きな支障はないと豪語していた。私の回復魔法で十分だと。
だから私は彼の追放に賛成した。
あらゆる魔法に精通する私とちがって、一芸しか持たない彼は不要だと思った。
剣士が盛んに主張していたように、パーティのメンバーが多ければ多いだけ、手柄は分散されてしまう。
治癒術師がいなくなれば、回復役も兼任することになった私の評価はあがるだろう。
治癒術師はまったくの役立たずではなかった。
けれど、その代わりは私が十分担えると思った。
実際、担えるはずだったんだ。
問題は、他のパーティメンバーにある。
彼らがあれほど低レベルだとは思いもよらなかった。
魔王城にはいっていくらもしないうちに、まず前衛の剣士が崩された。
回復術など必要ないと、この身一つで戦えると誰よりも声高に謳っていたくせに、小型の魔物にあっさりとやられてしまった。
回復術師からのサポートはもうないというのに、彼はなぜか、今までと同じような隙だらけの構えをとっていた。
なぜそんなことをしたのかわからない。
回復術師がもういないことを失念していたのか?
それともまさか、回復術師から受けていたサポートを自分の力だと誤認していたのか?
そうだとしたら救いようがない。
事実、彼を救う暇はなかった。
上半身と下半身が分かれたのだ。手をかければ治せないことはなかったが、そんな余裕は私たちにはなかった。
勇者が突破口を切り開くのを、私は魔法で、召喚士は呼び出した聖獣で、それぞれサポートした。
私たちはただがむしゃらに前に進んだ。
どうにか二階にたどり着いたとき、私たちはすでに満身創痍となっていた。
私の魔力は尽きかけていた。
そこにまた魔物が現れた。不意打ちの一撃で私は足を折られた。勇者と召喚士は、魔物が私に狙いを定めたのを見ると、応戦せず背を向けた。
彼らは私を捨てて、逃げたのだ。
あるいは先に進んだのかもしれない。
どちらでも同じことだ。
愚かなやつらめ。
二人だけでどうにかなると思っているのだろうか?
魔王を倒すどころか、きっと城から抜け出すこともできない。
やつらは治癒術師の力を見誤ったように、私の力も見誤ったのだ。
私は稀代の魔法使い。
由緒ある名門一族継ぐ大賢者だ。
こんなところでこんな死に方をする人間ではないんだ。
「ば、ば、馬鹿共が!」
叫んだつもりだったが、声はか細く震えていた。
「わ、わ、私を助けろ!私を助けないと、お前たちも死ぬんだぞ!」
それでも私は力の限りふり絞る。
馬鹿どもに気づかせてやらないといけない。
考えなしの勇者。尻軽の召喚士。無責任に役目を放り出した回復術師。
誰でもいい。
誰でもいいから、私を助けろ!
「私を見捨てれば、本当の馬鹿になるぞ!いいのか!それでも、お前たちは――――」
ふいに、魔物の猛攻が止んだ。
助かった!
私は顔を拭い、涙で潰れていた視界を取り戻す。
そうだ。腐っても勇者パーティだ。世界の命運を担う者たちが、本物の愚者であるはずがない。
私は希望を持って目を開ける。
「ひゅうっ」
喉からおかしな音が漏れる。
視界が真っ赤に染まっていた。
それが自分の血なのか、魔物の口内の色なのかは、私には判断がつけられなかった。
【4日目】
ここまでか。
そんな言葉が、頭をよぎった。
仲間の命を犠牲に、どうにか辿り着いた、最上階の玉座の間。
待ち構えていた魔王は、想像通りのおぞましい怪物だった。
人の姿を模してはいるが、個も意志も持たない、悪意の権化。
人類を滅ぼすことだけを存在理由とする、空虚な王。
怖ろしくはなかった。
倒せると思った。
なぜならおれは勇者だから。
勇者が魔王を倒せない物語など、この世のどこにも存在しないから。
それなのに、おれは魔王に、手も足も出なかった。
突破口など無い。
隙など無い。
ただ一方的に蹂躙された。
剣を折られ、地面にたたきつけられ、血を吐くまで何度も踏みつけにされた。
ありえない。
おれは勇者なのに。
こんな死に方をしていいはずがない。
なにかが間違っている。
ここまで?
ここで終わり?
そんなはずはない。
だっておれは勇者だ。
魔王を倒し、世界に平和をもたらす英雄だ。
仲間を失っても、剣が折れても、どれだけ痛めつけられようとも、最後には勝利を勝ち取る。
古今東西、すべての英雄伝はそうあった。
だからおれの物語も、そうでなければならないはずだ。
おれは、生まれながらの勇者なのだから。
そうでなければ、おれの人生は、なんだったのだ?
王子として生を受けたのに、おれが産まれたときには国は魔王軍によって滅ぼされていた。
荒廃した都市で、生き残った臣下たちが赤子のおれの命を繋いでくれた。
彼らはおれのために飢え、ひとりまたひとりと死んでいった。凍えて死んだ者もあれば、たった一粒の薬を得られないために死んだ者もあった。最後に残った乳母は暴漢に襲われて死んだ。
ひとりになったおれは、泥水と野ネズミを食べて生き続けた。
魔族と暴漢が、弱者を救済しないこの世のすべてが憎かったが、おれは復讐に囚われるようなことはなかった。
おれが生き残ったことには意味があるからだ。
臣下たちは繰り返しおれに説いた。
貴方様は英雄になるお方だ、と。
すべては試練と思って耐えなければならない。
おれはいつかかならず偉業を成し遂げるのだ。
勇者として名を挙げるまでにも、おれはさまざまな理不尽や不幸に見舞われた。
けれどそういうことが起こるたびに、おれは確信を強めていった。
世界がおれからなにもかもを奪っていくのは、おれがいつかなにもかもを手にするからだ。
すべては、勇者であるが故の宿命なんだ。
それなのに、どうしておれは倒れているんだ?
これまでの道のりは順調だったはずだ。
魔王軍の力を削ぎ、いくつもの国と数え切れない人びとを助け、ついに魔王城まで辿り着いた。
おれは魔王を倒し、いよいよ勇者として完成する。
それなのに。
そのはずなのに。
魔王に一太刀もあびせられないまま、おれは地に伏せている。
痛い。
苦しい。
動けない。
おかしい。
こんなのはおかしい。
おれは勇者なのに――――
「しっかりしなさいよ!まだ死んでないでしょ!?」
召喚士が怒鳴る。
なんだ、お前こそ、まだ生きていたのか。
思ったより、根性があるな。
「すこしは役に立ちなさいよ!」
なにを言ってるんだ?
おれに言ったのか?
役に立てと。
勇者である、このおれに。
「もう……!やっぱりあたしも見捨てるべきだった。間違えたわ……!」
間違えた?
そうだろうな。
召喚士とはしょせん、雑用と斥候のための駒にすぎない。
勇者であるおれとはちがう。君たちは簡単に選択を誤る。そしてそれを他人のせいにする。
「恨むなら、自分の無力を恨みなさいよね」
召喚士はそう吐き捨てると、魔王の迎撃にあてていた召喚獣を消した。
動きの鈍っていた魔王が、もとの勢いを取り戻す。
地団駄を踏むように、おれの身体を踏みつける。
骨が砕ける。内臓が破裂する。全身の穴から血が噴き出る。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
これでは死んでしまう。
おれは勇者なのに。
こんなのはおかしい。
ありえない。
そうだ、こんなのはありえない。
きっとなにか、奇跡が起こるはずだ。
起死回生の一矢が、どこからか放たれるはずだ。
おれがそれに気づくと同時に、頭上に魔法陣が浮かんだ。
召喚士が出したものだ。
けれど見慣れた、獣や精霊を召喚するためのものではない。それとは裏返しの魔法陣が、おれの頭上に浮かんでいた。
なんだ?
そうか。
わかった!
やっぱり、おれは勇者なんだ!
召喚士は命をかけておれを救おうとしているんだ。
当然だ。勇者がいなければ魔王は倒せないのだから。
この世界が滅びてしまうのだから。
いいぞ。
パーティにひとりくらい女があったほうがいいだろう、という理由だけで選んだ召喚士だったが、おれはやはり正しい選択をしていたみたいだった。
君は死ぬ。
でも安心してくれ。
魔王はおれが倒す。
君たちの意志はおれが継ぐ。
そうだ。
よく考えれば、これまでの旅は順調すぎた。
魔王討伐への道は、本当はもっと困難じゃなきゃいけない。
だからこの敗北もまた必然なんだ。
次が本番なんだ。
本当の魔王討伐の旅は、これから始まるんだ。
よかった。
これでようやく辻褄があった。
「じゃあね」
召喚士が別れを告げる。
おれは声を出せなかったが、代わりに頷いてみせる。
さようなら。
君のことは忘れない。
魔法陣が光る。
瞬きの間に、魔法陣ともども、召喚士の姿が消える。
おれと魔王は、玉座の間に残されたままだ。
「――――えっ」
ひどく間の抜けた声がした。
誰の声だ?
わからない。
べちゃっという音がして、目の前が真っ暗になる。
この音は知っている。
暴漢に襲われた乳母が、同じ音を立てていたから。
これは、人間の頭が、潰れたときの音だ。
【5日目】
ちくしょう。
ちくしょう。
「ちくしょう!」
たまらず叫ぶと、あたしをとりかこむ魔物の群れがさざめいた。
「なにが魔王よ!意志を持たない悪意の権化よ!」
もうこそこそ息を潜める必要はない。
魔物にすっかり囲まれて、あたしは煮えくり返るはらわたを、存分に吐き出すことができた。
「からっぽのくせに、狡猾なことをするんじゃないわよ!」
けれどいくら悪態をついても、気が静まることも、現状が変わることもない。
もしものときのために、パーティメンバーにも隠していた転送魔法。それがいざ発動させてみると、城の外に出ることさえ叶わなかった。
魔王は、城全体に己の力を張り巡らせていたのだ。
魔王城はただの城ではなく、魔王の肉体も同然だった。
転送魔法は厚い肉の壁によって阻まれ、あたしは玉座から階下への、わずかな距離しか移動することができなかった。
つまりあたしたちは、城に入った時点で、袋の鼠だったというわけだ。
「ふざけんじゃないわよ!」
叫んでも体力を消耗するだけだ。
わかってる。
でも他にどうしようもない。
ああ、悔しい。
こんなはずじゃなかったのに。
転送魔法は自分一人送るだけでも大量の魔力を消費する。
召喚獣を呼び戻すこともできず、あたしは魔王の腹の中を逃げ回ることしかできない。
「勇者は死んだんだから、あたし一人くらい逃がしてくれたっていいじゃない……!」
転送魔法が使えないとわかったいま、生き延びるためには、自力で城を出るしかない。
でも、城に蔓延る魔物たちはそれを許してくれない。
無数の魔物の群れに囲まれて、あたしは身動きがとれないでいる。
なけなしの魔力で精霊を呼び出し、魔物たちの動きを制しているが、これもいつまでもつかわからない。
こんなことになるなら、見殺しにするべきではなかっただろうか。
いや、あいつらがいたところで、打開できたとは思えない。
あの卑劣な連中のことだ。むしろあたしは囮に使われたかもしれない。
あんな連中のために死ぬくらいなら、ひとりで魔物に食い殺されたほうがマシだ。
「くそ……」
ああ、本当に馬鹿なことをした。
逃げ出す機会はいくらでもあったのに、欲を出してしまった。
一番の目的を達成できたことで、気を抜いてしまった。
あとはどうなってもいい、やれるところまでやろう、なんてらしくないことを考えてしまった。
一発くらいおみまいしてやれるだろうと、たかをくくってしまった。
「死んでたまるか……」
ここで死んだら、あたしもあの馬鹿どもと一緒になってしまう。
そんなの御免だ。
自分の力を過信した傲慢な男たち。
名誉に目が眩み、この無謀な旅に嬉々として挑んだ俗物ども。
あいつらの末路は自業自得だ。
同情の余地もない。
でもあたしはちがう。
あたしはちゃんと弁えている。自分の力量を、限界を、きちんと把握している。
それなのに引き際を見誤った。
本当に馬鹿だ。
まったく、救いようがない。
「ちくしょう……」
呼び出した精霊が、ひとつ、またひとつと潰されていく。
魔物の吐いた黒い炎に、あたしは背中を焼かれる。
痛い。
熱い。
悲鳴もあげられないで、あたしはのたうち回る。
苦しい。
息ができない。
背中にあとが残ったらどうしてくれるんだ。
せっかくきれいに治してもらったのに。
自分の皮膚が焼ける匂い。
背中をすり下ろされているような痛み。
耐え難いのに、ひどく懐かしい気分になる。
覚えているものだな。
同じように魔物に背中を焼かれたのは、もうずいぶん前のことなのに。
***
魔王が現れたのはいまから三十年ほど前のことだ。
それまでも人に仇なす魔物は存在していたが、人類の脅威とまではいかなかった。
魔物の統治者として現れた魔王によって、状況は一変した。
魔王はまるで人の王のように魔物を従え、軍として組織し、人類社会への侵攻を始めた。
魔物の軍勢を前に、多くの国が滅ぼされた。数え切れない人が殺された。
あたしの生まれ育った村もそのうちのひとつだ。
あたしが五歳のときだった。森の中にある小さな村は、火を噴く魔物の軍勢に焼き払われた。
魔物が去り、火が消えたあと、生き残っていたのはあたし一人だけだった。
そのあたしも、背中一面に火傷を負って、虫の息だった。
水が欲しかった。
風に触れるだけで背中が痛くて、熱くて、水の中に入ればマシになるかな、と思ったから。
それにひどく喉も乾いていた。
溺れるくらい水を飲んで、なにもかも全部洗い流したかった。
「もう大丈夫」
優しい声がした。
目の前が光に包まれて、あたしの身体は軽くなった。
本当に、水の中に入ったのかと思った。
痛みと熱がすうっと消えて、喉の渇きもなくなったから。
あたしは怖くなった。水に浸かりたいとは思ったけど、泳げなかったから。
「大丈夫だよ」
また、優しい声がした。
あたしは溺れなかった。
光が少しずつ弱まって、あたしは自分が水の中にいるわけじゃないことに気が付いた。
あたしは知らないお兄さんの腕の中にいた。
「もう、どこも痛くない?」
お兄さんがそう言うと、生ぬるい潮風が吹いた。
それはお兄さんの魔力だった。
お兄さんの魔力に撫でられたあたしの身体には、かすり傷ひとつなかった。
それがあたしとお兄さんの出会いだった。
当時、お兄さんは魔王軍の足跡を追う旅をしていた。魔王軍に襲われた村や町に赴き、生き残った人びとを治療して回っていた。
天涯孤独となったあたしは、引き取り手が見つかるまでの短い間、彼と旅を共にすることになった。
「新しい家は大きな都市で見つけよう。君には魔法の才能があるみたいだから、それを生かすことのできる場所がいい」
優しい人だった。
あたしの引き取り先を探す傍らで、いくつもの村を巡り、たくさんの人を救い続けていた。
貧しい人も金持ちも、大人も子供も、善人も悪人も、彼は分け隔てなく救った。
感謝されなくても、理不尽に罵倒されることがあっても、彼は歩みを止めなかった。
「僕もむかし、魔物に家族を殺されたんだ。そのとき救えなかった家族の代わりに、僕はいま、ひとりでも多くの人を救おうとしているんだよ」
人助けの理由を、彼はそう語った。
あたしは彼のようになりたいと思った。
だから治療術を教えてほしいと頼んだ。
けれど彼は首を横に振った。
「君には魔法の才能がある。目指すなら、治療しかできない僕のような人間ではなく、数多の魔法を使いこなす、魔法使いにしなさい」
「でも、あたしも、お兄さんみたいに人を助けたい」
「僕のようになってはいけない」
そこで彼は、彼の治癒術の秘密を教えてくれた。
「僕はたくさんの人を治すために、自分の命を削っているんだ。治癒術の精度をあげるために、それ以外の魔法は使えないよう封印もしている。僕は子供を残せないし、おじいさんになるまで生きることもできない。君は、大人になる前に死にたい?」
あたしはなにも答えられなかった。
死ぬのは怖かった。
火傷の痛みを思い出すと、手足が冷たくなって、身体が震えた。
「それでいいんだ」
お兄さんは、そんなあたしを優しく抱きしめてくれた。
「他人のために自分を犠牲にするような生き方をしてはいけないよ」
あたしは大都市の裕福な商人の家に引き取られた。
本当はお兄さんと旅を続けたかった。
でも今のままでは足手まといになるとわかっていたから、我慢した。
あたしはがむしゃらになって魔法の腕を磨いた。
お兄さんが言ったような魔法使いにはならず、召喚術にのみ特化した召喚士になった。
旅の供に、召喚士は必須だからだ。馬代わりにも番犬代わりにもなる召喚獣を使役することができるし、倉庫に魔法陣を繋いでおけば、たくさんの荷物を抱えておくこともできる。
あたしの夢は一流の召喚士になって、またお兄さんと旅をすることだった。
あたしは召喚士として順調に評判をあげていった。
大国の王家に雇われ、魔物討伐や護衛の任務にあたって、経験を積んでいった。
魔王討伐のための勇者パーティが組まれると耳にしたのは、十五歳のときのことだった。
お兄さんも治癒術師として参加することを知ったあたしは、仕えていた王に何度も頭を下げ、勇者やすでに内定していた他のメンバーに媚びを売り、どうにかパーティに加えてもらった。
十年ぶりに会ったお兄さんは、相変わらず、命を削る治癒術を使っていた。
魔王討伐の旅は、生半可なものではない。
パーティメンバーはきっと何度も瀕死の重傷を負うだろう。そのたびに治療術を使っていたら、お兄さんの命はいよいよ尽きてしまう。
さらに悪いことには、お兄さん以外のパーティメンバーは、他人を顧みない、傲慢なろくでなしだった。
お兄さんがどんな大けがでも瞬時に治すという高度な治癒を行っていることにも、そのために命を削っていることにも、なにも気づいていない愚かな連中だった。
止めなければ、と思った。
あたしがパーティに参加した目的は、魔王討伐のためじゃなかった。
お兄さんを救うためだった。
他人のために命を犠牲にするなんて馬鹿なこと、もうやめさせるためだった。
お兄さんはあたしのことを覚えていなかった。
寂しかったけど、都合がよかった。
あたしはいかにお兄さんが無能であるか、パーティメンバーに吹聴した。
パーティメンバーがお兄さんの悪口を言ってるときには、必ず便乗した。
お兄さんのことを毛嫌いしているように振舞った。
お兄さんの居心地が悪くなるよう、努力した。
でも優しいお兄さんはなかなか折れてくれなかった。
その身を犠牲にして、パーティメンバーの窮地を救い続けた。
こんなやつらのために命をかけるなんて、お兄さんは馬鹿だ。
何度そう思ったかわからない。
いざとなったら、奥の手の転送術を使おうと思っていた。
無理やり遠くに飛ばして、戦いから遠ざけようと思っていた。
でもその前に、愚かなパーティメンバーがお兄さんを追放してくれた。
お兄さんは酷く傷ついた顔をしていた。あたしは胸が張り裂けそうになると同時に、心から安堵した。
これでお兄さんは解放された!
酷いことをいっぱい言ってしまったから、あたしは、例え生き残っても、二度とお兄さんには会えないだろう。
それでもかまわない。
あたしたちなんかのために、お兄さんは死んじゃいけない。
できれば、他の誰のためにも。
あたしだって魔物が憎い。魔王を倒したい。世界が平和になってほしい。
でもそのためにお兄さんが死ぬのは間違っている。
お兄さんはもう十分人のために尽くした。
あとは他の人がやるべきだ。
お兄さんは、これからは、自分のためだけに生きるべきなんだ。
新しい故郷をつくって、家族を持って、おじいさんになるまで幸せに暮らしてほしい。
去っていったお兄さんを何度も振り返りながら、あたしはそう願った。
***
『――――やっと見つけた』
優しい声がした。
魔物に囲まれ、背中を焼かれ、地に倒れ伏したあたしは、はじめそれを幻聴だと思った。
『もう大丈夫』
懐かしい声だった。
別れてからまだ五日しかたっていないのに、十年ぶりに聞くようなかんじがした。
「なんであんたがここにいるのよ……」
あたしは声のしたほうに、どうにか首を向ける。
そこにあの人はいなかった。
魔力でできた、淡く光る、幻の魚が浮いていた。
『酷い怪我だ。でも大丈夫。僕ならすぐに治せる』
魚は魔法によってつくられたものだ。
遠話魔法?
なぜあの人がこれを使えるんだろう。
「封印を解いたのね……」
朦朧とした頭で、あたしは理解する。
お兄さんは勇者パーティから解放されたのだ。
治癒術師であることをやめたのだ。
高度な治癒術を手放す代わりに、他の魔法が使えるようにしたのだ。
「よかった……」
きっとお兄さんは、生き方を変える決心をしてくれたんだ。
酷いこといっぱい言っちゃったけど、よかった。
ちゃんと響いたんだ。
ちゃんとあたしたちに失望してくれたんだ。
そうだよ。
人間なんて、馬鹿ばっかり。
ろくでもないやつばっかり。
お兄さんみたいないい人が、犠牲になる価値なんてない。
『封印……?』
動揺したように、魚が大きく揺らぐ。
『なぜ君がそれを知っているんだ?僕はその話を誰にも――――今まで、たった一人にしか――――』
あたしは笑う。
やっと気づいたの?
鈍い人。
まあ、あたしも必死に隠してたけどさ。
だってあたしがあの子供だって気づいたら、お兄さん、きっとなにがあってもパーティを離れなかったでしょ?
あたしはもう二度と、お兄さんに救われるつもりはないんだよ。
『君は、まさか、あのときの――――』
魚は揺らぎながら、あたしに近づいてくる。
『――――いや、いまはそれどころじゃない。まだ間に合う。君の術で、僕をそこに召喚してくれ』
ああ、なるほど。
だからここに来たのか。
まったく、どこまでもお人よしなんだから。
「言ったでしょ、あんたなんか、いらないって……」
『強がりを言っている場合じゃないだろう!』
「もう魔力がないのよ」
『僕の魔力を吸収するんだ!召喚術一回分くらいにはなるだろう!』
鼻先まで、魔法の魚が近づいてくる。
またそうやって、自分を犠牲にしようとするんだ。
そうはさせないよ。
あたしはもう、お兄さんから、なにももらうつもりはない。
「誰が雑魚の助けなんか借りるもんですか」
あたしは魔物をせき止めていた精霊をすべて消す。
身体にほんのわずか、魔力が戻ってくる。そのなけなしの魔力をこめた吐息を、近づいてきた魚に、思いっきり吹きかけてやる。
『馬鹿なことを――――』
魚は泡となって消える。
お兄さんの声が途切れる。
「たしかにあたしは馬鹿だけど、お兄さんほどではないよ」
あたしはそう笑って、目を閉じる。
魔物が一斉に襲い掛かってくる。
お兄さんが救ってくれた命。
もうすこし大事にしたかったな。
でも最後に、すこしでも返すことができて、よかった。
【十年後】
勇者パーティによって、魔王が討伐され、世界に平和が訪れた。
人びとは歓喜し、勇者を中心とした五人のパーティメンバーを、英雄として崇めた。
中でも一番の功労者は治癒術師だった。
治癒術師は最初の魔王討伐パーティにも参加していた、歴戦の術師だった。
最初の勇者パーティは、彼以外誰一人として戻らなかった。
生き残った彼はその後も腕を磨き続け、二度目となる討伐で、見事、雪辱を果たすことに成功したのだ。
そんな治癒術師を、世界中の誰もが称賛した。
誰もが彼の功績を認め、比肩する者のない最高の治癒術師として、その名は歴史に刻まれた。
しかし治癒術師は、どれだけの賛辞も感謝も受け取ろうとはしなかった。
彼はただ静かに語るばかりだった。
自分がパーティに参加したのは魔王を倒すためではなかった、と。
ただ、かつての仲間の亡骸を探したかっただけなのだ、と。




