第三話 咆哮する原初の憤怒
『選ばれし者よ。汝の怒りは、如何ほどか』
その声が脳髄を貫いた瞬間、ルクスの奥底に沈んでいたものが、一気に噴き出した。
怒り――否、それは怒りの皮を被った、絶望、喪失、裏切りの総体だった。
何故、自分が切り捨てられたのか。
何故、何の説明もなく、ただ命令だけが突きつけられたのか。
どれだけ支えてきた?
どれだけ身を削って、パーティに捧げた?
仲間の傷を、弱さを、欠点を全て補って、それでもまだ足りないというのか?
ガルヴァン。
ある時からか、お前の俺を見る目が変わった。
目を合わせず、指示だけを投げて、それが信頼だと?
ふざけるな。
何故、俺を置いていった?
何故、俺をパーティから追い出さず、このような手段を取った?
“固定の絆”の解散不可期間はとうに過ぎているだろうが。
ロカ。
お前の魔法が人の命を救った日を覚えている。
俺はその術式を補強し、発動速度や魔力効率を最適化した。
それで威力が二割も上がったと笑っていたよな。
だが今や、俺にかける言葉すら惜しいのか?
ユレイラ。
お前の失敗のせいで失った信頼は、誰が取り戻したか分かっているのか?
俺がどれだけの人に頭を下げ、許しを乞うたか。
いつも高圧的なお前には分からないだろうな。
最後の瞬間も、お前は俺を見ていなかったな。
そして、ゼド。
最初の頃、お前の感知出来なかった罠を俺が指摘しなければ全員が死んでいた。
その後も感知について色々教授したというのに。
今までのお前の感謝の気持ちは本物だった。
何故、俺を捨てて行ったんだ。
全部、全部、無かったことにするのか。
戦った日々も、重ねた言葉も、流した血も、支えた想いも。
全部、すべて、不要だったと?
――許せない。
自分が無能だったのなら、仕方無いと割り切れた。
だが、そうじゃない。
思い返せば絶対に、俺は必要だった。
誰よりも多くの時間を費やし、誰よりもこのパーティのために働いた。
それを価値がないと切り捨てたのは、あいつらだ。
その癖に、堂々と進んでいく。
俺を切ったことでより強く、より洗練された形になったとでも思っているのか。
ならば、見せてやる。
その浅はかさが、お前らにどれほどの絶望を与えるかを。
“怒り”がどれほどの力を孕んでいるのかを。
裏切られ、捨てられた者の恨みが、どれほどの深淵を生むのかを。
ルクスの中の怒りは、ただの感情ではなかった。
それは魂そのものを歪め、力へと変換される原初の衝動。
言葉にならない憎悪が、血管を焼き、骨髄を焦がし、心臓を貫いていく。
刹那――。
全身から蒸気が噴き上がり、黒い魔力が爆ぜた。
《憤怒》は、ついにその姿を顕現させた。
そして、黒剣から放たれた黒き光が、ルクスを包み込む。
次の瞬間、ルクスの脳裏に直接、情報が流れ込む。
《原初スキル:憤怒》
《効果:精神統制解除・魔力増幅・自己再生・形態変化・怒炎顕現》
《制限:感情値の限界突破時のみ発動/使用中は自己制御不能》
「くっ、カハッ……ゴホッ、ぐあっ……」
呼吸が荒くなる。
感情が暴れ、理性を押し流す。
それでも――ルクスは、はっきりと理解していた。
この力が、“誰か”に与えられたものではないということを。
これは、裏切られた者にだけ与えられる、対価。
正に選ばれし者。
「……復讐する。あの全員を必ず、地に堕とす……!!」
目の奥が、血のように赤く染まった。
地に捨てられた男は、今ここに、“原初”となった。
「俺は……裏切られたんだ」
忘れられない。
そして今後一生忘れる事も無い。
振り返らずに去っていった背中。
誰一人、俺を振り返ろうとはしなかった。
「何故だ。俺はあんなに、皆のために……」
喉元までこみ上げてくる怒りを、押し殺す必要はなかった。
黒い奔流が、俺の内側を満たしていく。
理性が揺らぎ、感情が渦巻き、かつてない程“自分自身”を感じていた。
これは怒りじゃない。
俺が、怒りそのものになっていく。
「ぐっ……はぁっ……!」
腹の底から絞り出すような呻きが漏れる。
皮膚が焼け、血が沸き立つ。
筋肉が膨張し、骨が軋みを上げる。
理性の壁が崩れ、代わりに心の奥底から湧き出る“本音”が姿を現す。
「全員ぶっ壊してやる……」
あの傲慢なガルヴァンも、見下しながら笑ってたゼドも、冷たく目を逸らしたユレイラも。
俺の存在を記録係としか思ってなかったロカも。
この怒りを、見せつけてやる。
視界の端が赤黒く染まった。
俺の足元にあった石床が、知らぬ間に砕けている。
踏みしめただけで、そこが陥没するほど力が増していた。
瞬間、周囲の魔素が騒めいた。
……何かが来る。
俺は剣を構えた。
自分の意思じゃない。
身体が勝手にそうしていた。
影が現れた。
異形の魔獣。
牙と爪と甲殻に覆われた、常識では測れないサイズの化け物だ。
こいつが、ダンジョンの奥に潜んでいた真の脅威か――?
「来いよ……」
低く、吐き捨てるように呟いた。
理性がどんどんと遠ざかっていくのが分かる。
けれど、それが怖くなかった。
寧ろ、気持ちよかった。
これまでに無い程に。
「全部壊してやる……俺を捨てた、この世界ごと……!」
魔獣が突進してくる。
地響きを立てながら迫る巨体。
だが、俺は一歩も退かなかった。
剣を振り上げ、黒い魔力を纏わせた。
その瞬間、轟音が響いた。魔獣の肩が裂け、甲殻が吹き飛ぶ。
強いな……これが、憤怒の力か……。
身体が熱い。
叫びたいくらいに、今の自分が“生きている”と感じる。
このまま、全部ぶつけてやる。
怒りも、憎しみも、裏切られた痛みも。
その為に、この力は俺に与えられたのだ――!
思考が、燃えていた。
目の前の魔獣の唸り声も、踏み鳴らす音も、もう耳には入らない。
ただ、この拳、この剣、この力で叩き潰すべき対象としてしか認識出来なかった。
速い……だが、見える……全部、見える。
お前が今からどう動くのか、俺にどう攻撃してくるのか。
四つ足の動きそれぞれが全て、見えている。
魔獣が跳躍し、爪を振り下ろす。
だがそれを見切り、体を捻って回避。
すぐさま右腕に力を集中させる。
黒い魔力が奔る。
剣を投げ捨て、拳を使った。
幾度と魔獣を殴打し続ける。
「おい、まだこの程度じゃ終わらねえよなァ……? もっと来いよ!」
魔獣の甲殻が光り、段違いに固くなる。
一瞬ルクスが止まった隙に魔獣が退き、体勢を整えようとする。
牽制のためか、魔獣が咆哮を上げた。
「グルアアアァァァァ!!」
耳を劈くような咆哮に一瞬怯むが、迎撃の体勢は崩さない。
魔獣が身体を低くし、ルクスへと突っ込んでいく。
そしてルクスの前方2m程で急加速した。
「見えてんぞ……!」
振り下ろされた右の爪を左腕で受け止め、下から来る左の爪を足で蹴り飛ばす。
そして右腕で突きを放とうとするも、それは魔獣の右足で払われる。
「やるじゃねえか」
今や最下層は静寂ではなく、熱気に満ちていた。
ルクスがとどめを刺そうとすると、魔獣はタイミング良く甲殻を硬化させ体勢を立て直す。
戦い慣れていないルクスは一瞬出来た隙を魔獣に突かれ、防御の体勢に入らざるを得なくなる。
正に一進一退の攻防。
互いに疲労が見え始め、隙が多く、大きくなっていく。
魔獣が硬化し、一度退く。
互いに分かっていた。
次が最後だと。
「……来いよ」
魔獣が今までで最大の溜めをしている。
ルクスも怒りを燃え上がらせ、拳の魔力を高めていく。
互いに接近する。
魔獣の振り下ろされた両の爪を片腕で受け止め、もう片腕を振りかぶる。
「ありがとよ」
振り上げた拳が空気を裂き、直撃した魔獣の頭部が爆ぜた。
甲殻の破片が飛び散り、血と臓物があたりに撒き散る。
俺の頬を、体を、それらが汚していくが――どうでも良かった。
「ッ――!」
楽しい……。
口元が笑っていた。
笑い声すら漏れそうだった。
こんなにも力に満ちている。
誰にも邪魔されず、何もかもを壊せる。
これが……自由か……。
記録に徹し、雑務をこなしていた俺の制限を自ら破れた。
怒りが、呪いではなく翼に思えた。
痛みも、裏切りも、喪失も、全てを燃料に変えて飛翔する。
《憤怒》は、そういう力だった。
――だが。
『警告。感情値、閾値を超過』
突如として、キーンと脳裏に冷たい警告音が鳴る。
『制御不能領域に到達。敵意反応消失。精神同調を分離開始――』
何かが、切れる音がした。
意識がぼやけた。
自分が自分ではなくなる。
世界がぐにゃりと歪んでいく。




