第二話 固定の絆という名の呪い
翌朝。
王都地下に広がる迷宮、ゼーンズフトへと続く転移門の前に、《光剣の誓約》の五人が集っていた。
結界魔法の調整を終えた係員が頷き、魔力の揺らぎが転移門の表面に現れる。
「準備は出来たな。出発だ」
ガルヴァンの号令で一行は、門の中へと足を踏み入れた。
転移の瞬間、視界が白く染まり、次に目を開けたときには第四階層の元ボス部屋に立っていた。
分厚い魔石で出来た壁、低く響く水音、空気には鉄錆と血の匂いが混ざる。
「進行は昨日伝えた通りだ。ゼドが先行偵察、ロカは魔法陣の用意、ユレイラは後方支援。ルクスは後衛で記録。罠の感知も可能な範囲で頼む」
会議の通り、事務的に言い渡された役割。
その中で、ルクスの担当は最も代わりが利くものだった。
記録、罠の報告、危険信号の設置。
戦闘にも戦術にも、直接は関わらない。
「了解」
自分が受け持つべきだった陣形の指示も補助魔法の配置も、攻撃のフォーカスすらも、今は他の誰かが担っていた。
それでも、自分は仲間だ。
ルクスの足取りが段々と重くなり、視界が揺らいでいく。
何かが彼の精神を圧迫していた。
最奥部を目指して果敢に進む一行の中で、ルクスは一人、沈黙を守り続けた。
魔導具で周囲の魔力の流れを確認し、刻々と記録を取っていく。
だが、歩を進める度に、胸に広がる重みが消えなかった。
信じたい。
仲間を、あの笑顔を、過去の戦いを。
それでも、湧き上がる疑念は、どこかで確信めいていた。
罠の気配を感知したルクスが警告を発する。
「前方五メートル、魔力反応あり。罠である可能性が高いため迂回を推奨する」
だが、ガルヴァンは振り返らずに歩き続けた。
「無視しろ。時間が惜しい」
「……っ、待て、そこは――!」
警告が届く前に、ガルヴァンが踏み込んだ。
直後、床が軋み魔法陣が展開される。
激しい閃光と衝撃が走った。
粉塵の中、ロカが防御魔法を即座に展開し、ゼドが身を伏せていた。
ユレイラがガルヴァンに駆け寄り、治癒魔法を行使する。
――自分の存在など、最初から必要無かったかのように、連携は完璧だった。
ルクスは一歩後ろで、その光景をただ見つめていた。
「俺は……必要ないのか……」
その言葉が、掠れた喉から零れ落ちた。
違和感は、もはや確信に変わっていた。
第四階層から第五階層へと続く螺旋状の通路を、ルクス達は沈黙のまま進んでいた。
岩壁に反響する足音だけが響く中、ゼドが手を挙げた。
「停止。前方、魔力の揺れを感じる。ロカ、分析を頼む」
「魔石の密度が上がってるよ。変異体の可能性が高いね」
ロカの報告に、ゼドが眉を顰める。
「ふむ、罠じゃないが……。どうも動きが不自然すぎるな」
ルクスは壁際の魔素の流れを魔導具で読み取りながら、確認出来た事を伝える。
「この通路、再構成が進んでいるようだ。地図の形状が変わっている。以前の記録とは一致しない」
「ならば無視する。情報通りでない場合は俺が決める」
ガルヴァンの応答は早かった。
反論する隙すらない。
それは最適解のようにも見えるが、ルクスには無条件に信頼のおける状態では無かった。
再度進んでいくが、ゼドがまた何かを感じ取ったようだ。
「左手に隠し扉だ。痕跡がある」
その報告でロカが即座に結界の準備を始める。
「敵の伏兵かもな。ガルヴァン、どうする?」
「開ける。ゼド、用心して進め」
判断はすべてガルヴァンの中で完結していた。
ルクスは、何も問われない。助言する間も与えられなかった。
隠し扉の先は細い通路だった。
一行は一列に並び直して進む。
その間、ルクスは周囲の魔力流を観測し敵の気配を探っていたが、そんなものは感じない。
しかし突然、前方から叫び声のようなものが響いた。
「来るぞ! 魔物だ!」
ぬるりと現れたのは、甲殻に覆われた巨大な魔獣、“アラクネの変異体”だった。
ゼドが瞬時に攻撃を仕掛け、ロカの雷撃が重なり、ユレイラの支援魔法が展開される。
即座に成された連携は完璧だった。
だが、その中にルクスの居場所はなかった。
「魔核は背部。再生器官は腹側に集中、攻撃誘導を……」
口に出した分析結果も、誰の耳にも届かない。
戦場の喧騒がすべてを掻き消していた。
やがて、ガルヴァンの大剣が魔獣の首を斬り裂き、アラクネは絶命した。
魔力が霧散し、静寂が戻る。
その時だった。
「次の中部屋でルクス、待機しておいて貰えるか。この先は魔物も強くなるだろうから、安全を確保出来次第お前を迎えに行く」
唐突に放たれた指示。
ただ、そこに“置いていく”ことが前提のような声音だった。
ルクスには、ガルヴァンの雰囲気からもそう聞こえてしまった。
「了解だ……」
声が震えそうになるのを、ルクスは無理やり押し殺した。
かつて、ルクスの指示無しにはこのパーティは成り立たなかった。
ルート構築、戦闘導線、物資運搬、記録や報告。
それだけではない。
ルクスの支援があったから、皆が無事に帰還できていたはずなのに。
今や自分は、ただのそこにいるだけの形式上の仲間だ。
記録係であり、足手纏いであり、切り捨てても影響のない存在。
理解はしていた。
だが、認めるにはまだ心が追いついていなかった。
待機指示を受けたルクスは、部屋の壁に凭れかかった。
前方では仲間たちの足音が遠ざかっていく。
彼らは何も言わなかった。
ただ命令通りにルクスを残し、前へと進んでいった。
……まさか、とは思いたくなかったけども。
胸の奥で、何かがはっきりと崩れる音がした。
あれほど信じた絆は、言葉もなく断ち切られた。
通路の冷気が肌を刺す。
いや、違う。
全身から熱が引いていた。
呼吸が浅くなり、膝が僅かに震える。
このまま置き去りにされる?
いや、次の部屋で合流する予定……だったはずだ。
必死に理屈を探す。
だが、そう思えば思うほど、仲間たちの背中は遠ざかっていく。
まるで、もう二度と戻ってこないと知っていたかのように。
どれだけ時間が経っただろうか。
ルクスはとうに思考を放棄していた。
唐突に、頭上の天井から軋む音がした。
反射的に見上げた次の瞬間、視界が真っ白に染まる。
転移魔法ではない。
これは――罠。
床が抜けた。
ルクスの身体は、重力に引かれるままに落下していく。
「ッ、くそっ――!」
思わず叫ぶ。
暗闇の中、身体を岩に打ちつけながら、無数の光が視界を掠める。
そして落下の衝撃と共に、意識が断ち切られた。
目覚めたのは、どれほどの時間が経った後だったか。
全身に鈍痛が走り、手足が思うように動かない。
だが、奇跡的に致命傷はなかった。
戦術符の自動防護が働いたのだろう。
服は裂け、血が滲み、傷だらけだったが、ルクスは生きていた。
光のない空間。
湿った空気。
崩れた石柱と、歪んだ地形。
ここは地下迷宮の最下層――構造図はおろか、どんな書物にも載っていない“隔離領域”。
「何だ……こんな場所、知らないぞ……」
呟いた声は反響しなかった。
孤独だけが、空間を支配していた。
ルクスは体を引きずりながら立ち上がる。
魔具の光を頼りに周囲を確認しようとした、その時。
視界の奥に、何かがあった。
石で組まれた祭壇。
だが、今まで見たどの遺跡とも異なるのは祀られているもの。
そこに、一振りの黒剣が突き立てられていた。
黒く、深く、そして……呼んでいた。
刃に刻まれた赤い紋様が、ルクスの心臓の鼓動に同調するかのように脈打つ。
「……これは」
足が、勝手に前へと進む。
傷の痛みも、疲労も、その瞬間だけは忘れていた。
手を伸ばす。
刹那、耳元に声が響いた。
『選ばれし者よ。汝の怒りは、如何ほどか』
その声が脳髄を貫いた瞬間、ルクスの奥底に沈んでいたものが、一気に噴き出した。




