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第三十二章 移ろう気持ち②

【前回までのあらすじ】

さらわれたアンジェを助けに向かった黒狼ルゥ(ルーク王子)は、異母兄ギルバートが自分と同じように黒狼として生きていたことを知ります。アンジェをめぐる決闘をしていると狩人が現れ、黒狼ルゥは銃弾を受けて滝つぼへと落ちてしまい……


聖女狩りの男らに捕まったアンジェは偶然訪れたフェルゼン王子に救助されますが、彼は一目惚れしたアンジェを口説き、一気に溺愛モードへ……。そこへ黒狼ルゥのフリをした黒狼ギルバートがアンジェを独占したくなり……

ラント王国第二王子フェルゼンは毎朝毎晩「挨拶」と称してアンジェ(川野)の部屋を訪れていた。プロポーズ前までの、かつての彼なら、部屋に踏み込むなり、強引なセクハラ行為を連発し、その度にアンジェ(川野)はウンザリされられていた。



ところが、今は違う。



「アンジェ、愛しているよ」


その言葉と共に、羽毛がふわっ触れるような優しさで贈られる、おでこへのキス。



『お試し婚約者』の彼は驚くほど潔く、セクハラ路線から身を引いた。

唇へのキスも、強引なハグも、腰に回される厚い掌も、手を繋ぐことも、すべてぱったり止まり、見事なまでに約束を守ってくれていた。



アンジェ(川野)自身、最初は、その変化に安堵した。

セクハラ大魔王から解放された……はずだったのに、突然不安の芽が心に生まれた。



もしかして、私のことが飽きた? それとも、ほかに好きな女性でもできた?

 


(……手は繋いでいいっていったのに……手も繋がないなんて……)



フェルゼンとは穏やかな関係、静寂な関係を望んでいたはずなのに、静かすぎる関係が続きすぎて、アンジェ(川野)の心は、やるせない切なさで満ちていた。



フェルゼンの囁く「アンジェ、愛しているよ」の言葉の響きは、かつての傲慢さも、遊び人らしい言葉でもなく、一人の女性を慈しむ騎士のような誠実さを帯びている。



何より反則なのは、その声だ。

スイートソプラノの声優、善明寺敬介。



その声で囁かれるたび、アンジェの心臓は彼女の意志を無視して、日常を色鮮やかな「ドキドキTime」へと変化させてしまった。



バスタブの中で、アンジェは自分の膝を抱きかかえた。



(私……こんなふうに、ただ大切にされる日常が欲しかったのかも)



転生して以来、常に命の危険や、誰かの思惑、バッドエンドの恐怖に晒されてきた。

そんな中で、見返りも求めず、ひたすら優しく見つめられ、敬意を持って接してくれる。



額へキスされる、ほんの(わず)かな数十秒。

アンジェ(川野)にとっては、それが嬉しくもあり安らぎにも似た貴重な数十秒になっていった。



湯船の中で動かした手にサファイアの青が揺らめくように輝く。

フェルゼンから送られたサファイアの婚約指輪は、外すこともなく、ずっと嵌めたままでいた。



お試しでも、婚約指輪なんて……キツイし、重い……わけでもなく、薬指の金のタトゥーを覆い隠す婚約指輪は、アンジェ(川野)の指に馴染み、青色も目に心地いい。



あの日、フェルゼンが地面に膝をついた大袈裟なプロポーズも、海外ドラマのワンシーンのようで、恥ずかしさだけが募った。



それでも、あの時の彼の緊張した顔が焼き付いて離れない。

何故か、嫌ではなかった。



フェルゼンの過剰なまでの情熱に、自分が救われているような気さえする。

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