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第四章 「ファーストキス」①

---ヴァレー国 ダンテス・クレイモン伯爵領内 湖---



ガイはその朝、珍しく早起きをしていた。伯爵夫人に告げたのは「野兎狩りに行く」という無難な口実で、弓と矢は数本のみ持った。

元より野兎を狩るつもりはなく、アンジェと二人きりになるのが目的だった。



アンジェはというと、その朝はダンテス・クレイモン伯爵が所有する鉱山を管理する領主の元へ、手紙を持っていくように言いつかっていた。



ガイとアンジェの向かう方向が一緒だったことに、伯爵も伯爵夫人も気に留める様子は見せなかったが、ガイは用心して、屋敷から少し離れた場所にある、西洋杉の大木の前でアンジェと待ち合わせた。



一足先に大木の前で待っていたガイは、向こうから駆けてくるアンジェに手を振った。



「ガイ兄さま、待った? 」



「いいや」



「ねえ、どうしたの? 外で話したいって。この間、みんなが帝都に行ったこと? ジュリエッタが公爵家の養女になったこと? 」



(アンジェには、ジュリエッタが養女になったと言っていたのか……)



「帝都に行ったことを聞こうとすると、養女になるジュリエッタを見送っただけって言うし。ジュリエッタって、養女になりたいなんて言う子じゃなかったのに、どうしちゃったのかしら」



「きっとさ、女心と春の空だよ」




「なに、それ。答えになってない」ふふっ。



「ジュリエッタだって、うちにいるより、公爵家で暮らした方が贅沢できるからなんだろう」



(こんな嘘をアンジェに言わなきゃいけないなんて……僕は最低なヤツだ)ガイは伏し目がちになる。




「確かに! そう言われたら、そうよね。ジュリエッタもジュリエッテも、贅沢が好物みたいな人たちだから」アンジェは納得したように、頷く。




「ねえ、アンジェ。この先の湖まで行こうよ。紫の花がたくさん咲いてて、すごいきれいなんだ」



「わあ、本当? 見てみたい」



立ち上がったガイがアンジェへ手を伸ばすと、アンジェはガイの手を握り、立ち上がる。ガイと手が繋がっていることに、あっ、と恥ずかしそう頬を赤らめ、手をひっこめた。



森へ続く細道を並んで歩きながら、アンジェは小さく息を弾ませていた。



「久しぶりね、この森に二人で来るのって」



その言葉に、ガイも首を縦に振る。幼いころ、まだ伯爵夫人の鞭打ちも無かった頃、二人は何度も、この道を抜け、その気にある湖まで足を伸ばした。



湖へ到着すると、湖面が風に揺れているだけで、景色何ひとつ変わらず、静かだった。水面は鏡のように青空と白い雲を映しだし、風が吹くたびにキラキラと光を散らしている。



「アンジェ、覚えてる? 」



「うん」とアンジェが笑う。



「ここで靴を片一方落として、ガイが拾おうとしたら、湖に尻もちをついて、お尻がずぶ濡れになったことでしょ」

あはは、とガイが照れ笑いする。



「あれ、お漏らししたみたいだったよね」



二人は声を立てて笑い合う。あの頃は「今」と同じ未来があると思っていた。。



笑い声が落ち着いたとき、沈黙が訪れた。

ガイは、気が付くと、アンジェの手のすぐそばに、自分の指が触れたことを意識していた。偽アンジェの姿が思い出される。アンジェにそっくりのジュリエッタは女神のように美しかった。



アンジェの、この手に触れてはいけない、そう何度も思った。そこへ、湖面に落ちた太陽の光が反射した。アンジェの横顔に一条の光り。銀髪がさらりと風になびく。ガイの胸の奥に溜め込んできた想

いが、一気にこみ上げてきた。



「アンジェ」



名前を呼ばれたアンジェが振り向く。アンジェとガイの顔の距離が近い。



次の瞬間、ガイは衝動に身を任せ、アンジェの唇に、自分の唇を押し当てた。重なりあう二人の唇。



小鳥の声と、湖面の揺らぎが、二人を包む。

「ごめん……」先に唇を離したのはガイだった。




「……うん……」アンジェの声が震えている。




「アンジェ、僕は君のことがずっと……好きだったんだ。だからさ、いつか二人で、あの家を出ようよ。一緒に暮らそう、僕と二人で」



アンジェはドキドキと早鐘のように鳴る鼓動と、突然のガイのキスと告白に、どう答えていいのかわからなかった。



(……私も好き……)と答えるのが本当の気持ちなのに、

「いま、よく、わからない……ごめん」そう言うのが精いっぱいだった。




その光景を、森の木陰から、鋭い視線が二人を射抜いていた。双子の妹、ジェリエッテは、嫉妬に燃える瞳で「許さないんだから!」と唇を噛みしめた。

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