第三十章 婚約指輪②
【前回までのあらすじ】
さらわれたアンジェを助けに向かった黒狼ルゥ(ルーク王子)は、異母兄ギルバートが自分と同じように黒狼として生きていたことを知ります。アンジェをめぐる決闘をしていると狩人が現れ、黒狼ルゥは銃弾を受けて滝つぼへと落ちてしまい……
聖女狩りの男らに捕まったアンジェは偶然訪れたフェルゼン王子に救助されますが、彼は一目惚れしたアンジェを口説くのですが、黒狼ルゥのフリをした黒狼ギルバートがアンジェを独占したくなり……
ラント国第二王子フェルゼンに問われた下女は、おどおどしながら話始めた。
「はい、フェルゼン様……お方様の部屋に居着いている黒狼が、どうやら夜着の上で、おねしょをしてしまったようなのです……あからさまに汚れておりまして……」
下女の言葉に、フェルゼンは言いようのない嫌悪感を覚えた。
狼は気高く賢い獣だ。
それが主人の衣服の上で排泄するというのか。
「ちょっと見せてくれ……」
夜着を手にしたフェルゼンは、野性味を帯びた臭いにつんと鼻を突かれた。
独特のむせ返るような臭気とともに、レースの重なりに白く濁った粘着質の塊がこびりついているのを見つけ……。
その瞬間……彼の思考は凍りついた。
「……こ、これは……」
フェルゼンの投げかけた言葉に、下女がたじろぐ。
「すぐ、すぐに洗います……フェルゼン様」
「いや、そなたを責めているわけではない……念入りに洗ってくれ。こんなふうに汚れるのは、いつものことなのかい? 」
「いえ、昨日が初めてでございます」
「……そうか、わかった……それは、洗った後は、香水を強めにかけておいてくれないか……それと、俺の分も頼む」
「はい、かしこまりました」
下女はフェルゼンから汚れた夜着とフェルゼンの衣類を受け取るとカゴへ入れ、そそくさと廊下の隅を歩いていく。
(……あれは、おねしょなどではない。男の、いや、雄としての……)
フェルゼンは愕然とした。
なんということだ、あれは紛れもなく、雄狼が密かに放った欲望の精の痕跡だ。
愛する恋人として城に迎え入れたアンジェ(川野)の近くにいる獣が、彼女の朝の着替えの時間に夜着を奪い、己の情動をぶつけていたのか。
彼女の部屋の中で、おぞましい行為を……。
アンジェ(川野)が「大人しく良い子」「一緒にいたい」と言い出したとき、彼女が部屋にいる間は、テラスへ黒狼を置くようにと、きつく話しておいたのは正解だった。
テラスに寝かせているはずとはいえ、朝の一瞬の隙に乗じ、彼女の残り香に陶酔しながらこの「汚物」を撒き散らしていた。
その事実を突きつけられた今、すぐにでもアイツを斬り捨てたい衝動に駆られる。
アンジェ(川野)の様子を見ると、黒狼がいままで彼女に危害を加えた様子はないようだ。
この事実は俺の胸にしまい、黙っておくべきなのか……彼女が黒狼を『相棒』と言い、笑顔でいる姿を、この事実で悲しませ、打ちのめすことはしたくない。
……したくない、が、アンジェ(川野)は自分の恋人であり、将来はラント国王妃ともなる存在だ。
俺の恋人に、醜く汚れた欲望をぶつけるなどと……
彼女を一人の女、いいや、己の伴侶の雌、番だとでも認識しているのか。
フェルゼンは黒狼の冷徹な金色の瞳を思い出した。
「不愉快だな……」
フェルゼンは激しい嫌悪を吐き捨てるように呟いた。




