第三十章 婚約指輪①
【前回までのあらすじ】
さらわれたアンジェを助けに向かった黒狼ルゥ(ルーク王子)は、異母兄ギルバートが自分と同じように黒狼として生きていたことを知ります。アンジェをめぐる決闘をしていると狩人が現れ、黒狼ルゥは銃弾を受けて滝つぼへと落ちてしまい……
聖女狩りの男らに捕まったアンジェは偶然訪れたフェルゼン王子に救助されますが、彼は一目惚れしたアンジェを口説くのですが、黒狼ルゥのフリをした黒狼ギルバートがアンジェを独占したくなり……
---ラント国領内 ジェルダン平原 アンジェが王宮に来て10日後---
雲ひとつない秋晴れの下、見渡す限りの草原が、そよぐ風を受け黄金色の波となって揺れていた。
ラント国第二王子フェルゼンは、自慢の愛馬シャインの背にアンジェ(川野)を招き入れ、彼女の細い腰を後ろから包み込むようにして、手綱を握った。
シャインは鹿毛でありながら、シャンパンのような瑞々しい輝きを放つ、ラント国でも数少ない艶やかな毛色を持ち、駿足としても評判の高い名馬だった。
「しっかり掴まっていて。風が気持ちいいよ」
フェルゼンは「ハッ」と馬の腹に一蹴りする。
アンジェ(川野)の耳元で囁かれるフェルゼンの声は、普段の王族としての威風を脱ぎ捨て、一人の青年としての柔らかさに満ちている。
声とともに背中に伝わる彼の胸の鼓動と、自分を包み込む逞しい腕の温度に、顔がぽっと熱くなるのを抑えられない。
(耳元で敬介さまに囁かれるぅ……フェルゼンはセクハラ大魔王なのに……すごい緊張してる!?……乗馬のせい? ……馬、速すぎでしょ……)
馬が駆け出すと、秋の乾いた風が金色と銀色の二人の髪をなびかせた。
そのすぐ傍らを、猟犬のラックが弾むように駆けていく。
ラックは時折、楽しそうにワンッと吠え声を上げながら馬と並走していたが、ある瞬間、唐突にその足を緩めた。
ラックは足を止め、遥か後方の森の端を見据えて、鼻筋に皺を深く入れウウッと低く唸り声を上げる。 フェルゼンはその変化を見逃さなかった。
彼は手綱を捌きながら、一瞬だけ鋭い視線を背後へ走らせる。
(……やはり、尾行いてきたか……黒狼……)
フェルゼンの心には、先日の不愉快な記憶が思い出されていた。
---ラント国王宮内 フェルゼンの部屋前 アンジェから王宮へ来て6日後の朝---
アンジェ(川野)を救助し、王宮へ迎えて6日後の朝、フェルゼンは先日着用していた衣服を手に持ち、廊下へと歩み出た。
いつもなら汚れた狩着は侍女に手渡しするが、賊を斬った際の血しぶきと、アンジェの血が擦れて付いた衣服をベッドの下へ放置したままだったことを思い出した。
いくら王子だと言っても、さすがに日数が経って汚れた衣類を侍女へ手渡したりすれば、年配の侍女から説教めいた小言をくらう。
それならばいっそ洗濯担当の下女に渡した方が良い、と思ったからだった。
城内はいつも慌ただしい。
そこへ下女がフェルゼンの間近にやってきた。
抱えているのは洗濯カゴだ。
フェルゼンは、ちょうどいい、と思って偶然目に止めたカゴの中身に見覚えがあった。
一番上にあるのは繊細なレースをあしらった白い夜着、女性の物が丸められている。
昨夜、寝る前に、もう一度アンジェ(川野)に会いたいと、彼女の部屋を訪れていたときに着ていたネグリジェだ。
「……ちょっと待て。それはアンジェの……銀髪の少女の夜着ではないか?」
フェルゼンの問いに、下女は困惑したように歩みを止めた。
「はい、フェルゼン様……ですが、少々困ったことがございまして……」
そう言い、彼女が持ち上げた布地は、妙に重たく、一部がぐっしょりと湿っている。
フェルゼンは眉を潜め、
「汗にしては……ひどく濡れているようだが……彼女は体調でも崩しているのか? 」
「……あの、いいえ、それが……」
と、下女は口を濁す。
「いい、構わない……話してくれ……」
◆この章の主要人物◆
■アンジェ・クレイモン:17歳。ヴァレー国のダンテス・クレイモン伯爵家の養女。本当の名前はアンジェ・ロッソ・ニルノーブルでヴァレー国の皇女。ダンテス・クレイモン伯爵家で、前生が川野星流 40歳で急性アルコール中毒で死亡し、この世界に転生したことを知る。
■フェルゼン・バデス・クロイド:ラント国第二王子29歳。父王ツオークと三番目の王妃グレイシアの息子。世渡りが上手く女性の扱いにも手慣れた恋多き遊び人。アンジェに一目ぼれしてから真面目な性格へと一変する。兄は黒狼の呪いを受けたルークだが、フェルゼンには行方不明ということになっている。
■黒狼ギルバート:ラント国第二王子22歳。本当の名前はギルバート・バデス・クロイド。父王ツオークの二番目の王妃アレクサンドラの連れ子。48年前、22歳のときに魔物討伐で弟ルーク王子と共に、魔女から不老不死の黒狼になる呪いをかけられ。満月の夜だけ人間の騎士へと戻る。弟王子ルークは行方不明とされているが、兄王子ギルバートは死亡したと周囲に伝えられている。




