第二十六章 待ち人①
【前回までのあらすじ】
さらわれたアンジェを助けに向かった黒狼ルゥ(ルーク王子)でしたが、異母兄ギルバートが自分と同じように黒狼として生きていたことを知り、喜んだのもつかのま。黒狼ギルバートはアンジェの放つ甘い香りが"呪いを解くカギ"と確信し、黒狼ルゥよりも先にアンジェを手に入れようと攻撃をしかけてきます。そんな決闘中、二匹の前に狩人の男が現れ、黒狼ギルバートではなく、銃弾は黒狼ルゥへ。逃げ惑う黒狼ルゥは滝つぼへと落ちてしまい……
一方のアンジェ(川野)は、男らによって見知らぬ土地の物置小屋へと連れていかれ、鉄格子の檻の中へと囚われてしまいます。アンジェ(川野)は必死に助けを待つのですが……
---ヴァレー国とラント国の国境付近 ラント国フェルゼン王子管轄領地付近---
ガタガタ、ゴトゴトと絶え間なく揺れる振動が、アンジェ(川野)の意識を現実へと引き戻した。
(……私、生きてるっぽい……)
硬い板の上に寝転んだ姿勢。
鼻を突くのは、藁と獣脂の混じった臭い。
どこかで荷馬車に乗せられている……それだけは、ぼんやりと分かった。
後頭部にヒリヒリする熱い痛みが走る。
何か硬いもので殴りつけられた、鈍い衝撃の残滓がある。
視界は真っ暗、目の周りが布のようなものがきつく巻き付けられていて、まぶたを開けることすら叶わない。
背後に回された手首には、麻縄が食い込み、血の巡りが止まった指先は氷のように冷たくなりかけていた。
「……っ」
呻き声を漏らそうとしたが、猿ぐつわ代わりの布が口を塞いでいる。
(……なんなのよ、これ……)
アンジェ(川野)は必死に記憶を辿ろうとした。
自分は確か教会でピアノを弾いていた……それから……それから先は何も覚えてない。
攫われた理由も、ここへ来るまでの経緯も、丸ごと失われていた。
昨日は満月……黒狼ルゥがルーク王子に戻る特別な夜。
やっとルーク王子に会えると思っていたのに……。
思考をまとめようとすると、霧の中に手を突っ込むようで、何一つ掴めない。
(ルゥ……ルーク……)
名前を思い浮かべると、なぜか胸がきゅっと痛んだ。
理由は分からない。
ただ、大切な何か、大事な何かが思い出せない、という感覚だけが、確かにそこにある。
(そもそも……なんで、私は、ここにいるの? 誰に殴られたの? )
問いは浮かぶのに、答えが出てこない。
どれほどの時間が過ぎたのだろうか。
荷馬車が止まり、男の荒々しい手つきで抗うことなく車外へと引きずり出された。
思わず足がもつれて転びそうになる。
「さっさと降りろ、このアマ。グズグスするんじゃねえ」
野太い声と共に、目隠しが乱暴に剥ぎ取られた。
酒臭い男の息が顔にかかる。
髭面で薄汚れた顔つきの男が数人、揃って獣の毛皮を身に着けている。
この場所が森なのか、山の中なのか、皆目見当がつかない。
周囲は鬱蒼とした木々に囲まれていて、人家もなく、他に何の特徴もない。
(……目覚めて、いきなり破滅ルート……さらわれるシナリオは無かったのに)
急激に差し込んできた真昼の陽光にアンジェ(川野)は目を細めた。
一帯には湿った苔の匂いと、獣の死骸が腐敗したような不快な臭気が鼻を突く。
アンジェ(川野)は数人の男たちに突き飛ばされるようにして、古びた山小屋の中へと押し込められた。
小屋の奥、不気味にギィーッと軋む扉の向こうにあったのは、巨大な鉄格子の檻だった。
ガチャッと鍵が開けられ、アンジェ(川野)は、背中をドンと押されて放り込まれると、そこには、彼女と同じように絶望に瞳を濁らせた三人の少女がうずくまっていた。
「……あ、あなたたち……は? 」




