第二十五章 救い、の先にあるもの③
地面へ横たわる黒狼の身体はずぶ濡れだ。
黒狼の身体の、ちょうど後ろ肢の部分に銃創があった。
肢からはまだ出血が続いている。
弾丸はまだ肢の奥深くに埋まっているようだ。
バルジャンが荒い息を吐きながら、黒狼ルゥの後ろ肢に両手をかざした。
スウウッと広がる白い靄。
靄がルゥの後ろ肢へと、ゆっくり入り込んでいく。
けれど一向に何も変わらない、出血は続いたまま。
「……これは普通の弾じゃない……魔力が込められているのか……それとも……」
両手から出る治癒魔法の白い靄の色も薄まりかけている。
バルジャンは、もうこれで駄目なら諦めて明日にしようか……と考えたとき、ようやく、ポンッと血まみれの鉛の玉が浮き出て、それはゴトリと地面へ落ちた。
鉛の玉を拾い上げると、中ほどに五芒星の印がある。
それはオルドリア正教で使われる"魔物"を倒すために作られた弾丸だった。
バルジャンは修行の旅を始めた頃、この弾丸を一度だけ見たことがあった。
吸血の呪いをかけられた人間の胸に打ち込み、消滅させるための弾丸のはずだ。
(それがなんで黒狼ルゥに打ち込まれたのか……この黒い獣の見た目が吸血の魔物と勘違いされたのか……おまえも飛んだ災難だったな、ルゥ……)
黒狼ルウは、弾丸が体内から取り出されたのがわかったのか、そろそろっと薄目を開いた。
バルジャンは額に大粒の汗をにじませ、穏やかな表情を浮かべて言った。
「ルゥ……鉛の玉は取りだしたが、おまえの肢の骨は砕け散っている……いま、私に使える治癒魔法はこの程度だ。だが、何日かかっても、おまえの肢の骨は再生させてやるから安心するがいい……だから、早く回復するんだぞ。私たちには使命がある……おまえの肢が治ったら、一緒にアンジェさんを探しに行こう……なあ、ルゥ……」
黒狼ルゥの尾が、か弱くパタッと振られた。
バルジャンを見つめていた金色の瞳が、ゆっくりと閉じられていく。
黒狼ルゥの脳裏に溢れ出したのは、先程までの川の流れよりも激しい記憶の奔流だった。
――満月の前日、教会でピアノを弾き終わったアンジェが黒狼ルゥの瞳をのぞいて小声で呟いた。
「私ね、ずっとルーク王子が本命だったの。明日は満月でしょ、ルーク王子と会える~眼福待ち遠しい。早く聴きたい、推しの椿様のナマ声っ」
自分の正体を知らないはずのアンジェがなぜルーク王子と口走ったのか、わからなかった。
彼女が話す言葉の意味も、所々わからなかったが、明日になったら、アンジェをこの腕で抱きしめられる、その期待で胸が膨らんだ。
満月が待ち遠しかったのは俺の方だ。
やっと訪れた満月の夜、美しい白銀の月の下で魔女の呪いが一時的に解けるその瞬間を、ひたすら待った。
四肢から硬い漆黒の剛毛が抜け落ち、骨が軋む音を立てて組み替わる。
獣の咆哮が人間の男の声へと変わる。
四十八年という気の遠くなるような年月を、獣として孤独に這いずり回ってきた黒狼にとって、それは奇跡などという生ぬるい言葉では言い表せない。
人間の手で、初めて甘い香りのする少女アンジェを思いっきり抱きしめた。
指先に触れる彼女の温もりを、もっと確かめたくて、彼女の細い肩を引き寄せる。
遠くの空では祝祭の無数の花火が打ち上がり、夜空を彩る色とりどりの光が、アンジェの白い頬を時には紅く、時には青く、色鮮やかに染め上げていった。
その光景が、あまりに眩しすぎて、アンジェの髪に、額に、唇に、自分の唇を押し当てた。
「愛している……愛している、アンジェ」何度言っても足りないほど、呟き、抱きしめた。
アンジェこそ幾千の夜を越えてようやく辿り着いた、たった一つの本物の希望の光り。
俺だけの甘い香りの少女。




