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第十九章 「託された命の始まり」②

マゼラン・パーシモン公爵は、骨ばった指で、おそるおそる、赤子の頭を撫でた。



「ああ、これは奇跡だ……おまえに似た子を譲り受けられるなんて……。占い師の言葉は、本当だったのだな」



なぜ、これほどまでに美しい子を手放さなければならないのか。

ロンメル家で何が起きているのか。

その理由を尋ねる勇気は、二人にはなかった。

もし理由を聞いてしまえば、この奇跡が霧のように消えてしまうのではないかという、身を切るような恐怖があったからだ。

二人は、ただ無言で深く頭を下げ、夜の帳に消えるようにして、その命を我が家へと連れ帰った。



男児は、マゼラン・パーシモン公爵の祖父の名から取り、バルジャンと名付けられた。

「聖女の恩寵」と「強き守護者」を意味するその名は、夫妻にとっての祈りそのものだった。



「バルジャン……いい名ね」



沈鬱の鎧に身を包んでいた妻が、出会ったばかりの少女のような朗らかさを全身に溢れさせ、頬を紅潮させて夫の手を強く握りしめる。



10数年の孤独と沈黙に支配されていたパーシモン公爵夫妻は、ここには、もういない。

バルジャンを迎えた日、夫妻は親となった。



バルジャンは、公爵夫妻の注ぐ無償の愛を受け、すくすくと育った。

彼は聡明で、朗らかで、誰よりも優しかった。

庭に咲く花を母と共に育て、傷ついた小鳥を見つければ、傷の手当を父にせがみにくる、そんな繊細な感性を持つ少年だった。




バルジャン7歳。

その日は朝から快晴だった。

軽い昼食後、バルジャンは使用人を連れて、領地内にある古い遺跡を散策していた。

古い遺跡は危ないから近づかないようにと言われていたが、遺跡の隅には美しい野花が咲いている。


(母上にあげたい……)と、バルジャンが手を伸ばしたところ、崩れかけた石段で足を踏み外し、ずるずるっと転げ落ちた。


「うわぁぁっ……」



バルジャンの叫び声に、近くにいた使用人が慌てて駆け寄って来る。

石に打ち付けて額を切ったのか、出血が止まらない。

付き添っていた使用人が、大急ぎでマゼラン・パーシモン公爵の元へ走った。



執務室へ飛び込んできた使用人の知らせに、父パーシモン公爵が古い遺跡へと駆けつけると、石段の上に、バルジャンが両手で額を押さえていた。



「……バルジャンッ、大丈夫か……」



マゼラン・パーシモン公爵は息子のバルジャンを胸に抱き上げた。

バルジャンの指の間から、傷口がグワッと大きく開いている。

公爵は傷口を見て「……うっ……」と、顔を歪めて唸ってしまった。



「父上、ごめんなさい。ごめんなさい」

両手で額を押さえながら、泣きじゃくるバルジャン。



「……すまない……傷口が大きかったから、びっくりしただけだ。おまえは何も心配しなくていい、バルジャン……」



マゼラン・パーシモン公爵はバルジャンを抱え、急ぎ、公爵邸へと戻る。

妻のアデル・パーシモン公爵夫人が「なんてこと……なんとことなの……」とバルジャンに駆け寄り、出血している額に手を当てて叫ぶ。



すぐにパーシモン公爵家の専従治癒魔法師イデスが呼ばれた。

イデスは言う。



「これは治癒魔法では治せません。傷口を縫った方がいいでしょう。……この小さな額をかなり縫うこととなりますが……」



アデル・パーシモン公爵夫人は夫のマゼランの腕を掴む。

「あなた……バルジャンの命には変えられませんわ」



それから一か月の時が過ぎ、バルジャンの額から包帯が取り外された。

鏡の前に立つバルジャンは、「美しい子ね」と母が愛でてくれたその顔に、一生消えない醜い線が刻まれたことを悟った。



「母上……ごめんなさい……僕、美しくなくなった」

バルジャンが発したその一言は、アデルの心に深く突き刺さった。



「そんなことはないわ……バルジャン、あなたは私たちの希望の光よ。傷はいずれ時間とともに小さくなるものよ」、と抱きしめた。



しかし、その日を境に少年の快活さは失われ、彼は自分の傷を隠すように前髪を長く伸ばし、他人の視線や他人との接触を避けるようになった。

母アデルの言葉に反し、額の傷は小さくなるどころか、バルジャンの成長とともに、額に縫われた痕が引きつれて、醜い痕を残した。



かつては領民の子らと笑い合っていた少年は、独り図書室に籠もり、静かに本を読み耽る内向的な性格へと変わっていった。

時折、治癒魔法師のイデスの元へ行き、薦められた治癒魔法術の本を読むようになっていった時期でもあった。



18歳となったバルジャンは、パーシモン公爵家の跡継ぎとして期待されていたが、両親の前に立ち、揺るぎのない声で言った。



「父上、母上。僕は、この家を継ぐ領主ではなく、治癒魔法師の道に進みたいと思います。僕のように傷を負う者を一人でも多く救いたいのです」



夫妻はお互いに見つめ合うと、何も言わず、バルジャンの願いを許した。

それ以降、バルジャンは、治癒魔法師の技術を高める修行と称し、各地を放浪する旅に出た。

その旅装は質素でも、彼には慈愛が満ちていた。

半年、一年と旅をしていても、その旅の終りには両親の元へ必ず戻った。



かつて潮風が岩肌を削る地で絶望していた夫婦は、今や、旅から帰る息子の足音を待つ、穏やかな老境の中にいた。

バルジャンが持ち帰る旅の話と、その成長した姿こそが、彼らがかつて占い師に授けられた、本当の意味での「奇跡」の続きだった。



アデル・パーシモン公爵夫人は、「また、旅に出ます」と告げる息子へ、いつも同じ言葉を語りかける。



「バルジャン……あなたの優しさを見てくれる、そんな素敵な女性が、この世界のどこかに、きっといるはずよ」、と。

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