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第十七章 「今宵、満月の下で……」①

---ヴァレー国 ダンテス・クレイモン伯爵家領内 教会--



ヴァレー国を揺るがした、オルドリア・ドミナス派とオルドリア・ミゼリア派の教会を狙った同時爆破事件から、一か月が過ぎていた。



アンジェ(川野)が身を寄せている教会は、瓦礫が取り除かれ、折れた柱は新しい石に置き換えられ、壊れた屋根も、未完成ながら雨風を防ぐところまで復旧していた。

国からの支援は決して十分とは言えなかったが、街では住民が結束しあった。



家を失った者を受け入れる者がいて、食糧を分け合う者がいて、祈りの場を失った者のために、空き家を教会の代わりに差し出す者もいた。



アンジェ(川野)は毎日その中心にいた。

神父たちと作業の割り振りを決め、治癒魔法師バルジャンと相談しながら、怪我人や病人の優先順位を決める。



足りない物資をどう回すか、誰をどこへ向かわせるか。

それは、かつての彼女が生きてきた40年の、どの仕事よりも、神経を使う日々だった。



アンジェ(川野)は住民の女性から、カップに入れてもらった湯冷ましを一口飲む。



(災害時のボランティア活動って本当に大変だったんだね。こんな私でも、少しは役に立てたかな)



「アンジェさん、ちょっと疲れが出てきてますね」

治癒魔法師バルジャンが、柔らかい声で言った。



彼はアンジェ(川野)の顔色をよく見ている。



「えっ? 私ですか……まあ、年も年なので、ふふふ」


「年って、まだ17歳でしょ? 」



二人の間に、訪れる一瞬の沈黙。

アンジェ(川野)は苦笑した。



「あっ、そうですね……17歳で、中の人は別だったりして……」


「中の人? それも、アンジェさんでしょ」



と、バルジャンとアンジェ(川野)が笑い合っているとき、教会の入り口近くで、どぉん、という重い音がした。



二人が振り返る。

黒狼が、狩りの獲物の鹿を一頭、入り口に置いていた。



漆黒の毛並みと、金色に光る瞳。


「ルウ!! おかえり~」

アンジェ(川野)は駆け寄り、黒狼の首に腕を回す。

黒狼は大きな体を少し屈め、尻尾をバタバタ振った。

黒狼の頭がアンジェ(川野)の顔に押しあてられる。



「ルウ、ありがとう。毎日、届けてくれて。ルウのお陰で、食料不足にならないんだよ。感謝感激の毎日、ふふ、お礼のチュッ」

と、口をつぼめて、黒狼の額に軽くキスをする。と、黒狼はウワン、と一声鳴いた。



「え? チュッ足りなかった」

黒狼は、ハアハアッと口を開けて、アンジェ(川野)を見つめる。



「もう、おねだり上手なんだから……ルゥは。はい、じゃあ、眼をつむって」

黒狼は言う通りに瞳を閉じる。

アンジェ(川野)は黒狼の額にゆっくりキスをした。



近くで見ているバルジャンが、

「まるで恋人同士だね」と、言ってフッと笑う。が、眼は笑っていない。

(私もこんなふうにキスされたい……)



黒狼はバルジャンの心の声が聞こえたのか、ちらっとバルジャンを見るが、何事も無かったように、アンジェ(川野)の頬をペロリペロリと舐めた。


「やだ、ルウ、くすぐったい」

くうん、と甘えた声で鼻を鳴らす黒狼。


黒狼とアンジェ(川野)が、まるで愛犬と飼い主のような関係になるまで一週間もかからなかった。



黒狼が、初めて鹿を教会へ持ってきた日、アンジェ(川野)は、それきりだと思っていた。

だが翌日も、その翌日も、黒狼は鹿を持って現れた。

アンジェ(川野)は知っていた。

この黒狼が、ルーク王子であることを。

魔女の呪いにより、満月の夜しか人間に戻れないことも。



それでも黒狼に向かって「ルーク王子」と呼ぶわけにはいかなかった。

黒狼さん、というのも距離が遠い。それで、名前をつけていいかと聞き、黒狼の頭を撫でて言った。



「あなたの名前は今日から、ルゥよ。いい名前でしょ」

黒狼の瞳が嬉しそうに輝き、バンバン尻尾を振った。


『ルゥ』は、ルークが人間時代、母や友人からそう呼ばれていたことを、アンジェ(川野)は前世のゲーム知識で知っていたからだ。

そのゲーム知識が当てはまらないことも多かったが……


ルゥが鹿を持ってきてくれるようになり、街の人々も、次第に黒狼を恐れなくなった。それどころか、街ですれ違うと、感謝をこめて挨拶をするまでになった。


「ルゥ、今日も、ありがとう!」


そんな声が、自然に飛ぶようになった。



黒狼ルークは、この姿で人間から感謝されたことは一度もない。

すべて甘い香りを放ち、自分を幸せな気分にしてくれるアンジェのお陰だと思うと、胸が熱くなった。



アンジェがすっと立ち上がると、黒狼もその横にぴったり寄り添う。

狩りから戻ったあとは、一日中、アンジェの側をついて回った。



黒狼は自分の身体と触れる甘い香りの少女から、ほんの少しも離れたくない。

が、トイレとシャワーの時だけは、近くにいるのを許されなかった。



次の満月が待ち遠しくてたまらない、そう思ったのは、この48年で初めてのことだった。

アンジェに喜んでもらえるのなら……その一念が黒狼の心を支えた。



黒狼は夜明け前に鹿を狩り、朝、自分と同等の鹿を森の奥から運んでくる。

昼はアンジェの隣りで食べ、夜はアンジェの足元で、アンジェが弾くピアノの演奏を聴き、アンジェのベッドの下で軽く眠り、夜は森へ狩りに行く。



アンジェが黒狼の身体を抱きしめてくれるのは最低二度ある。

狩りの獲物を持ってかえったとき、ピアノ演奏が終わったとき。



アンジェのことは理解してきていたが、彼女の話す言葉は時々わからなかった。



「この世界で、推しの私を独占できるのは、ルゥだけだね。ルゥの推し活は有難いんだよ」

そうニコニコしながら話す言葉の意味を訊いてみたい、そう思った。



(好きな女性から抱きしめられるのは、こんなにも嬉しく、こんなにも辛い……アンジェ。この姿ではなく、人の姿で、君を思いっきり抱きしめたい)

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