第十五章 「愛(片想い)の結晶」②
(金貨10枚……ノーマン子爵家一年分の税収よりも多い……)
「伯爵、よろしければ、今すぐにでも、婚姻証明書にサインさせてください」
当日中に婚姻が成立し、ノーマン・マーシャル小子爵は、ノーマン・クレイモン伯爵となった。
ジュリエッテが臨月のため、婚姻式は行われなかったが、その代わりとして、マーシャル子爵家には、婚姻支度金として金貨50枚が送られた。
マーシャル子爵家では、ノーマンが臨月の妊婦と婚姻することに意義を唱えるものなど、誰一人いなかった。
これから産まれてくる子どもが、ノーマンとジュリエッテの「愛」の結晶ではないことを、誰もが知っていながら。
---クレイモン伯爵邸内 ジュリエッテの部屋---
婚姻が決まった夜。
ジュリエッテはベッドへ横になり、お腹に手を当てた。
お腹の子どもが、ジュリエッテの体内でコツっと蹴るのがわかる。
「ガイ……」
その声は、お腹の子に向けられ、甘く、執着さを帯びている。
「あなたのお父様になる人が決まったわ、ガイ」
ジュリエッテの視線は虚空を彷徨う。
(あの占い師は、ガイ兄さまと結婚できるって言ったのに。結婚できないなんて……)
だが、ジュリエッテは最後にひとつだけ、信じていた。
産まれた子が、一生、永遠に自分を愛してくれる。
それもガイと瓜二つの子ども、が。
(この子こそが、私とガイの” 愛の結晶”)
まだ生まれていないお腹の子のガイと、いつか愛し合う日がくるかもしれない。
ジュリエッテはクスクスッと笑った。
---クレイモン伯爵邸内 マリーネ・クレイモン伯爵夫人の部屋---
マリーネ・クレイモン伯爵夫人は、ひとりで広いベッドに身を沈め、天蓋の奥を見つめたまま、そっと目を閉じた。
だが、眠りは訪れない。
(……また、眠れない、夜)
静けさのなかで、忘れていた過去が忍び寄る。
公爵令嬢だった頃の記憶。
父が、15歳の愛人を屋敷に迎え入れる、ほんの二年前のことだ。
母が突然、妊娠したのだった。
父の公爵は屋敷を空け、愛人のもとで過ごしている。
公爵家には、執事を始め、初老の男性の使用人しかいない。
姉のアルテは言う。
「お母さまには、私たちにも言えない秘密があるのでしょうね」と。
(お母さまの秘密って、なにかしら……)
母は無事に男子を出産した。けれど子どもは生まれてまもなく、子どものいない貴族の養子に出されてしまった。
(……子どもの父は誰? なぜ、手放したの? )
真実がわからないまま、母は亡くなり、謎だけが残った。
(あの謎が、何十年もたって、やっと解けるなんて……そういうことだったのね、お母様……)
マリーネの母も、わずか数日で、お腹が臨月のように大きくなった。
今のジュリエッテと、まったく同じように。
(お母様も、心の中に恋人がいらっしゃったのね……)
マリーネは思った。
(私だけ……心の中に恋人がいないなんて……)
(心の中の恋人との証が、たとえ”片想いの結晶”でも、自分の手に抱きしめたかったのね)
(だから……だからこそ、母は”片想いの結晶”を手放したのかもしれない。ひとときの喜びは、ひとときの夢だと、わかっていたから……)
マリーネは、ゆっくりと目を閉じた。
(母の産んだ……私の弟はどこにいるのかしら……)




