第十五章 「愛(片想い)の結晶」①
---ヴァレー国 ダンテス・クレイモン伯爵邸内---
ノーマン・マーシャル小子爵、32歳、独身。
性格は温厚で、驚くほど真面目。女性と付き合った経験は、ただの一度もない。
貴族社会で三男が優遇されることはない。
長男が家の後を継ぎ、次男は婿へ出されるが、三男は余剰として扱われる。
マーシャル子爵家でも、その事情は違わなかった。
長男が順当に家督を継ぎ、次男は愛想の良さを買われて親戚筋の男爵家へ婿入りした。
残されたのは、武術の才も、商才も、社交性もない三男のノーマンだけだった。
たいていの子爵家は貴族の末席、領地は狭く、税収も乏しい。
街中の商人よりも、遥かに少ない税収で使用人の数も最低限だった。
当然家計は常に綱渡り状態である。
兄夫婦も、両親も、口を揃えて言われ続けた。
「早く結婚して、家を出ろ」
ノーマン自身も、そうしたかった。
だが、武術は苦手だから騎士になる望みはなく、商家に婿入りできる才覚もないし、紐で生活できれば良かったかもしれないが、愛人になれる容貌を持ち合わせなかった。
32歳で「売れ残り」となっている我が身を嘆く。
出来ること言えば、それが精一杯だった。
そんな折、突然舞い込んだのが、ダンテス・クレイモン伯爵家からの縁談だった。
ヴァレー国有数の富裕貴族。
あまりの良縁に、家族や親戚縁者までもが歓喜しつつ、彼らは同時に、恵まれた良縁には”訳がある”だろうと気づいていた。
そして、その訳は、ノーマンがクレイモン伯爵邸の広間に足を踏み入れた瞬間、はっきりした。
豪奢な調度品、柔らかな絨毯、美しく描かれた家族の肖像画。その中央にある刺繍織のソファに腰掛けている伯爵夫人。
そして、相手となる伯爵令嬢は……腹部が丸く大きく、ドンと突き出ていた。
「こちらが、ノーマン・マーシャル小子爵だ」
伯爵の声に促され、視線が交わる。
ジュリエッテは、ノーマンを一瞥した。
ノーマンは、愛想よく振舞おうと、ぎこちなく微笑んだ。
その瞬間、ジュリエッテの表情に浮かんだのは、失望だった。
(はあっ、よりにもよって、ガイとは比べ物にもならない、貧弱な風体の男ね)
(子どものための結婚だと、お父様は言うけど、この程度で我慢しなきゃいけないなんて。ジュリエッタお姉さまが見たら、きっと私を嘲笑うでしょうね)
一方のノーマンも、その視線の意味を察していた。
(どうせ、何の取り得もない男だと思っているんだろう)
だが、彼は諦めなかった。
(ここで我慢すれば、念願の結婚にこぎつける。クレイモン伯爵家は金持ちだ。多少の金さえあれば、俺だって……)
ノーマンの様子が、手に取るようわかる伯爵は、冷ややかに眺めていた。
(世の中、金だ。金がすべてだ)
伯爵にとって、この縁組は、妊娠した娘の”後始末”に過ぎない。
だが、と伯爵はノーマンの顔に、いささかの不満があった。
伯爵が寵愛していた愛人が産んだ息子ガイは、愛人にそっくりの美しい容姿を持っていた。
愛人亡きあと、社交界でも人気となる息子に対し、鼻が高かったのも事実だ。
(俺の言うとおりにする奴だったら……よそから婿なんて迎えなくとも良かったのに、あいつめ。ジュリエッテはともかく、アンジェを逃がした時点で、ガイは婿失格だ)
「ノーマン君」
伯爵の声に、ノーマンは背筋を伸ばす。
「仮にも王族の妹にあたるジュリエッテが、未婚で子を産むのは世間体が悪い。そう思う私の親心はわかるだろう。君は、結婚したら、自分の子ではなくても、娘も子どもも大事にしてくれるか? 」
「……はい、大事にいたします。お嬢様もお子さまも、必ず大事にいたします。このように素晴らしく、この度、ご良縁を頂きまして……大変、ありがたく、誠にありがたく、本当にありがたく、心より感謝しております……」
ノーマンの緊張した口調に、ジュリエッテは、クスッと声を上げたが、
「ホッホッホ、ホッホッホ……」
と、抑えきれない笑い声を響かせた。
「ジュリエッテ、失礼ですよ」
マリーネ伯爵夫人が低く嗜める。
「あら、これは、とんだ失礼をいたしました。お父様、私はこの方に決めますわ、婚姻を進めてくださいな」
ジュリエッテは心はここにあらずと言ったふうに淡々と話す。
(私が嫌だと言っても、どうせ、決まっているんでしょう)
伯爵は、ノーマンの前に、金貨を10枚置いた。
ノーマンの瞳孔が開き、喉はごくりと鳴った。




