第八章 「前世の記憶」⑥
(まずは、ガイの攻略から……)
アンジェは記憶を手繰り寄せる。
(くうううっ……でも、実物は……尊いっ……)
ベッドへバタンと倒れ込み、枕を抱いて、ごろんごろんしてしまう。
今後の戦略を立てようと思ってみても、出るのは熱い息。
胸の奥が、ずきゅうんっと締め付けられるように熱くなる。
ガイの声は玲也様の声……永遠の推し声優である、朝比奈玲也様。
細身っぽい雰囲気があり、それでいて剣のように研ぎ澄まされた甘く艶のあるハスキーボイス。
現実では絶対に会えない存在と、同じ世界にいるのは、夢以外のなにものでもない。
でも、いつまでも感激の余韻に浸ってはいられない。
ガイは、必ずアンジェを裏切る。
そう、ゲームの世界は、勝つか負けるか。
いつまでも尊いとかって、言ってる場合じゃない。
フラグはもう、立っている。
今回は破滅ルート。
回避する方法は一つ。クレイモン伯爵家から、夜明け前に逃げ出して、溺死と売春宿と地下牢を交わさないと……。
「ああ、さようならぁ……玲也さまぁ」小さく呟く。
アンジェはベッドの下に隠していたはずの箱を引きずり出した。中には、わずかな小銭と、双子の姉から譲られた色褪せたワンピース、下着が数枚。これっぽっちでも、ないよりマシ。それらを手早くカバンに押し込むと、……
コンコン、と控えめなノックの音。
「アンジェ、入っていい?」
(玲也様……じゃなく、ガイね)
胸が跳ねないよう、尊さがぶり返さないよう、アンジェは歯を食いしばる。
「ごめん、また具合が悪くなっちゃって……明日にして」
「……そう。わかった……」
ガイは手元の巾着をぎゅっと握りしめた。
当面の生活費としての金貨5枚が入っていた。
これさえあれば、なんとかアンジェと二人家を出ても暮らしていける。
そう思い、これから家を出るつもりで、アンジェの部屋を訪れたのだった。
だが、肝心のアンジェの具合が悪いのならば、家を出てはいけない。
今日が駄目なら、明日出て行けばいい、と。
「また……明日だね……」
扉の向こうで、残念そうな声が聞こえる。
ドアから遠ざかる足音の一歩一歩が、胸に刺さる。
(ごめんね。ガイ。アンジェは、あなたのことを好きだったよ。もう会うもないけど、幸せになってね)
古着の黒いポンチョを羽織りながら、アンジェは心で呟く。
屋敷が静まり返ったのを見計らい、アンジェは裏口から外へ出た。
夜はまだ深く、月は高い。
アンジェだった頃、黒狼は恐怖だったけど、いまは川野星流。
黒狼のルークがアンジェを襲ってこないのは知っている。
聖女狩りの男たちも最近、黒狼に襲われたあとで、真夜中に待ち伏せはしないだろう。
(朝になって、アンジェが起きてこなくても、具合が悪いことなってるし。ガイも朝は薪割り。私が逃げても、しばらく誰も探しに来ないはずだよね。そうと決まれば、明るくなる前に教会へ行こう。オルドリア正教の教会は、困っている信者に手を差し伸べてくれる。破滅ルートで、魔物の妻に襲われそうになったとき、神父様がかくまってくれたんだよね、まあ、命拾いしたあと、魔物の妻に捕まったけど)
アンジェこと川野星流はプレイの内容を思い返しつつ、教会に向かって月の夜道を歩いていった。




