第八章 「前世の記憶」①
---クレイモン伯爵家邸内 アンジェの部屋---
アンジェが襲われた日の真夜中。
アンジェは、身体の外から締め付けられる力が再び襲ってくる恐怖に、うううっと唸りながら、目を覚ました。
胸が苦しい……全身、血の気が失せたようで、握しりめる指先もが冷たい。
あれは、夢……じゃない……。
男たちの厭らしい笑い声。
身動きできず、男の手をふりほどけず、ありったけの力で羽交い締めされ、酒の匂いがする男たちに引きずられていく身体。
あのまま、荷馬車へ引きずりこまれていたら、そう考えるとゾツと する。鳥肌が立っていた。
(あの時、黒狼がいなかったら……黒狼に助けてもらわなかったら、今頃……金色の瞳、金の腕輪……呪いをかけられた王子だったの……)
「……っ」
身体を起こそうとしたが、背中に痛みが走る。
鞭で打たれた背中の痛みがぶり返す。
(ガイ兄さま……に会いたい……いますぐ)
アンジェは、ひとりで部屋にいることが怖くて、無意識に部屋を飛び出していた。
裸足のまま廊下を走り、迷うことなく向かう先はひとつ。
ガイの部屋。
コンコンコンコンと震える手で続けてノックする。
扉が開いて現れた金髪の少年、ガイは眠そうな目で「えっ? 」と呟いた。
アンジェはガイを見た途端、堪えていた涙がどっと溢れ出て、震える声で、
「ガイ兄さま……」
と、言い終わらないうちに、ガイの胸に飛び込んでいた。
「……アンジェ? 」
突然抱きつかれ、ガイは一瞬うろたえたが、腕の中で震えるアンジェの身体に、ただごとではない異変を感じた。
(……もしや、伯爵の手の者が襲ったのか!!……)
ガイは……表情を変えた。
「落ち着いて……ねえ、落ち着いて、アンジェ……なにがあったの」
肩に手を添え、そっと距離を取らせる。
正面にあるのは、涙でぐしゃぐしゃになり、指で涙をぬぐうアンジェの顔が、ガイの胸を締め付けた。
アンジェは、途切れ途切れに語った。
見知らぬ男たちに囲まれ、息もできないほど強く羽交い締めされ、荷馬車へ連れ込まれたかけた……聖女狩りの恐怖を。
突然黒狼がでてきて、もしかしたら自分を助けてくれたかもしれないこと、を。
話を聞くガイの顔から、すっと血の気が引いていく。
「……そんなことが……」
「怖かった……本当に……」
アンジェは再びガイにしがみついた。ガイは背中に手を回し、穏やかに言う。
「大丈夫だよ、アンジェ。僕がいる……離さないよ」
そう言いながらも、「大丈夫ではないし、離さなければいけない」ことを、ガイ自身が知っていた。
アンジェを傷つけるのは、クレイモン一家だけだと思っていたのに……聖女狩りの薄汚い奴ら、野獣の黒狼……。
(……アンジェを脅かす奴らは、この手で皆殺しにしてやるっ……ここから出よう、今すぐにでも、アンジェと二人で……)
ガイは唇をぎゅっと噛んだ。
噛みしめた奥歯が、きしりと音を立てる。
己の無力さによる嫌悪、それ以上に、アンジェを害そうとした者たちへの憎悪が募る。
アンジェを抱きしめるその腕には自然と力がこもる。
胸に伝わるのは、アンジェの震え。
窓の外では、木々が風に揺れ、葉のこすれ合う音が廊下にまで飛び込んでくる。
その音さえも、アンジェを連れ去りに来た追手の足音のように聞こえる。
「……アンジェ」
ガイは声を低くして呼びかける。
「……ごめんなさい、ガイ兄さま……私……」
アンジェは、まだガイの胸元に顔を埋めていた。
(……夜中に突然やってきて……突然、抱きついて……でも、いまは離れたくない……)
「謝らなくていい」
アンジェが何を言おうとしているのか、ガイはわかっていた。
ガイはアンジェの背を撫でながら、動揺している姿を見せまいと、必死に平静さを装う。
「……怖かったんだね」
「うん……」
消え入りそうな返事。
「僕がいる。大丈夫だ。……アンジェ、今日はもう休もう。部屋まで送るよ」
ガイは彼女の肩を抱くようにして、静かな廊下を歩き出した。
ランプの炎が壁に二人の影を長く落としている。
それが人影のように見えて、アンジェは何度も後ろを振り返った。
部屋の前に着いても、アンジェはガイの袖を掴んだまま、一向に離そうとはしなかった。
扉の前に立つと、アンジェは、ドアノブに手を伸ばしかけてから、ためらうように指を引っ込めた。
「……ガイ兄さま」
「うん? 」
アンジェは俯いたまま、しばらく言葉を探していたが、やがて震える声で言った。
「……ひとりになるのが怖い……もう少し……少しだけでいいから、側にいてほしい……」
潤んだ瞳で見上げられ、ガイの胸は締め付けられた。
彼女を一人にするなど、今の彼には到底できなかった。
ガイはアンジェの肩をそっと掴み、彼女の頬をつたう一筋の涙を、愛おしそうに指先でぬぐった。
「わかった。今夜はずっとアンジェと一緒にいるよ」
「本当……?」
アンジェの問いに、ガイは深く頷いた。
ガイが部屋の扉を開けると、月明かりが冷たく差し込んでいた。
その青白い光が、アンジェの銀髪に落ちる。
(……アンジェの不安をすべて溶かしてしまいたい……)
ガイはアンジェの肩を抱き、ベッドへ進む。
「子どものころ、よく二人で寝ただろ」
その言葉に、アンジェは一瞬、遠い昔の記憶を辿るような目をした。
だが、すぐに現実の年齢を思い出したのか、ポッと頬を染めて恥ずかしそうに俯いた。
「うん……でも……」
成長した男女が同じベッドに入ることに、戸惑いなのか羞恥心なのか、アンジェは立ち止まった。
ガイは重ねて言う。
「側にいるだけだよ、あの頃のように。だから、一緒に寝よう」




