第六章 「黒狼の金の瞳」③
---クレイモン伯爵領内にある市場---
鞭打ちされてから数日経った。
アンジェは久々に市場へ食材を買い求めに来ていた。
この日は月に一度の”聖女祝福の日”。
市場では食材が安価に提供され、安価な食材を求めて、大勢の領民が市場へ押し寄せていた。買い物をする人々は背中のかごに野菜や肉を詰め、呼び声と笑い声が交差している。
「昨日獲れたばかりのイノシシだよ!」
獣肉が吊るされた肉屋の前で、店主がアンジェに声をかける。
「今日は干し肉をたくさん買ったから、また今度にするね」
アンジェは笑って通り過ぎ、野菜を並べる女主人の店に立ち寄った。
「毎度ありがとうね、お嬢さん。もうすぐ日が落ちるから、早く帰りなさいよ」
会計を終えると、おかみさんは声を落とし、アンジェの前に跪き呟く。
「……聖女様のご加護に、恵まれますように……」
おかみさんは、よいしょっと立ち上がり、
「お嬢さん、あんたも、金のタトゥーを持っているんだから、夜道を歩くときは、十分に気をつけなきゃね」
と、アンジェを心配そうに見つめた。
アンジェは首を傾げる(かしげる)。
「え? どうして? 」
「今年は聖女様が現れる年だからさ。お嬢さんのような”金のタトゥー”を持った聖女様候補をさらう、悪い連中がいるんだよ」
奇跡の聖女。
五十年に一度、三つの国のうち、どこかの国に生まれ、病を癒し、大地を潤す存在。かつては聖女を巡り、度々戦争が起きたという。
「もし、さらわれた子が聖女にならなかったら、どうなるの……? 」
アンジェの問いに、おかみさんは一瞬、目を伏せた。
「……可哀そうだが売られるだろうよ。……売春宿にね」
アンジェは唇を噛み、「そんな、ひどいことするなんて……」と呟 いた。
おかみさんは手を振り、「気をつけるんだよ」と念押しして、アンジェの背中を見送った。
先程まで明るかった夕焼け空が、だんだんと暗くなり始めた。
ウンデルの森を通り過ぎれば、クレイモン伯爵家だ。
アンジェは足早に歩いていく。
市場から森へと続く帰り道。
木々の影が濃くなり、空気がひやりとしてくる。
その時−−−−。
数人の男が、木陰から、わっと現れた。
「ほう、間近でみると、一段といい女だな。前から目をつけてたんだ。今日、捕まえられるなんて、待ち伏せした甲斐があったというもんだ」
後ろから男がアンジェの背に回り込み、ぎゅっと羽交い締め(はがいじめ)にする。
アンジェは大声で助けを呼び、力一杯に抵抗し、暴れた。
「ヒヒヒ……”聖女祝福の日”に聖女候補を捕まえて、俺たちだけで祝福できるなんて、たまらねぇぜ……しかも、こいつは高く売れそうじゃねえか、」
別の男が口笛をピューッと吹く。
どこからか、幌付きの荷馬車が姿を現す。
だが――
森の奥から、突然飛び出た、黒い影が男に覆いかぶさった。
「うわぁぁぁ」
大きな黒狼が吠えると、荷馬車の馬が暴れだした。
光る金色の瞳。
白い牙を剥き、ウウッと唸りながら、男たちへ次々と襲いかかる黒狼。
「助けてくれー」と、口々に悲鳴をあげながら、男たちは、アンジェを放り出して、荷馬車へ飛び去り、逃げていった。
へたり込んだアンジェ。
目の前に、ぶわっと黒狼が現れ、身体が硬直した。
黒狼の金色の瞳は、じっとアンジェの瞳を捉えたままだ。
「祈りなさい……」 母の声が脳裏へ、響く。
アンジェは眼を閉じ、震える声で、ひたすら祈った。
「……愛する女性と、出会えますように……愛する女性と、出会えますように……」
黒狼は、ふいと視線を外すと、スタスタと森の奥へ消えた。
アンジェは、しばらくして、おそるおそる眼を開ける。
もう黒狼はいない。
(あの黒狼……前肢に金の輪があった……呪いをかけられている王子様? )
怖かった……
身体がブルブルと震え、どっと涙が出てきた。
(売春宿に売られでもしたら……もう、ガイ兄さまに会えなくなってしまう……)
アンジェは涙を手で拭うと、カゴを背負いなおし、全速力で屋敷へと走っていった。




