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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第1章 観測者の立つ場所

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揺らぎの残滓

予約投稿なるものを使ってみました。


朝は、問題なく訪れた。


夜が終わり、光が戻り、街はまた“普通”を取り繕う。

昨日までと同じ空気。

同じ匂い。

同じ音量の生活。


少なくとも、表面上は。


恒一は、宿の食堂で冷めかけたスープを前に、じっと匙を止めていた。


湯気の立ち方が、ほんのわずかに不自然だ。

揺れるはずのない方向に、揺れている。


――残ってるな。


管理者が去った後も、世界は完全には元に戻っていない。

いや、戻っているのかもしれないが、戻りきっていない部分だけが、目につく。


それは観測者である恒一の視点だからこそ、見えてしまう歪みだった。


「……食べないの?」


声に、顔を上げる。


向かいの椅子に、澪が座っていた。

白い髪は今朝も静かで、宿の薄暗い照明に溶け込みそうになっている。


「冷めるぞ」


「最初から、あんまり温かくない」


淡々とした返事。

だが、その声音は昨日よりも“はっきり”していた。


恒一は、スープに再び視線を落とす。


「……昨日より、存在が安定してる」


澪は、きょとんとした顔をした。


「そういうの、分かるんだ」


「分かってしまう」


それは、少しだけ皮肉だった。


分かる必要なんて、なかったはずだ。

分からなければ、もっと楽に世界を観測できていたはずだった。


澪は、スプーンを持ったまま、少しだけ考える。


「でも……昨日の夜、何かあったよね」


恒一は、即答しなかった。


「空気が、変だった」


澪は続ける。


「音が、遠くなって……でも、静かじゃなくて」


彼女は、自分の胸元に手を当てた。


「ここだけ、取り残されたみたいな感じ」


――やはり、完全には遮断できていない。


管理者の干渉は、観測者だけに届く設計のはずだ。

だが、澪は例外だ。


例外は、例外同士で引き合う。


「……気のせいだ」


恒一は、そう言った。


半分は本音で、半分は嘘だった。


澪は、それ以上追及しなかった。

代わりに、窓の外を見やる。


朝の街。

人々は忙しなく動き、誰一人として異常を気にしていない。


「みんな、普通だね」


「普通に見えるだけだ」


「違うの?」


恒一は、少しだけ言葉を選んだ。


「世界は、常に修正されてる」


「ズレたら、直されるの?」


「俺たちは、その途中を見てるだけだ」


澪は、ふうん、と小さく息を吐いた。


「じゃあさ」


一拍置いてから、こちらを見る。


「私も、直される途中?」


恒一は、答えなかった。


答えられなかった。


《削除対象》

《保留》

《観測中》


管理者の紡いだ単語が、頭の奥で反響する。


「……今は、まだだ」


それだけ言った。


澪は、その曖昧さを受け入れた。


「そっか」


それ以上、踏み込んでこない。

その距離感が、逆に重い。


食堂を出ると、外はすっかり朝だった。


人の流れに混じると、澪の存在は一気に希薄になる。

誰も、彼女を避けない。

だが、誰も、彼女を認識しない。


視線が、すり抜けていく。


「……慣れた?」


恒一が訊くと、澪は首を振った。


「慣れない」


即答だった。


「でも、昨日よりはマシ」


「理由は?」


「隣に、ちゃんと“見てる人”がいるから」


その言葉に、恒一は一瞬、足を止めそうになった。


だが、立ち止まらない。


「勘違いするな」


「見てるだけだ」


「守ってるわけじゃない」


澪は、小さく笑った。


「分かってる」


本当に分かっているのかは、分からない。


街を歩きながら、恒一は確信する。


――管理者は、まだこちらを見ている。


直接の干渉はない。

だが、均しの圧は、確実に強くなっている。


澪の輪郭が、ほんの一瞬、背景に溶けかける。


恒一は、無意識に視線を向けた。


それだけで、輪郭が戻る。


――観測。


ただ、見る。

確定させないまま、目を逸らさない。


「……なあ」

恒一が口を開いたと同時に

澪もまた、口を開いた。


「もしさ」


「私が、いなくなったら」


恒一は、一息呑んだ。


だが、目は逸らさない。


「……その時は」


少しだけ、言葉を探してから。


「それを、最後まで見る」


割って入った恒一の言葉に、

澪は、驚いたように目を瞬かせた。


「それだけ?」


「それだけだ」


「優しくないね」


「観測者だからな」


澪は、少し考えてから、頷いた。


「でも」


小さく、続ける。


「誰にも見られずに消えるよりは、ずっといい」


その言葉は、恒一の中で、静かに残った。


世界は今日も安定している。

少なくとも、そう見える。


だが、その足元で、確実に揺らぎは残っている。


例外は、まだここにいる。


そして観測者は、

揺らぎが消えるまで――

あるいは、世界が先に耐えきれなくなるまで。


目を逸らさない。


それが、役割だからだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見などありましたら、とても励みになります。

次回もお付き合いいただければ幸いです。

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