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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第1章 観測者の立つ場所

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均衡の外側

お読み頂きありがとうございます。

少しでも面白いと思って頂けたら幸いです。

本日、日が変わる前までに9話まで投稿します


夜は、均等に訪れた。


昼と同じように、過不足なく。


音も、影も、静寂も、計算された配分で街を覆っていく。


宿の一室。

窓の外では、通りの灯りが一定の間隔で灯され、人々の生活が「終了処理」に入っていくのが見える。


恒一は、椅子に腰掛けたまま動かなかった。


部屋の隅には、澪がいる。

ベッドに腰掛け、膝を抱え、窓の外を見ていた。


同じ空間にいるはずなのに、彼女の存在だけが、わずかにズレている。

音が、届くまでに一拍遅れる。

影が、床に定着しきらない。


――均しが、追いついていない。

世界が、自分で自分を整えきれていない。


それが、恒一には分かってしまった。


「……落ち着かないか」


澪は、少し考えてから首を横に振った。


「ううん。いつも、こんな感じ」


その言葉が、軽すぎて。

だからこそ、重かった。


「むしろ……今日は、ちゃんと“ここにいる”感じがする」


恒一は、それ以上何も言わなかった。


“ちゃんといる”

それは、存在が安定しているという意味ではない。


観測されている、という意味だ。


――余計なことをした。


そう思わなかったわけではない。


だが、今さら取り消せることでもない。


そのとき。


空気が、止まった。


音が消えたわけではない。

だが、次に進むはずだったものが、足踏みを始めた感覚。


恒一は、即座に立ち上がった。


「……来たな」


澪が、不安そうにこちらを見る。


「何か、変?」


「動くな」


短く告げた瞬間――


世界が、一段下がった。


視界の彩度が落ち、輪郭が曖昧になる。

空間が“背景”に変わり、意味を失う。


そして。


声が、直接、頭の奥に届いた。


《観測者》


感情のない声。

性別も、年齢も、距離も感じさせない。


「……管理者、か」


恒一は、そう呼んだ。


澪が、びくりと肩を震わせる。


「……何?」


「聞こえないなら、気にするな」


恒一は、彼女から一歩、前に出た。


無意識だった。

だが、結果として、澪を背にする形になる。


《予定外の干渉を確認》


《例外事象の固定化を確認》


《観測者による、意図的観測を確認》


淡々とした報告。

責めるでも、警告するでもない。


ただ、事実を並べているだけ。


「予定外、ね」


恒一は、乾いた笑いを浮かべた。


「そっちの設計が甘かっただけじゃないのか」


《設計は、常に最適化されている》


《例外事象は、想定内》


《だが、重なった》


重なった、という言葉に、恒一は眉をひそめる。


「……例外同士が、か」


《肯定》


《例外は、単体であれば処理可能》


《観測者が介入しなければ》


恒一は、息を吐いた。


「で、どうするんだ?」


「削除か?」

「警告か?」

「それとも、忠告の続きか」


少しだけ、間が空いた。


管理者が、演算を挟んでいる。

そんな感覚。


《観測者》


《君は、世界を不安定にする》


恒一は、その言葉を、黙って受け取った。


否定もしない。

肯定もしない。


《それが役割だ》


澪が、恒一の背中越しに、小さく息を呑む気配がした。


恒一は、静かに問い返す。


「……不安定にするのが、役割?」


《肯定》


《均しは、完成域に達しつつある》


《完全な均衡は、更新を停止させる》


《停止は、崩壊よりも致命的だ》


「だから、揺らぎが必要だと?」


《揺らぎではない》


《観測だ》


恒一は、目を伏せた。


「言い換えただけだな」


《同義ではない》


《観測は、結果を確定させない》


《確定しない限り、修正は遅延する》


《遅延が、連鎖を生む》


《連鎖が、世界を延命させる》


淡々と語られるその論理は、

どこまでも冷たく、正確だった。


「……澪も、その“連鎖”の一部か」


《肯定》


恒一の奥歯が、わずかに軋む。


「じゃあ、彼女は――」


《削除対象》


即答だった。


《だが》


一拍、置いてから。


《現時点では、保留》


澪が、恒一の服の裾を、ぎゅっと掴む。


恒一は、振り返らなかった。


「理由は」


《観測者が、観ている》


《観測されている対象は、即時削除できない》


《設計上の制約だ》


「……随分、都合のいい制約だな」


《必要な制約だ》


《観測者が存在しない世界は、静的になる》


《静的な世界は、変化しない》


《変化しない世界は、意味を失う》


恒一は、ゆっくりと息を吸った。


「じゃあ、聞く」


「俺は、何をすればいい」


管理者の声は、変わらない。


《観測しろ》


《介入しすぎるな》


《だが、目を逸らすな》


《それが、観測者の役割だ》


「……随分、曖昧だ」


《曖昧でなければ、観測にはならない》


その瞬間。


世界が、元に戻り始めた。


音が戻り、色が戻り、空間が再び意味を持つ。


管理者の気配が、薄れていく。


《最後に》


消え際に、声が落ちる。


《例外を守る必要はない》


《だが、見届ける必要はある》


《それが、世界にとっての最適解だ》


そして、完全に、消えた。


沈黙。


澪が、ゆっくりと恒一の背中から手を離す。


「……今の、なに?」


恒一は、しばらく答えなかった。


窓の外では、何事もなかったかのように、夜が進んでいる。


「……世界の、事情だ」


それだけ言った。


澪は、不安そうに笑う。


「私、消えるの?」


恒一は、即答しなかった。


だが、目は逸らさない。


「……分からない」


正直な答え。


「ただ」


一拍、置いてから続ける。


「今は、まだここにいる」


澪は、少し考えてから、頷いた。


「そっか」


その反応が、あまりにも静かで。


恒一は、自分が“観てしまった”ものの重さを、改めて実感する。


――不安定にする役割。


確かに、そうなのだろう。


澪がここにいるだけで、

世界は、ほんのわずか、揺れている。


だが。


「……揺れなきゃ、終わる世界なら」


恒一は、小さく呟いた。


「最初から、安定なんてさせる必要がない」


澪が、その言葉の意味を理解したかどうかは分からない。


ただ、彼女はそこにいて。

白い髪が、室内の灯りを受けて、かすかに揺れている。


例外は、まだ消えていない。


そして、観測者は、

それを見逃さない場所に立っている。


それだけで、今は十分すぎる結果だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見などありましたら、とても励みになります。

次回もお付き合いいただければ幸いです。

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