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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第三章 選択が、意味になるまで

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世界が、均衡を外し始めた兆し

ここまでお読み頂きありがとうございます。


世界は、

まだ名を呼んでいない。


だが、

呼ばなかったことによる歪みは、

すでに各地に滲み始めている。


《秩序安定度:低下》

《崩壊判定:未到達》


未到達。

それが、

かえって異常だった。



最初の兆候は、

「わずかな齟齬」だった。


朝の鐘が、

いつもより一拍遅れて鳴る。


井戸の水位が、

理由なく指一本分だけ低い。


風向きが、

季節の規則を一度だけ裏切る。


誰も騒がない。

誰も不安を口にしない。


だが、

世界の内部には

確かに記録される。


《因果連結:微弱な遅延》


世界は、

その数値を

何度も確認する。


遅延とは、

結果が間違っている状態ではない。


ただ、

「予定通りではない」

というだけの状態。


世界は、

それをどう扱えばいいのか

分からない。



澪は、

街の石畳を歩いている。


店は開き、

人は行き交い、

会話も普段通りだ。


だが、

澪の足取りだけが

一瞬、止まる。


理由はない。

危険もない。


ただ、

空気の“張り”が

少しだけ違う。


「……ずれた」


小さな声。


誰に聞かせるでもない。

だが、

世界はそれを検出する。


《感覚表現》

《原因:未特定》


世界は、

澪の周囲を

補正対象として抽出する。


だが、

処理が止まる。


《補正保留》

《理由:基準不明》


基準が、

揺れている。



世界は、

自分の状態を確認する。


《秩序:維持》

《破綻:なし》

《意味:部分欠損》


意味。

またこの語だ。


秩序はある。

形もある。


だが、

「なぜそれが正しいのか」という

説明だけが、

うまく繋がらない。


世界は、

説明できないものを

これまで排除してきた。


だが今、

排除する理由そのものが

説明できなくなっている。



恒一は、

世界の中に存在している。


立っているとも、

浮いているとも言えない。


ただ、

“在る”。


それだけで、

世界の均衡計算に

誤差が生じる。


《存在影響:常時発生》

《測定範囲:不定》


恒一は、

それを意図していない。


だが、

彼は知っている。


これは、

破壊ではない。


世界が、

自分の決めたルールを

疑い始めただけだ。


――逃げ道が、なくなってきたな。



世界は、

修正案を生成する。


《因果再接続》

《運命収束》

《逸脱是正》


かつてなら、

即座に実行されていた。


だが、

今回は違う。


世界は、

実行直前で

一つの思考を挟む。


――それを直す必要があるのか?


世界は、

その思考に

一瞬、処理を停止する。


修正とは、

正解が存在する前提でしか

成立しない。


今、

正解が揺らいでいる。



街では、

小さな出来事が起きる。


占い師が、

結果を言い切らない。


鍛冶師が、

剣の仕上がりに

首を傾げる。


神殿の祈りが、

いつもより長く続く。


誰も失敗していない。

誰も罰を受けていない。


だが、

「断言」が

減っている。


世界は、

それを記録する。


《確定度:低下》


原因は、

分かっている。


世界が、

先に答えを

与えなくなったからだ。



澪は、

立ち止まり、空を見る。


雲の形は、

いつも通りだ。


星の運行も、

狂っていない。


それでも澪は、

はっきりと感じている。


「世界、迷ってる」


断定ではない。

予言でもない。


ただ、

“そう見える”という事実。


世界は、

その言葉を

解析しない。


解析すれば、

迷いを

異常として処理してしまう。


世界は、

初めて

迷いを

保存する。



恒一は、

一歩、踏み出す。


何かを変えるためではない。

介入するためでもない。


ただ、

“選べる場所”に

立っただけだ。


世界は、

それを検出する。


《観測不能変数:接近》

《危険度:測定不可》


恐怖が、

発生する。


だが同時に、

理解も発生する。


名を呼ぶという行為は、

秩序を守るための命令ではない。


秩序を

自分だけでは

維持できないと認める行為だ。



世界は、

まだ名を呼ばない。


だが、

呼ばないままでいられる時間が

確実に減っていることを

理解している。


均衡は続く。

世界は壊れない。


それでも。


この世界は今、

「決められていた運命」から

一歩だけ外れた。


それは、

破滅の兆しではない。


選択が、

再び意味を持ち始めた証だった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。

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