静寂な夜
ここまでお読み頂きありがとうございます。
夜は、思っていたよりも早く訪れた。
宿屋の窓から見える街並みは、夕刻を過ぎると急速に色を失っていく。
昼間の喧騒が嘘のように、人の声は減り、通りを行き交う雑踏もまばらになった。
静かだ。
静かすぎる、と言っていい。
恒一は、借りた部屋の椅子に腰を下ろし、窓の外を眺めていた。
灯りはある。街灯のようなものが通り沿いに並び、家々の窓からも橙色の光が漏れている。
それなのに、夜特有のざわめきがない。
酒場の笑い声も、喧嘩の怒号も、酔客の歌も。
人が集まっているはずの場所から、そういう音が、ほとんど聞こえてこない。
「……変だな」
呟いてから、自分が何を基準に「変」と判断しているのかに気づく。
日本の夜。
あるいは、これまで生きてきた世界の夜。
比べること自体が、無意味なはずなのに。
それでも、違和感は消えなかった。
恒一は立ち上がり、部屋を出る。
廊下は静かで、足音がやけに響いた。
宿屋の一階に降りると、昼間よりも客は減っているが、それでも数人は残っている。
酒を飲んでいる男たち。
食事を終え、静かに話し込む商人風の二人組。
宿主はカウンターの奥で帳簿をつけていた。
――ちゃんと、人はいる――
だというのに、空気が希薄過ぎる。
恒一は外に出た。
夜風が肌を撫でる。冷たくはないが、温もりもない、どこか均質な風だった。
通りを歩く。
昼間通った露店はすでに片付けられ、道は驚くほど整然としている。
ゴミも、汚れもほとんど見当たらない。
「……掃除、行き届きすぎだろ」
独り言は、すぐに闇に吸い込まれた。
歩いていると、遠くから足音が聞こえた。
こちらに向かってくるのは、一人の男。
背は高く、革鎧のようなものを身につけている。
腰には剣。傭兵か、あるいは街の警備か。
すれ違う直前、男は一瞬だけ恒一を見た。
その視線が、引っかかる。
警戒ではない。
敵意でもない。
「確認」だ。
まるで、そこに「いるはずのもの」が、ちゃんと存在しているか確かめるような目。
男は何も言わず、通り過ぎていった。
「……」
胸の奥に、なんとも言い難い違和感が残る。
歩き続けるうちに、昼間立ち寄った露店の女性の言葉が、ふと思い出された。
『境目だからね』
王都と、それ以外の境目。
人が行き交う場所。
異物が紛れ込む前提の街。
だが、それにしても――
「夜まで、均されすぎてる」
恒一は立ち止まり、周囲を見渡す。
建物。道。灯り。
どれもが、きれいに「整っている」。
整いすぎている。
その瞬間、耳鳴りのような感覚が走った。
キィン、と高い音が、頭の奥で鳴る。
同時に、視界が一瞬だけ、揺らいだ。
「……っ」
足元がぐらつき、思わず壁に手をつく。
世界が、揺らいだ。
ほんの一瞬。
だが確かに、街並みの「重なり」が解けた気がした。
見えるはずの建物の向こうに、何もない空間が覗いた。
音が、一拍遅れで届いた。
その空間の方向から風が吹いた。
次の瞬間、すべては元に戻る。
「……今の、は」
息を整えながら、恒一は壁から手を離す。
誰かに見られていないか確認するが、通りには誰もいない。
――錯覚じゃない――
そう、確信できてしまう自分がいる。
頭の中に、あの声が浮かんだ。
《君は、観測者だ》
《壊れかけた世界を、観るための》
「……観る、ね」
吐き捨てるように言う。
だが、反論はできなかった。
今の揺らぎ。
今の違和感。
自分が「意識を向けた瞬間」に起きている。
恒一は、もう一度、周囲をじっと見た。
今度は、意図的に。
灯りの位置。
影の伸び方。
人のいない通りの静けさ。
すると、気づく。
影が、妙に薄い。
光源に対して、影の濃さが一定すぎる。
「……計算されてる、みたいだな」
自然な夜ではない。
再現された夜。
誰かが、「夜とはこういうものだ」と決めた上で、配置した風景。
恒一は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
これが、この世界の正体なのか。
壊れかけている、という言葉の意味。
「均衡を保つために、削られてる……?」
人の感情。
無駄な騒音。
予測できない出来事。
そういうものが、意図的に、あるいは結果として、排除されている。
だから、この街は「普通」に見える。
普通であるように、保たれている。
――それを、観ているのが自分。
「冗談きついな…」
恒一は小さく笑った。
笑っていないと、何かが壊れそうだった。
宿に戻る道すがら、あの傭兵風の男と、もう一度すれ違った。
今度は、向こうから声をかけられる。
「旅人」
低い、落ち着いた声。
「夜は、あまり出歩かない方がいい」
「……何故?」
問い返すと、男は少しだけ言葉に詰まった。
「……理由は聞くな、面倒なことになる」
それだけ言って、男は去っていった。
面倒なこと。
説明できないこと。
言葉にすると、崩壊するもの。
恒一は、宿の前で立ち止まり、夜空を見上げた。
星は、きれいに並んでいる。
きれいすぎるほどに。
「……観測、か」
呟く。
世界が壊れかけているなら。
それを観測する存在が必要なら。
自分は、きっと――
その歪みを、無視できない側の人間なのだろう。
部屋に戻り、扉を閉める。
寝台に横になり、目を閉じても、あの一瞬の「空白」が脳裏から離れなかった。
世界は、確かに存在している。
だが、それは「完全」ではない。
そして、恒一はそれを、見てしまった。
夜が、静かに深まっていく。
均された世界の、音のしない奥底へ。
継続できるように頑張ります。
楽しくなってるので、今日のうちに行けるとこまで行きます。
完結するまで1日最低1話は投稿していきます。




