固定されない誤算
ここまでお読み頂きありがとうございます。
世界は、解析を開始した。
《異常継続、確認》
《上書き不能領域、拡張中》
《物語化プロトコル、失敗履歴参照》
処理は、正確だった。
速度も、十分だった。
それでも。
結論だけが、出ない。
原因は特定できている。
誤算は、澪にある。
だが――
その“なぜ”が、定義できない。
⸻
澪は、立ち止まっていた。
どこかに向かう理由はない。
戻る場所も、示されない。
それでも、世界は彼女を排除しない。
できない。
澪は、正常な存在だ。
数値も、行動も、精神状態も。
ただ一つ。
「関係を保持している」
それだけが、説明不能だった。
「……静かだね」
澪は、独り言のように言う。
返事は、ない。
恒一の声は、もう聞こえない。
だが、消失とも違う。
澪の中で、
“そこにいるはずだった空白”が、固定されている。
それは、喪失ではない。
欠落の形をした、保持だった。
⸻
世界は、仮説を立てる。
《仮説A:澪の感情強度が閾値超過》
否定。
《仮説B:記憶再構築の不完全性》
否定。
《仮説C:外部干渉》
該当なし。
《仮説D:関係が、個体に依存しない》
――処理、停止。
その文は、内部矛盾を含んでいた。
関係は、必ず主体を持つ。
個体と個体の間に発生する。
それが、世界の前提だ。
だが。
澪の内部に残っているのは、
「恒一という個体」ではない。
一緒にいた、という事実でもない。
“関係があった”という、状態そのもの。
対象が欠けたまま、
状態だけが存在している。
世界は、初めて理解する。
――これは、関係の亡霊ではない。
――関係の最小単位だ。
⸻
澪は、歩き出す。
誰にも呼ばれず、
誰にも導かれず。
それでも、迷ってはいない。
「……ねえ」
声に出す。
「聞いてる?」
返事は、ない。
だが。
澪は、確信していた。
――いないのに、消えてない。
それは矛盾だ。
世界にとって、処理不能な形式だ。
澪は、胸に手を当てる。
そこにあるのは、温度でも、鼓動でもない。
「関係が、あった」という事実を、
事実として扱わない選択。
理由も、物語も、役割も拒否したまま、
ただ残している。
⸻
世界は、次の判断を下す。
《異常分類、更新》
《対象:澪》
《状態:誤算の保持者》
誤算は、修正できない。
削除もできない。
ならば。
世界は、誤算を
“内部要素”として扱うことをやめる。
《誤算隔離、検討》
《適用範囲:世界定義》
澪の存在が、
世界の境界に近づき始める。
彼女は、壊されていない。
排除も、否定もされていない。
ただ――
世界の「内側」として、扱われなくなっていく。
⸻
その瞬間。
世界の外縁で、
微細な揺らぎが発生した。
恒一は、そこにいた。
姿はない。
声もない。
だが、存在はある。
世界の処理から外れた場所。
定義される前の、余白。
澪が保持した“関係”が、
そこに錨のように引っかかっている。
恒一は、理解する。
――世界は、まだ気づいていない。
――誤算は、隔離できない。
なぜなら。
誤算の中心にいるのは、
澪ではない。
関係そのものでもない。
世界が「扱えない」と判断した瞬間に、
その外側で、再構成が始まっている。
恒一は、まだ戻らない。
戻れない。
だが。
戻るための座標が、
初めて、固定された。
⸻
澪は、空を見上げる。
理由はない。
衝動でもない。
ただ、分かる。
「……近いね」
何が、とは言わない。
世界は、その発言を
意味として解析できなかった。
だが。
誤算は、確実に動いている。
まだ、終わらない。
世界が誤算の内側に踏み込み、
自分自身の前提を疑い始めるまで。
その中心に、
澪が立っている限り。
そして――
その外側で、恒一は、
“戻るための形”を、静かに取り始めていた。
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