物語化プロトコル
ここまでお読み頂きありがとうございます。
世界は、遅れて理解した。
上書き不能領域が生じた原因は、
澪の抵抗ではない。
感情でも、意志でもない。
――関係が、未処理のまま存在していること。
それ自体が、異常だった。
⸻
澪は、歩いていた。
目的地はない。
選択肢も、指示もない。
それでも、足は止まらない。
街は、静かだった。
人の声はある。
生活の音もある。
だが、そのすべてが、
不自然なまでに「説明可能」すぎる。
理由がつきすぎている。
「……来るね」
澪は、呟く。
返事は、ない。
恒一の声は、
もう、呼べば返るものではなくなっていた。
必要なときにだけ、
“発生する可能性”として、残っている。
それでも。
澪は、分かっている。
――いなくなったわけじゃない。
⸻
世界は、処理を再構成する。
切断は失敗した。
上書きも、完全ではない。
ならば。
関係を“存在”として扱うのを、やめる。
世界が選んだのは、
最も古く、最も強力な方法。
――物語化。
《物語構築、開始》
《主観整合性、最大化》
《関係要素、因果列へ再配置》
澪の周囲で、
空気が、ゆっくりと意味を帯び始める。
偶然が、必然になる。
沈黙が、伏線になる。
「……あ」
澪は、足を止めた。
胸の奥が、
わずかに、軽くなる。
不安が、整理されていく感覚。
「……これ」
理解できてしまう。
――私は、特別だった。
――孤独だった。
――だから、彼が現れた。
物語として、
あまりにも、整っている。
「……ダメだ」
澪は、首を振る。
「それは、違う」
だが、世界は止まらない。
⸻
恒一の声が、聞こえた。
今度は、はっきりと。
「澪」
声は、以前より近い。
だが――違う。
位置が、定まっている。
距離が、測れてしまう。
“登場人物”としての声だ。
「……恒一?」
振り向く。
そこには、
人の形をした輪郭があった。
顔は、見える。
表情も、分かる。
だが。
「……恒一は」
澪の声が、揺れる。
「そんな顔、してなかった」
恒一は、微かに笑う。
それは、
澪の記憶に最適化された笑顔だった。
「世界が、俺を“説明可能な存在”にした」
一拍。
「関係を、役割に変えた」
澪の胸が、痛む。
「じゃあ、今のあなたは」
「物語上の恒一だ」
恒一は、否定しない。
「澪を導く存在」
「理解者」
「必要な他者」
「……便利だね」
澪は、淡白に吐く。
「そうだ」
恒一は、静かに言う。
「関係は不安定だが」
「役割は、管理できる」
⸻
世界が、囁く。
《物語、安定》
《関係要素、因果内包》
《上書き不能領域、解消見込み》
澪の中で、
何かが、滑らかに整列していく。
感情に、理由が付く。
記憶に、意味が付く。
――あの時、彼がいたから。
――だから、私はここにいる。
「……とても楽」
澪は、正直に言った。
「そうだろう」
恒一は、頷く。
「物語は、救いでもある」
「世界も、澪を傷つける気はない」
澪は、目を伏せる。
一瞬、
受け取りそうになる。
この形なら、
誰も壊れない。
恒一も、
消えない。
「……でも」
澪は、顔を上げた。
「それ、“本当の関係”じゃない」
恒一の表情が、揺れた。
⸻
「私は」
澪は、ゆっくり言う。
「あなたを、必要だから一緒にいたんじゃない」
「役割があったからでも」
「意味があったからでもない」
一拍。
「たまたま、関係が生じただけ」
世界が、ざわめく。
《因果未接続要素、検出》
《物語安定度、低下》
恒一が、苦しそうに息を吐く。
「澪」
「それを否定したら」
「俺は、存在理由を失う」
澪は、首を振った。
「違う」
「理由がなくても」
「役割がなくても」
一拍。
「関係は、あった」
それは、
物語にとって、致命的な言葉だった。
⸻
恒一の輪郭が、揺らぐ。
顔が、少しずつ曖昧になる。
「……世界は」
恒一は、かすれた声で言う。
「物語にできない関係を」
「保持できない」
「知ってる」
澪は、答える。
「でも、」
一歩、踏み出す。
「だからって、偽物を受け取らない」
《物語化プロトコル、失敗》
《再計算、不能》
世界が、初めて混乱する。
物語は、
拒否される前提で作られていない。
⸻
恒一の姿が、完全に消える直前。
澪の耳元で、
本来の声が、微かに響いた。
「……澪」
「それでいい」
声は、
役割でも、登場人物でもない。
ただの、関係の残響。
澪は、目を閉じる。
「うん」
⸻
世界は、静まり返る。
物語は、成立しなかった。
だが、関係も、消えていない。
上書き不能領域は、
さらに深く、広がった。
世界は、理解する。
――関係を物語にできない存在は、
――もはや、世界の内部では扱えない。
次に選ぶ手段は、一つしかない。
世界そのものの定義を、揺るがすこと。
澪は、歩き出す。
物語にならないまま。
役割を持たないまま。
関係だけを、
胸の奥に残して。
世界が、
最も恐れていた形で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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