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『名前を失う前に、世界が壊れ始めた』  作者: 久遠かける
第二章 誤算の内側

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関係破壊アルゴリズム

ここまでお読み頂きありがとうございます。


街を歩いている。


澪は、一人で。


そう考えるのが、最も近しい。


隣にいるはずの恒一は、視界に入らない。

横を向いても、前を見ても、どこにもいない。


それでも。


「……今、止まった?」


声だけが、すぐそばから聞こえる。


「うん」


澪は頷く。

誰に向けた動作かは、自分でも分からない。


声はある。

返事もできる。


けれど――

“並んでいる”感覚だけが、抜け落ちていた。



歩き出す。


澪の歩幅は一定だ。

だが、恒一の声は、微妙に遅れる。


「……ズレてる」


「分かるか」


声は、落ち着いている。

いつもと変わらない調子だ。


それが、逆におかしい。


「距離じゃないよね」


「距離じゃない」


恒一は肯定する。


「“一緒にいるという感覚”が、薄れている」


澪は、前を見る。


人は歩いている。

誰も立ち止まらない。

誰も、澪を避けない。


世界は、正常だ。


澪と恒一の間だけが、正常ではない。



「ねえ」


「なんだ」


「私たち」


澪は、言葉を選ぶ。


「今、話してる?」


恒一の返事が、ほんの一瞬、遅れた。


「……話している」


だが、確信がない。


会話は成立している。

文としては、繋がっている。


それなのに、

“会話をした”という実感が、澪の中に残らない。


言葉が、すり抜けていく。


「おかしいね」


澪は、笑おうとして、やめた。


「世界が」


恒一の声が、少し低くなる。


「関係を、“出来事”として扱い始めている」


「出来事?」


「ああ」


一拍。


「継続するものじゃなく」


「起きて、終わるものとして」



唐突に、記憶が引っかかる。


数分前の会話を、思い出そうとする。


――何を話していた?


内容はある。

言葉も浮かぶ。


だが。


「……思い出せない」


「何を?」


「あなたと、何を話してたか」


沈黙。


恒一は、すぐに答えなかった。


「それが」


静かな声。


「世界の処理だ」


澪の足が、止まる。


「切り離しじゃない」


「忘却でもない」


「ただ」


一拍。


「“関係があった”という事実を、残さない」



世界は、優しい。


誰も傷つけない。

誰も消さない。


ただ、意味だけを消す。


澪が恒一と話した、という意味。

並んで歩いた、という意味。

互いに影響し合った、という意味。


それらを、

“起きなかったこと”にする。


《関係履歴、無効化》


《相互参照、低優先化》


澪は、世界の声を聞かない。


代わりに、

胸の奥が、少しずつ冷えていくのを感じる。


「……これ」


澪は、低く言う。


「私が選ばなかったから?」


「違う」


恒一の声は、はっきりしていた。


「澪が」


一拍。


「選ばなくても、関係が生じてしまったからだ」


澪は、息を呑む。



歩き出す。


今度は、声が遠い。


「……恒一」


「聞こえてる」


「どこ?」


返事が、ない。


あるはずの声が、

“位置”を持たない。


「……恒一」


「ここにいる」


だが、その“ここ”が分からない。


澪は、初めて理解する。


――世界は、私たちを引き離していない。

――“一緒にいた”という前提を、壊している。



「ねえ」


澪は、立ち止まって言う。


「もし」


喉が、少し詰まる。


「私が、あなたのことを」


「“ただの声”として認識するようになったら」


「それって」


言葉が、続かない。


恒一は、静かに答えた。


「関係が、死ぬ」


「存在は残る」


「会話も、できる」


「でも」


一拍。


「それが誰か、分からなくなる」


澪は、拳を握る。


世界は、賢い。


壊さず、奪わず、争わず。

ただ、繋がりを成立しないものに変える。



「……ひどいね」


澪は、ぽつりと言う。


「そうだな」


恒一は、否定しない。


「これは」


「世界が出せる、最も穏やかな結論だ」


澪は、前を見る。


街は続いている。

日常は、壊れていない。


壊れているのは、

澪と恒一の“あいだ”だけだ。


「ねえ、恒一」


「なんだ」


「まだ」


澪は、はっきり言う。


「あなたを、“あなた”として感じてる」


沈黙。


それが、世界にとっての異常だった。


《関係残存、検出》


《再処理、検討》


恒一の声が、わずかに近づく。


「……それが残っているうちは」


「完全には、壊せない」


澪は、小さく息を吐いた。


「じゃあ」


一歩、踏み出す。


「まだ、終わってないね」


世界は、答えない。


答えを出せない。


関係は、選択ではない。

だが――

成立してしまった以上、消すには時間がかかる。


世界は、それをまだ、扱いきれていなかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想やご意見など頂けますと、とても励みになりますので宜しければ是非お願い致します。

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