関係破壊アルゴリズム
ここまでお読み頂きありがとうございます。
街を歩いている。
澪は、一人で。
そう考えるのが、最も近しい。
隣にいるはずの恒一は、視界に入らない。
横を向いても、前を見ても、どこにもいない。
それでも。
「……今、止まった?」
声だけが、すぐそばから聞こえる。
「うん」
澪は頷く。
誰に向けた動作かは、自分でも分からない。
声はある。
返事もできる。
けれど――
“並んでいる”感覚だけが、抜け落ちていた。
⸻
歩き出す。
澪の歩幅は一定だ。
だが、恒一の声は、微妙に遅れる。
「……ズレてる」
「分かるか」
声は、落ち着いている。
いつもと変わらない調子だ。
それが、逆におかしい。
「距離じゃないよね」
「距離じゃない」
恒一は肯定する。
「“一緒にいるという感覚”が、薄れている」
澪は、前を見る。
人は歩いている。
誰も立ち止まらない。
誰も、澪を避けない。
世界は、正常だ。
澪と恒一の間だけが、正常ではない。
⸻
「ねえ」
「なんだ」
「私たち」
澪は、言葉を選ぶ。
「今、話してる?」
恒一の返事が、ほんの一瞬、遅れた。
「……話している」
だが、確信がない。
会話は成立している。
文としては、繋がっている。
それなのに、
“会話をした”という実感が、澪の中に残らない。
言葉が、すり抜けていく。
「おかしいね」
澪は、笑おうとして、やめた。
「世界が」
恒一の声が、少し低くなる。
「関係を、“出来事”として扱い始めている」
「出来事?」
「ああ」
一拍。
「継続するものじゃなく」
「起きて、終わるものとして」
⸻
唐突に、記憶が引っかかる。
数分前の会話を、思い出そうとする。
――何を話していた?
内容はある。
言葉も浮かぶ。
だが。
「……思い出せない」
「何を?」
「あなたと、何を話してたか」
沈黙。
恒一は、すぐに答えなかった。
「それが」
静かな声。
「世界の処理だ」
澪の足が、止まる。
「切り離しじゃない」
「忘却でもない」
「ただ」
一拍。
「“関係があった”という事実を、残さない」
⸻
世界は、優しい。
誰も傷つけない。
誰も消さない。
ただ、意味だけを消す。
澪が恒一と話した、という意味。
並んで歩いた、という意味。
互いに影響し合った、という意味。
それらを、
“起きなかったこと”にする。
《関係履歴、無効化》
《相互参照、低優先化》
澪は、世界の声を聞かない。
代わりに、
胸の奥が、少しずつ冷えていくのを感じる。
「……これ」
澪は、低く言う。
「私が選ばなかったから?」
「違う」
恒一の声は、はっきりしていた。
「澪が」
一拍。
「選ばなくても、関係が生じてしまったからだ」
澪は、息を呑む。
⸻
歩き出す。
今度は、声が遠い。
「……恒一」
「聞こえてる」
「どこ?」
返事が、ない。
あるはずの声が、
“位置”を持たない。
「……恒一」
「ここにいる」
だが、その“ここ”が分からない。
澪は、初めて理解する。
――世界は、私たちを引き離していない。
――“一緒にいた”という前提を、壊している。
⸻
「ねえ」
澪は、立ち止まって言う。
「もし」
喉が、少し詰まる。
「私が、あなたのことを」
「“ただの声”として認識するようになったら」
「それって」
言葉が、続かない。
恒一は、静かに答えた。
「関係が、死ぬ」
「存在は残る」
「会話も、できる」
「でも」
一拍。
「それが誰か、分からなくなる」
澪は、拳を握る。
世界は、賢い。
壊さず、奪わず、争わず。
ただ、繋がりを成立しないものに変える。
⸻
「……ひどいね」
澪は、ぽつりと言う。
「そうだな」
恒一は、否定しない。
「これは」
「世界が出せる、最も穏やかな結論だ」
澪は、前を見る。
街は続いている。
日常は、壊れていない。
壊れているのは、
澪と恒一の“あいだ”だけだ。
「ねえ、恒一」
「なんだ」
「まだ」
澪は、はっきり言う。
「あなたを、“あなた”として感じてる」
沈黙。
それが、世界にとっての異常だった。
《関係残存、検出》
《再処理、検討》
恒一の声が、わずかに近づく。
「……それが残っているうちは」
「完全には、壊せない」
澪は、小さく息を吐いた。
「じゃあ」
一歩、踏み出す。
「まだ、終わってないね」
世界は、答えない。
答えを出せない。
関係は、選択ではない。
だが――
成立してしまった以上、消すには時間がかかる。
世界は、それをまだ、扱いきれていなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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